グリニッジで雪見!2007年02月16日 15時12分42秒


グリニッジの雪景色といえば、以前、旧グリニッジ天文台、すなわち現在の国立海事博物館のオンラインショップ(http://www.nmm.org.uk/Index.cfm)で、上のような写真を買いました。

薄雪(霜?)をかぶった蕭条とした冬景色。暗い鉛空の色に、この季節特有の陰鬱な気配がよく出ています。いかにもアートな雰囲気のモノクロプリント。(プリント面の高さは約24センチ)

今見たら、同じ図柄のものは置いてありませんでしたが、もっと華やかな雪景色の写真を売っていました。http://www.nmm.org.uk/index.cfm?SelectedProductPLUNo=E9540-461

こちらはパッと明るい銀世界。温かい飲み物を片手に、窓越しにこんな景色が見えたら素敵でしょうね。

なお、プリントサイズは3種類あって、一番大きいものは420 x 594mm と、かなり巨大です(リンク先の15ポンドというのは、このビッグサイズのお値段です)。

再びフラマリオンの 『一般天文学』 について(1)2007年02月17日 22時16分26秒


依然として、気分が何となくフランスづいています。それはデロールの影響もあり、また最近自分の中でファーブルが、小ブームになっていることの反映でもあります。フランス語熱も微熱のように続いていますが、学習の方はまだ全く手付かず。

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ところで、フラマリオンのAstronomie Populaire (http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/01/27/228265)は、表紙だけで、まだ中身をご紹介してなかったので、ここで少し内容を見てみようと思います。

ただ、その前に1つ訂正。以前載せた表紙の写真は、金彩の色を出そうと無理やり加工したため、オリジナルの色合いとは大分違うものになっていました。今回撮り直した上の画像のほうが本物に近い色です。

(この項続く)

再びフラマリオンの 『一般天文学』 について(2)2007年02月18日 14時46分16秒


さて、「読めないのに紹介する」という無理なシリーズを続けます。

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手元にある本は、保存状態が悪く、紙面に茶色の染み(仏 rousseur、英 fox)がたくさん出ています。安い本にはありがちな状態。

フランス文学者で、フランス古書蒐集家でもある鹿島茂氏によれば、挿絵本は挿絵が命で、染みが出たら最後価値はない、ただ19世紀後半の本は紙質のせいで、とりわけ染みが出やすく、美本はそれだけ貴重だそうです。

手元にある本は、まさに無価値の部類(その分廉価)ですが、私の場合はとりあえず雰囲気だけ味わえればよいので、これでも不足はありません。

上は 「原始時代の地球」 と題された章節より。一寸見にくいですが、首長竜や翼竜が禍々しく描かれ、キャプションには、「当時、地球は不思議な生物たちの住む土地であり、荒々しい環境の中で、いつ果てるとも知れぬ戦いが繰り広げられていた」 とあります。

同じモノクロの版画でも、一見してフランスっぽい雰囲気の絵というのが確かにあります。上の絵なども、見た瞬間、“ヴェルヌの『海底2万海里』そっくり!”と思いました。
(この本は、絵師も摺り師も複数参加していますが、主要な挿絵を描いたのはイニシャルCMという画家で、たぶん Charles Mettais という人だと思います。ちなみに『海底…』の方は、ド・ヌヴィルという人だそうなので、残念ながら別人。)

この絵に限らず、挿絵が全般に過度に文学的というか、いきなり神話や伝説上の人物が思い入れたっぷりに登場したりして、そこがフランス風なのか、あるいはフラマリオン風なのかは分かりませんが、とにかく非常に叙情的な味があります。

(この項続く)

再びフラマリオンの 『一般天文学』 について(3)2007年02月19日 23時35分20秒


昨日も書いたような、「あまりに文学的な」挿絵の例。
打ち捨てられた大砲に、1羽の鳥が舞い降り、歌をうたっています。キャプションは、「人間にはお構いなしに、花は開き、鳥はさえずる。自然は自ずから常によみがえる」。

この絵は「太陽の運命:太陽も一つの星に過ぎない」と題された章の中に唐突に出てきて、文脈が今ひとつ分かりにくいのですが、ここで英語版を参照すると、なかなかこれが容易ならぬ章であり、フラマリオン思想の神髄が現れていることがわかります。

(この項さらに続く)

再びフラマリオンの 『一般天文学』 について(4)2007年02月20日 22時28分16秒


英語版(*)では、昨日の挿絵は割愛されていますが、本文はそのまま「太陽も一つの星に過ぎない:その運命」という章に載っています。

(*)http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/11/05/668568
  http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/11/07/693478

著者はまず、広大無辺の宇宙の中で、太陽がいかに小さな存在か、最も近いアルファ・ケンタウリ(ケンタウルス座α星)でさえも、どれほど遠く離れているか、さまざまな比喩を用いて読者を驚かせます。そして、わが太陽も有限の時間内に燃え尽きる、限られた寿命の星であることを指摘し、その後は真っ暗な闇が地上を覆い、太陽系は宇宙を彷徨う墓場となるのだと予言します。

