日本一の昆虫屋…志賀昆虫普及社2006年12月29日 21時21分04秒


(↑本書口絵より。現在の店内の様子)

■『日本一の昆虫屋 -志賀昆虫普及社と歩んで、百一歳』
  志賀夘助(著)、文春文庫PLUS、2004年
  http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4167660776.html

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今日はちらちら雪が舞っていました。
昆虫の話はちょっと季節外れですが、この前チラッと名前が出たので、ここで紹介しておきます。

上掲書は、志賀昆虫普及社の創業者、志賀夘助翁(1903~)の自伝。日本の昆虫趣味の歴史を、業者の視点から綴った、たいそう興味深い本です。

故郷・新潟で貧窮の少年時代を送り、大正8年に、17歳で平山修次郎氏の経営する「平山昆虫標本製作所」に入社(平山氏は戦前の名著『原色千種昆虫図譜』の著者です)。そして昭和6年、28歳で独立するのですが、この辺の経緯は、かなり怨みのこもった筆使いで書かれています。最後は平山氏と完全にケンカ別れの状態でした。そして同年、青山で志賀昆虫普及社を創設。今年で75周年を迎える老舗の歴史は、ここに始まったのです。

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「昭和7年の終わりころになると、店にはかなりの採集器具・研究器具がそろってきました。昆虫への関心を広げていくには、どうしたらいいのだろうか。当時、モダンで高級なイメージの店といえば百貨店です。

…百貨店で大々的に宣伝したせいか、着々と昆虫熱が広がっていきました。とはいえ、まだまだ昆虫採集をする子どもというのは、ごく限られた一部の子どもだったのです。店に来るお得意さまといえば、ことに華族階級の子息が多く、学習院、中学では一中(日比谷高校)などの生徒でした。

子どもたちがあたり前のように昆虫採集をするようになるには、戦後、昭和三十年代まで待たなければなりませんでした。(本書143-146頁)」

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この後、昭和40年代いっぱい昆虫ブームは続き、私も小学生時代にその熱い洗礼を受けたのでした。