稲垣足穂 『水晶物語』…理科室小説2006年07月17日 10時13分40秒

「理科室小説」というジャンルが仮にあるとすれば、これは文句なしにその代表作。
足穂が戦時中に発表した『非情物語』に初出。

とはいえ、この小説には厳密な意味で理科室は出てきません。

そもそも、小学校の理科室はいつからあるのか?
戦前から立派な理科室をそなえた学校もありますし、歴史は古くても、理科室は戦後になってはじめてできた、という学校もあるようです。
もちろん、理科室のない学校でも理科教材はあったわけで、そうした学校では、授業のたびにそれを一般教室まで運んで授業をおこないました。

足穂のこの作品に出てくるのもそんな学校です。
ここでは玄関脇の応接間に人体模型や鉱物標本を収めた戸棚があり(主人公の「私」は掃除当番のたびに、その抽斗を開けて陶然となります)、いっぽう地球儀や七色回転盤、緑色のコイルのついた電気実験具などは職員室に置かれていました。

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その抽斗の金具に指をかけてそろそろ引いてみると……私はその時どんなに自分の胸が高鳴っていたか、更にそれぞれに重たげな、しかし比較的少量の品物がそこにぎっしり詰っていることを思わせる感触をこちらに伝えて、抽斗が少しずつ内部を見せ始める瞬間の感動と恍惚を、今日もよく憶えています……するともうそこには、胆消(たまけ)すばかりの結晶と光沢と粗面とを持った鉱物たちが、それは硫化物であり酸化物であり、あるいは炭酸塩類であることを示しているところの、輝安鉱や、閃亜鉛鉱や、磁鉄鋼や、錫石や、孔雀石が、それぞれに火山臭い、粘土くさい臭いを伴わせて、あたかも徴かな息遣いをしているかのように窺われて、この声無き非情の合唱を前に、私は危く仰向けにぶっ倒れそうになるのでした。

(稲垣足穂 「水晶物語」、『天体嗜好症』-河出文庫-より)

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この胸の高鳴り、ひじょうに共感できます。
この部分を読むたびに、こちらまで鉱石の輝きに目がくらみ、息が詰まるような感じがします。

「私」は、この後「こんなにまで好ましいもの…は我手によっても作らるべき」と、自宅にも同様の小世界を築き上げようと決心し、異様な熱意で実現を目指すのですが、それはまた明日。

(この項続く)

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