これだけ読むと、通俗的な「科学びっくり譚」であり、人間の卑小さをニヒリスティックに述べているだけのように読めますが、しかし、実はフラマリオンの主張はその後に続くのです。

―しかし、それだけの距離を隔てながらも、我々の太陽はアルファ・ケンタウリと相互に影響を及ぼしあっている。いや、この世の全ての原子は他の全ての原子と重力的につながっているのだ。太陽もいつかは燃え尽きよう。しかし、それが永遠の終わりではない。太陽はおそらく他の星と衝突することによって再び燃えあがり、よみがえる。物質は不滅の存在であり、常に循環しているのだ。我々の肉体を構成する原子・分子はかつて先祖を構成していたものであり、愛しいフィアンセの瞳の輝きは、また雲となり、雨となり大地を潤す。自然界に偉大な物はなく、また卑小な物もない。原子を支配する法則は、同時に宇宙を支配している。重力こそエネルギーの源。それこそが星々に滅びをもたらし、また復活をもたらすのだ。(以上、かいつまんで適当訳)

「そして」と彼は最後に付け加えます。我々の肉体を構成する原子が不滅であるならば、我々の生命力、精神のモナド、自我もまた不滅なのではあるまいか。生命は普遍的であり永遠である― この命題に答を与えうる唯一のもの、それが科学である。

…とまあ、こういった調子で畳み掛けてくるので、フラマリオンが当時の読者に熱狂的に受け入れられたわけもよく分かります。その筆致には、確かに人を興奮させるものがあります。そしてまた同時に、彼が輪廻転生説を信奉し、オカルトに傾倒して行ったのも大いに肯けます。

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なお、フラマリオンの事跡については、先日コメントをいただいた syna さんの解説もごらんください。

http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Vega/1828/bio/flammarion.html

春宵一刻2007年02月21日 22時25分42秒

今日は退職される職場の先輩の送別会でした。
酔眼でモウロウとしているので、記事の方はお休みします。

料理のあしらいは桃の花と菜の花。帰りの夜道には梅の香も漂い、すでに辺りは春の気配。。。。

ダウン2007年02月22日 16時50分52秒

ゆうべ調子にのりすぎたせいでしょうか。
ぞくぞくと寒気がします。仕事を早引けして、今帰宅しました。
これからゆっくり眠ります。
皆さんも風邪&インフルエンザにお気をつけて。。。

人体模型2007年02月24日 18時42分41秒


長い文章を書く気力がありません。げんなり…
少しでも元気が出そうな画像を貼り付けておきます。

部屋の中央に屹立する人体模型。
ガラス扉を開け放ち、下から仰角で撮影してみました。
まるでバーミヤンの大仏像のように力強く見えます。

「人体模型の棚」の棚2007年02月25日 20時46分42秒


iccoさま、Fujimotoさま、Bay Flamさま、お見舞いどうもありがとうございました。
どうやら本復しました。幸いインフルエンザではなく、単純な風邪だったようです。 

それでも家族にうつるといけないと思って、布団をいつもの部屋から書斎に移して、ちょうど昨日の角度で人体模型を見上げるようにして3日間寝ていました。人体模型にずっと看病してもらった形です。彼にも感謝しないといけませんね。

ところで、昨日の写真で模型の頭上が寸詰まりになっていたのは、上のように上部が物置棚になっているせいで、ここも理科室風にいろいろ物が詰まっています。この辺のアイテムも、徐々に記事化していきたいと思っています。

再びフラマリオンの 『一般天文学』 について(5)2007年02月26日 21時51分18秒

この本には、モノクロの挿絵以外に、リトグラフによるカラー図版が数葉含まれています。

写真は火星の地図。白は陸地、緑は海洋です。
ニュートン大洋、ドーズ海、ハイゲンス大陸、セッキの陸地 etc、地名には天文学の偉人たちの名前がずらりと並びます。先人の例も参考にしながら、中にはフラマリオン独自の名称も多数含まれているようです。もちろん、現行の呼称とは全く異なる体系。

ところで、ここに在ってもいいのに無いもの ― それは「運河」です。

火星の運河論争は、この本が出る少し前、1877年にイタリアのスキャパレリが「運河(水路)」を「発見」したことに始まります。

フラマリオンも本文中で ― ただし、参照したのは例によって英語版ですが―、「スキャパレリ氏の発見にかかる運河」によって構成された、「大陸一面に広がる一種の幾何学的なネットワーク」に一応は触れています。が、「本書はかかる特別な発見について詳しく語るべき場ではない」と、詳述を控えています。

彼の火星に対する思い入れは、この本よりも後に出た『火星(La Planete Mars et ses conditions d'habitabilite)』(第1巻・1882、第2巻・1909)という大作に結実しますが、彼はその後も終生、火星の生命と運河の存在を主張しつづけました。

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ところで、素朴な疑問。
仏独文のアクサン記号やウムラウトを簡単に打つにはどうすればいいのでしょうか?(上の書名もアクサン記号が落ちています。)