アルヴァン・クラーク屈折望遠鏡2006年08月28日 20時15分13秒


ついに手に入れた、憧れのアルヴァン・クラーク製6インチ屈折望遠鏡。
1904年に作られた、アンティーク望遠鏡です。

…と言っても、ミニチュア模型ですが。鏡筒全長17.5センチという可愛らしいサイズ。
ミニチュアとはいえ、スマートな木製三脚と、鈍く光る総真鍮製のボディは、なかなか堂々としています。

b.crist miniatures(Barry Crist という人が社長をしています)というメーカーの品。

 ☆   ☆   ☆

しかし、皆さんはご存知でしたか? こんな品が出ているなんて。
最近は天文雑誌をあまり見てないので、情報に疎いのですが、雑誌には広告が出ているんでしょうか?
私はたまたまネットで見て、「これは!」と思い、即座に注文しました。

国内ではテレビュー・ジャパンが輸入販売しています。
http://www.tvj.co.jp/202original/05mini.html

メーカーのサイトは、まだ表紙しかありませんが、こちら。
http://www.rocklandastronomy.com/neaf/bcrist.html

表紙の写真を見ると、テレビューさんで扱っていない品もいろいろ製作しているようです。

うう、いいですねえ。

それにしても、このミニ望遠鏡シリーズ。もちろんコンスタントな需要はあるんでしょうが、爆発的に売れるとも思えません。儲けよりも、本当に好きでやっているような気がします。クリスト社の心意気に敬服。

コメント

_ 青木茂樹 ― 2017年03月26日 21時26分11秒

玉青さま、

今回はこちらの記事にコメントを書かせていただきます。

日本のグランドアマチュア天文家(1)~(5)の記事を拝読しました。
私は検索でヒットする範囲でしが情報を集められませんでしたが、短期間に掘り起こされました様々な資料と情景が目に浮かぶようなお話で、楽しく読ませていただきました。

さて、こちらの記事にコメントを書かせていただいたのは、私の氏名にもリンクが貼り付けてありますホームページ
http://neweb.h.kobe-u.ac.jp/~aoki/telescope.html
の記事との関連からです。
玉青さんのブログに最初に遭遇しましたのは、神戸師範学校から伝来する1876年製アルヴァン・クラーク製4インチ屈折望遠鏡に関しまして、その来歴を知りたいと思って検索していた時のことで、まずはこちらの記事にたどり着きました。
製造年からしてあり得ない話なのですが、この望遠鏡には、1874年の金星太陽面通過の際に神戸の諏訪山で観測を行ったフランス隊が、その御礼として置いて行ったという伝承が古くからあったようです。
金星太陽面通過を6月に控えた2012年にその関連を調べ始め、資料をまとめたページを作る際に、大正時代の貴重な地図を載せて下さっていた天文古玩の「諏訪山、金星台」の記事に勝手ながらリンクを張らせていただいたような次第です。

その後、関連すると思われる資料をあたったのですが、望遠鏡の来歴については決め手を欠いたままになっています。
京都大学の山本天文台資料室を訪れましたのも、その伝承に関して私が見つけた中で一番古い記述が山本一清と思われる「理学博士ABC」氏による昭和2年の『科学画報』の記事であったため、その伝承の出所に関して手がかりを得られないものかと思ってのことでした。
しかし、1日の訪問では膨大な資料の中から手がかりにたどり着くことは到底かなわず、予期せぬことに資料室が公開打ち切りとなってしまい、途方に暮れております。
この訪問の際に、萑部夫妻をはじめとする何人もの神戸在住のアマチュア天文家との交流があったことだけは確認できました。

伝来している望遠鏡は、三脚も一緒に残っていたものの望遠鏡を雲台に固定する治具やカウンターバランスが欠けているため、こちらの記事の望遠鏡の模型を拝見した時に、私も是非入手したいと思い b.crist miniatures について調べたのですが、製造販売は既に行われていないようでした。

_ 玉青 ― 2017年04月08日 12時41分50秒

青木様

年度替わりのバタバタで、すっかりお返事が遅くなりました。申し訳ありません。

さて、アルヴァン・クラーク製4インチ屈折の件。
リンク先の貴重な資料の数々を拝見しました。これは悩ましいですね。

①まず、横地石太郎の回顧談に真実混じり気がないとすると、彼の神戸師範着任は明治17年(1884)で、例の金星日面通過(明治7年、1874)からわずか10年後ですから、「フランス観測隊の置き土産」という望遠鏡にまつわる伝聞は、相当確度が高い情報のように思います。

②一方で、佐藤利夫氏が注目された、明治23年(1890)の望遠鏡の購入記事は、同時代の一次資料ですから、疑いを容れる余地はありません。

③そして、我々の前に現存している望遠鏡は、1878年(明治11)の製造であると…。

何だか狐につままれたような話ですが、これらを整合させるには、「神戸に伝来したクラーク製望遠鏡は2台(ないしそれ以上)あって、①の望遠鏡はすでに所在不明。現存するのは②のみであり、これは1878年製の在庫品を1890年に購入したものである」…とでもするより他ありませんが、クラーク製の望遠鏡は、当時そんなにゴロゴロあったのかどうかが、気になります。

この点について、既にご覧になられたかもしれませんが、手元で積読になっていた、Deborah Jean Warnerの『Alvan Clark & Sons:Artists in Optics(2nd ed.)』(1995)を改めて開いたら、巻末に既知のクラーク望遠鏡の所在リストが載っていました。

肝心の神戸の望遠鏡は、このリストから漏れていて、決して完璧なリストではありませんが、それによると、小型~中型機(4インチ~7インチ未満)の確認台数は

3インチ 89台
3インチ超え4インチ未満 26台
4インチ 136台
4インチ超え5インチ未満 28台
5インチ 106台
5インチ超え6インチ未満 15台
6インチ 59台
6インチ超え7インチ未満 15台

となっており、4インチ望遠鏡は、性能と取り回しの良さを兼ね備えていたのか、3インチや5インチよりも好んで用いられた形跡があります。

とはいえ、このリストには、(推定を含む)製造年も挙がっていて、4インチ望遠鏡については、1860年から1947年までの年次が含まれていますが、このうち1880年以前(1880年を含む)に帰せられる望遠鏡は25台、さらに1890年まで広げても、計41台を数えるに過ぎませんから、決して「ゴロゴロ」という感じではないですね。それでも、複数存在説を否定することもできない微妙な数字です。

以上、神戸のクラーク望遠鏡の由来解明には何ら寄与するものではありませんが、今後のご参考になればと思い、メモ書きしました。謎が氷解する日を楽しみにしております(が、謎は謎であるところが面白いので、もうちょっと謎でいてほしい気持ちもちょっとあります・笑)。

(なお、Warnerの上掲書にはクラーク望遠鏡の架台構造の詳細も記されていました。)

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