トリノ天文台 ― 2006年03月04日 10時31分53秒

トリノ五輪の余韻がまだ残っていますが、画像はトリノ天文台の絵葉書です。(1910年頃)
イタリア式の典雅な宮殿の頂に、ちょこんとドームが乗っています。
同天文台は1759年に創設され、その後1822年に写真の「パラッツォ・マダマ(貴婦人宮;昔の女城主にちなんだ名)」に移転し、1912年には観測適地を求めて、さらに郊外の現在地へと移転して行きました。
パラッツォ・マダマ時代の同天文台は、外見の壮麗さだけではなく、ライヒェンバッハとフラウンホーファーの新式子午環(当時世界最大)とメルツ製30センチ屈折望遠鏡をそなえ、天体力学の分野ですぐれた業績をあげました。
(ちなみに当時の台長、ジョバンニ・プラナは「ラグランジュ・ポイント」で有名なジョゼフ・ルイ・ラグランジュの弟子にあたります。ラグランジュもトリノ出身だったことを今回初めて知りました。)
現在のパラッツォ・マダマはすぐれた古美術コレクションを持つ博物館になっており、ドームはすでにありません。
参考:http://www.to.astro.it/
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