小鳥たちの饗宴2007年03月01日 23時04分44秒


(今日はファーブルはお休みです。)

気付いたら、もう3月ですね。私の住むまちは、年末に申し訳程度に雪が降りましたが、東京はとうとう雪なしだったそうですね。今日の品は、雪が降ったら紹介しようと思っていましたが、とうとう時機を逸してしまいました。気分だけでも冬の名残をお届けします。

 ☆    ☆    ☆

マサチューセッツ・オーデュボン協会発行の1912年の掛図。石版画(リトグラフ)による作品。北米産の冬の小鳥の図です。

掛図は、過酷な条件で使用されるため傷みが激しく、保存状態が良いものは少ないのですが、これは上の部。100年近く前のものなのに―もっとも、コピーライトは1912年でも、作られたのはもっと後かもしれませんが―、大きな破れもありません。

同協会は、アメリカの偉大な画家・鳥類学者であるジョン・ジェームズ・オーデュボン(1785-1851)の名を負う、愛鳥・自然保護団体。1896年に創設されて以来、すでに100年以上の歴史を持ちます。

絵の描き手は、ルイス・アガシ・ファーテス(1874-1927)。オーデュボン以降、最も偉大な鳥類画家と呼ばれる人物です。

絵柄もいいですね。雪をかぶった野山の景。乏しい餌を求めて木立に群れ集う小鳥たち。白をバックに、常緑樹の緑と、小鳥たちの羽模様が美しく映えています。

吐く息の白い、気分がしゃきっとする、さわやかな冬の朝…。

■参考■

○マサチューセッツ・オーデュポン協会HP
 http://www.massaudubon.org/index.php
○Louis Agassiz Fuertes
 http://www.usaref.org/louis_agassiz_fuertes.htm

偕成社版 『少年少女ファーブル昆虫記』 全6巻2007年03月02日 21時32分38秒


さてファーブルです。

皆さんはファーブルというと、どんな思い出があるでしょうか。
子ども時代の私にとって、ファーブルと言えば、即ちこの古川晴男氏訳の偕成社版を意味していました。もちろん、現時点で最良のテクストを選ぶとすれば、奥本大三郎氏による完訳版(集英社。この企画は現在進行形です)になるのでしょうが、そちらは老いの楽しみに取っておきます。

写真は箱に入った、昭和45年発行の初版。最近になって新たに買い直したものですが、私が子ども時代、本棚に並べていたのとまさに同じ品。表紙のクワガタの絵がとても懐かしい。

『昆虫記』の中で、最も強烈に記憶に残っているのは、このシリーズの第6巻の、サソリと他の虫が決闘するシーンと、同じくファーブル一家がセミの幼虫を試食するシーンです。『昆虫記』全体の中では、どちらかと言うと枝葉の部分だと思いますが、久しぶりに読み返してみて、やっぱり面白かった。(今でもTVで格闘技物とグルメ物をつい見てしまうのは、その影響でしょうか。)

買ってくれたお父さん、本当にありがとう。しみじみ感謝。しかし、考えてみると、当時の父親よりも、今の自分の方がすでに年上なんですね。その事実に愕然とします。(幸い父はまだ健在です。こうしてブログでつぶやくだけでなく、実際に親孝行しないといけませんね)。

ファーブルの本…『昆虫記』の原典を求めて2007年03月03日 19時52分54秒


ジャン・アンリ・ファーブル(1823-1915)の略伝についてはこちら。

●ウィキペディア、ファーブルの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB

さて、少年少女版とは別に、できるだけファーブルその人に近づきたいと思い、古書を探すことにしました。性懲りもなく、ここでも読めないフランス語の本に手を出しています。ある意味愚かしい行為ですが、まあファーブルを偲ぶ記念碑の代わりです。(例えば筋金入りの愛書家も、本を実際に読むことは殆どしないそうですから、それと似たようなものです。)

今回こだわったのは、ファーブルと同じ空気を吸った本、すなわち「ファーブルが存命中に出た本」という点です。

それぞれの書誌については、明日以降書こうと思いますが、こういう(ささやかな)「大人買い」ができるようになったのが、35年前の子ども時代と大いに違うところ。ただし、読書の質の方はほとんど向上していないのが、可笑しくもあり、寂しくもある点です。

(この項つづく)

ファーブルの本(2)… 『昆虫記』 挿絵入り決定版 第1巻 (1914)2007年03月04日 14時05分53秒


ファーブルが昆虫記の初版を出したのは1879年。
彼は既に50代半ばを越えていましたが、衰えを知らぬ彼は、さらに1907年までかけて、昆虫記全10巻を完成させます。彼としては、さらに第11巻にとりかかる気でいたのですが、さすがに気力が続きませんでした。

この時期、彼は最初の妻と死別し、六十過ぎで40歳年下の女性と再婚して、さらに子どもを3人もうけています。いやらしい意味ではなしに、やはり生物学的な精力と精神的な活動力は、密接な関係があるのでしょう。

さて、その後、ファーブルは昆虫記の「決定版」を世に送ることを決意し、息子のポールが撮影した昆虫写真をのせた『昆虫記・挿絵入り決定版』の刊行にとりかかります。そして、現在はこれが昆虫記の定本ということになっています。

写真はその第1巻。(今回買ったのは第1巻だけ。なお、1879年に出た『昆虫記』の初版は、相当な稀本らしく、探しても遂に見つかりませんでした。たぶん見つかっても私の手には届かない価格でしょう。)

この「決定版」が完結したのはファーブルの没後だいぶ経ってから(1924年頃)ですが、第1巻は1914年に出ているので、ぎりぎりファーブルの目に触れたことになります。ファーブル最晩年の、その集大成がこの本なのです。

■DATA■
 Souvenirs Entomologiques. (Premiére Série). Édition Définitive Illustrée.
 Paris, Delagrave, 1914.
 Royal 8vo. 377pp.

