理科室アンソロジー(3)…鈴木秀ヲ『少年の科學』 ― 2006年10月15日 08時46分15秒

今日も理科室の香気を伝える文章を載せます。
■ ■ ■
○鈴木秀ヲ写真集 『 パーテル・ノステル [少年の科學] 』(モール、1995)より
飯沢耕太郎による解説文「『理科室』の夢」 の一節
(見やすさを考えて、適宜改行しています)
「…それ〔=作者の綿密な場面設定〕こそが、あの甘美な恐怖と魅惑に彩られた「理科室」の空間を再構成する試みなのである。
誰でもひとつやふたつ、「理科室」にまつわる思い出を持っているに違いない。それはたいてい目立たない校舎の片隅にあり、昼間でもどこか薄暗い、ひっそりした気配がただよっていた。
試験管やビーカーやアルコール・ランプなどの実験器具、色鮮やかな鉱物標本、肉眼では見ることのできない神秘的な世界を覗かせてくれる顕微鏡や望遠鏡のような光学器械が、ガラス戸棚の中に整然と並んでいる。それらは授業時間になると生徒たちの手で乱暴に取り出され、つかのまの魔法の時間を出現させてくれるのだが、普段はどこか近寄りがたい、よそよそしい顔つきを見せている。戸棚の奥の方には、もう使われていない古い機械類が埃をかぶっていて、むしろそちらの方が手にとって触ってみたいという欲望を強く感じさせるものだつた。
中でも僕が強く興味を引きつけられたのは人体解剖模型である。木製だったのか、いわゆる蝋人形だったのかよく覚えていないのだが、その少年の姿をした模型のお腹の部分には留め金がついていて、蓋を開けて内臓を覗きこむことができた。心臓や肺や胃や大腸・小腸は、それぞれ取りはずし可能で、手に持って観察することもできた。人間の体の中に、こんなふうに複雑きわまりないメカニズムが隠されていることを知った時の驚きを忘れることができない。色分けされた世界地図のようでもあり、時計やカメラのような精密器械の内部機構のようでもあるその眺めを、時々飽きもせずにずっと眺めていることがあった。
おそらく鈴木秀ヲもまた、そんな「理科室」の光景に深く魅せられた一人だったのだろう。幼い頃に播かれた“驚異”の種子は、彼の体内でひそかに生長し、写真という土壌を得て花開いたのである。彼の静物写真は、今は失われてしまったその幻の「理科室」の設計図とでもいうべきものであり、記憶の回路に分け入るような不思議な魅力を発している。」
■ ■ ■
この本は、理科室に想を得たとおぼしきオブジェの写真集です。
内容は鉱石、古書、星座早見、地球儀、貝殻、ヒトデ、カメラ、人形…等々を組み合わせた静物写真。
どのページにも、シュールな味わい(安易な表現ですが)と、無言劇を見るような密度の高い緊張感が漂っています。
飯沢氏は解説の中で、理科室の魅力を「甘美な恐怖と魅惑」と表現していますが、理科室を思うとき、この「恐さと甘さ」という二要素は、まさに事態の核心を突くものだと思います。
そして、その「恐さ」は単にグロテスクなものに対する生理的な嫌悪感ではなく ― それだけの人もいるでしょうが ―、何か一種の「森厳さ」といったものではなかったかと思います。
(ちなみに、書名のパーテル・ノステルとは、ラテン語で「主の祈り」の意味だそうです)
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○鈴木秀ヲ写真集 『 パーテル・ノステル [少年の科學] 』(モール、1995)より
飯沢耕太郎による解説文「『理科室』の夢」 の一節
(見やすさを考えて、適宜改行しています)
「…それ〔=作者の綿密な場面設定〕こそが、あの甘美な恐怖と魅惑に彩られた「理科室」の空間を再構成する試みなのである。
誰でもひとつやふたつ、「理科室」にまつわる思い出を持っているに違いない。それはたいてい目立たない校舎の片隅にあり、昼間でもどこか薄暗い、ひっそりした気配がただよっていた。
試験管やビーカーやアルコール・ランプなどの実験器具、色鮮やかな鉱物標本、肉眼では見ることのできない神秘的な世界を覗かせてくれる顕微鏡や望遠鏡のような光学器械が、ガラス戸棚の中に整然と並んでいる。それらは授業時間になると生徒たちの手で乱暴に取り出され、つかのまの魔法の時間を出現させてくれるのだが、普段はどこか近寄りがたい、よそよそしい顔つきを見せている。戸棚の奥の方には、もう使われていない古い機械類が埃をかぶっていて、むしろそちらの方が手にとって触ってみたいという欲望を強く感じさせるものだつた。
中でも僕が強く興味を引きつけられたのは人体解剖模型である。木製だったのか、いわゆる蝋人形だったのかよく覚えていないのだが、その少年の姿をした模型のお腹の部分には留め金がついていて、蓋を開けて内臓を覗きこむことができた。心臓や肺や胃や大腸・小腸は、それぞれ取りはずし可能で、手に持って観察することもできた。人間の体の中に、こんなふうに複雑きわまりないメカニズムが隠されていることを知った時の驚きを忘れることができない。色分けされた世界地図のようでもあり、時計やカメラのような精密器械の内部機構のようでもあるその眺めを、時々飽きもせずにずっと眺めていることがあった。
おそらく鈴木秀ヲもまた、そんな「理科室」の光景に深く魅せられた一人だったのだろう。幼い頃に播かれた“驚異”の種子は、彼の体内でひそかに生長し、写真という土壌を得て花開いたのである。彼の静物写真は、今は失われてしまったその幻の「理科室」の設計図とでもいうべきものであり、記憶の回路に分け入るような不思議な魅力を発している。」
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この本は、理科室に想を得たとおぼしきオブジェの写真集です。
内容は鉱石、古書、星座早見、地球儀、貝殻、ヒトデ、カメラ、人形…等々を組み合わせた静物写真。
どのページにも、シュールな味わい(安易な表現ですが)と、無言劇を見るような密度の高い緊張感が漂っています。
飯沢氏は解説の中で、理科室の魅力を「甘美な恐怖と魅惑」と表現していますが、理科室を思うとき、この「恐さと甘さ」という二要素は、まさに事態の核心を突くものだと思います。
そして、その「恐さ」は単にグロテスクなものに対する生理的な嫌悪感ではなく ― それだけの人もいるでしょうが ―、何か一種の「森厳さ」といったものではなかったかと思います。
(ちなみに、書名のパーテル・ノステルとは、ラテン語で「主の祈り」の意味だそうです)
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