タルホ忌2006年10月25日 22時14分40秒


今から29年前、1977年10月25日に稲垣足穂は没しました。
年忌でいえば、30回忌ということになります。

霊前に供えるものをいろいろ探しましたが、とりあえず万人の足穂への思いを込めて。

■工作舎発行 「遊」
 野尻抱影・稲垣足穂★追悼 臨時増刊号
 ― われらはいま、宇宙の散歩に出かけたところだ ―
 (1977年12月24日発行)

稲垣足穂と野尻抱影(10月30日没)の両巨星が相次いで没した後、松岡正剛氏が不眠不休の編集作業で世に送り出した一本(何でも2週間で作ったとか)。写真は左右それぞれ表紙と裏表紙。

両人を称える各界の声 ―既出の文章と書下ろしが混在しています― を編んだ追悼文集。各ページに天体写真がウォーターマークのように刷り込まれ、その上に並ぶ文字も、挿絵図版も、すべてが青系の色で統一されています。記事の配列は、松岡流の非常に凝ったレイアウト。

一読して感じるのは、当時の「足穂について語るには、かく語らねばならぬ」というスタイルへの捉われのようなもの。どの文章も漢字とカタカナ、それに屈曲した表現に満ち満ちています。その熱気と気負い、肩肘張った感じに70年代を感じます。

(ちなみに、上の写真の表紙は金色の地紙が擦れて、白っぽくなってしまっています。)

コメント

_ shigeyuki ― 2006年10月26日 00時25分47秒

そう、足穂の命日でしたね。
散歩も、三十年目ですか。

この本は、僕は持っていないのですが、読んだ事はあります。楽しい本でした。確かに、七十年代を感じる本でしたね。
最近、ユリイカから足穂の別冊が出ましたね。あれは、この本の続きのような印象でした。

_ 玉青 ― 2006年10月26日 20時29分15秒

shigeyuki さま

「日本怪奇小説傑作集」の第1巻をついこの間読み終わったばかりです。

その最後の作品は佐藤春夫の「化物屋敷」でしたね。渋谷にあった幽霊屋敷での実験談。佐藤にその下宿屋を勧めた者こそ、作中の「石垣」、すなわち若き日の稲垣足穂で、何とも陰気な話でしたが、他ならぬshigeyukiさんのコメントで、そのことを思い出したのも、不思議な暗合です(というわけは、この本はshigeyuki さんに教えていただいたので)。

幽冥界の足穂と妙な具合に共振したんでしょうか、胸の底が一寸ひやりとしました。

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