理科室追想 ― 2006年02月26日 08時31分38秒

『木造校舎の思い出-芹澤明子写真集(関東編)』、情報センター出版局(1996)より
理科室の空気を偏愛する人は多いでしょう。特に戦前に建ったような学校だと、戸棚もスチールなんぞでなく、木製の重厚な棚で、用途の知れぬ機器が使われることもなく埃をかぶって並んでいたりして、秘密めいた気配が濃厚に漂っています。
子供時代、小学校の理科室はまさに一個の王国でした。試験管、フラスコ、アルコールランプ、天秤ばかり、滑車、色とりどりの試薬、鉱物標本、地層の断面模型、貝の化石、飼育箱、解剖顕微鏡、水草のゆらぐ水槽、グロテスクな液浸標本、愛らしい人体模型に骨格標本。
思えば、何とすばらしい空間であったことでしょう。懐かしの木造校舎、といった写真集を開くと、真っ先に理科室に目が行きます。
それにしても、人はなぜ理科室に惹かれるのでしょうか?
理由はひとつではないかもしれません。しかし、私のことを考えると、そうした教具の向こうに仄見えるもの、言ってみれば、この世界の秘奥に激しくあこがれていたからなのだと思います。もちろん、今にして思えばそれは幻想で、理科教材の向こうに直ちに秘奥がある訳はないのですが、でも、何かを機縁に、ふとそうしたものの存在を感じ、慄くという感覚は大事にしたいと思います。
(唐突ですが、画家の谷内六郎さんはそうした感覚に親和性があったようで、谷内さんの絵を見ると、懐かしいような、恐ろしいような、やっぱり秘密めいた感じを強く受けます。)
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