理科室アンソロジー(5)…奥成 達・ながたはるみ『なつかしの小学校図鑑』2006年10月17日 06時22分23秒


(同書・本文イラストより)

今日は、特に理科室マニアでもない、「ごく普通」の元・小学生の思い出です。

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○奥成 達(文)・ながたはるみ(絵)
 『なつかしの小学校図鑑』 (いそっぷ社、1999) より
 「苦手な部屋―なんともこわかった無人の理科室」 の一節


「誰もいないからかえってこわかったのは、理科室のホルマリン潰けではないだろうか。蛙や小動物を解剖して、それをホルマリン潰けにした瓶がズラリと並んだ光景は、かなりグロテスクであった。そばにあった水栽培の球根でさえ気持ち悪く見えた。

きわめつけはガイコツと人体模型図で、人間の臓器が派手な彩色をされて置いてある。

無人の理科室が恐れられた最大の理由がこれである。

伝えられる学校の怪談のきわめつけは、ほとんどが埋科室からいつも始まっている。

いま考えればそれほど大きいとは思えない学校でも、小学生にしてみれば迷路のように複雑に見えて、自分のまだ知らない場所がたくさんあった。ジメジメした陽の当たらない校舎の裏や、講堂の裏の物置などは、昼間でもすえたカビの臭いがして気持ちのいいところとは、けっしていえない場所であった。

忘れものをとりにかえったときの、夜の無人の教室や廊下は、薄明かりの中にボオと浮かんでくるものの一つ一つが、そのまま怪談の発端になってくるもののようで、独得の恐怖感をつのらせていた。

しかし、あのミシミシいう木造の階段ももうどこにもなくなってしまったのだろうか。」

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著者の奥成氏は昭和17年の生まれなので、この本で綴られているのは、昭和20年代半ばから末にかけての小学校生活です。

全体に温かい思い出が多い中、氏にとって、理科室はひたすら恐怖の対象であったようです。「水栽培の球根まで気持ち悪かった」といいますから、相当なもの。あの生白い根がダメだったんでしょうか。一般の小学生にとって、理科室にはじっとりと暗い、怪談の舞台めいたイメージが濃厚にあったことがよく分かります。

なお、氏よりも少し後の、いわゆる団塊の世代になると、児童数の急増により、特別教室が普通教室に転用されたため、理科室というものを体験されてない方もいらっしゃるようです。それもまた大いなる不幸であるよ…と、理科室好きとしては思います。