体裁はフランス装の仮綴本。貧しげな風情の中にも、アルマス・ファーブル博物館が所蔵する、本物の初版本に通じる雰囲気があります。

※「ふらんす紀行」
 http://www.g-hopper.ne.jp/free/fukuda/toybox/france/fr-index.htm
 というサイト中、↓のページで、その書影を見ることができます。
 http://www.g-hopper.ne.jp/free/fukuda/toybox/france/fr-fm-2.htm
 (いちばん下のほう)

ファーブルの本(3)…『昆虫における本能の驚異』(1913)+『昆虫の生活』(1913)2007年03月05日 05時56分21秒


★左)『昆虫における本能の驚異 ― 昆虫記よりの抜粋、およびツチボタルと
  キャベツの青虫の未刊の物語からなる撰文集』

 Les Merveilles de l’Instinct chez les Insectes. Morceaux choisis.
 Extraits des Souvenirs Entomologiques et histoires inédites de
 ver luisant et de la chenille du chou.
 Paris, Delagrave, 1913.
 半革装、small 8vo., 271pp.

昨日も書いたように、ファーブルは老齢もいとわず、昆虫記第11巻の出版に挑戦します。

「ファーブル85歳の時(1909年)、さらにキャベツのイモムシ、ホタルについて執筆を始め、それぞれを1章ずつで第11巻の2章分にしようとした。果敢なファーブルだったが、残念ながら気力体力の衰えには抗えず、途中で断念。現在、第11巻と言われているのは弟子だったルグロ博士によるファーブル伝を、巻数に数えているのである。」
(『ファーブル昆虫記の旅』、65頁)

いかんせん、仏文が読めないのであやふやですが、この本は「昆虫記、幻の第11巻」の草稿を元にした本らしく思われます。したがって、昨日の『昆虫記』第1巻と併せて、昆虫記の世界の最初と最後を手にしたわけで、気分だけでも全巻買ったような気になろうという試みなのです。


★右)『昆虫の生活 ― あるナチュラリストの回想録』

 Insect Life: Souvenirs of a Naturalist.
 London, Macmillan, 1913.
 クロス装, 8vo, 320pp.

初版は1901年に出ており、抄訳ながら、英語圏で『昆虫記』を訳した最初の本だそうです。文中の挿絵もイギリスで新たに描き起こしたもの。

私が買ったのは、1913年に出たリプリントですが、内容はたぶん初版と同じはず。前書に「昆虫記は、デラグラーヴ社より現在第7集まで出ているが、本書はその初訳である」云々と、ちょっと内容の古いことが書かれています。

内容は22章からなり、タマオシコガネや狩り蜂など、昆虫記のさわりの部分が訳されています。

ファーブルの本(4)2007年03月06日 06時01分10秒


リラの咲く小道で、二人の愛娘に囲まれたファーブル。
(前掲書 『昆虫における本能の驚異』 より)

★   ★   ★

暦は啓蟄。ファーブルを語るのに、いよいよ相応しい季節となりました。

先人の知恵はまことに正しいものです。今日、今年初めて蚊に喰われました。蚊の楽園であるわが家に、今年もまた蚊の季節がめぐって来たのです。いかに昆虫好きでも、これには閉口。長い戦いの始まりです。

ファーブルについては、もう1、2冊紹介すべき本があるのですが、泥縄式に調べていることがあるので、もう一晩寝かせておきます。

ファーブルの本(5)…『植物』 (1892)2007年03月07日 06時44分57秒


(左は『ファーブル植物記』 以下参照)

昨日まで取り上げた本は、1915年にファーブルが亡くなる直前に出た本ばかりですが、今日の本は、彼がまだ意気盛んだった1892年に出た本です(ファーブル、このとき69歳)。

『植物 ― わが子に語る植物学講座』
 La Plante. Leçons à mon fils sur la Botanique.
 Paris, Delagrave. 1892.
 半モロッコ革装, 8vo, 354pp.

最初見たとき、邦訳されている 『ファーブル植物記』 (平凡社、1984)の原典かと思いました。が、それは私の早とちりで、後者は 『薪の話』 (Histoire de la Bûche)という本の訳だそうです。

一方この本も、最近(2004年)岩波から 『植物のはなし』 として翻訳出版されていることを知り、さっそく購入。これで本の中身について頭をなやませる必要がなくなりました。

(出版社による紹介は↓
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/7/0066890.html

ところで、この本はなかなか豪華な装丁が施されていますが、これはいわゆる 「ご褒美本」 です。すなわち、フランスに限りませんが、当時成績優秀な生徒に対して、学校が本をプレゼントする習慣があり、日本でいうならば賞状・褒状の類です。イギリスのように版元装丁が普通の国でも、ご褒美本については、学校のエンブレムが入った特装本であることが少なくありません。

管見のかぎり、ご褒美本は、どれもきれいな、まっさらのままの本が多いようです。ご褒美を貰うぐらい優秀な生徒だから、本を扱うマナーも良かったのか、あるいはご褒美に貰うようなつまらぬ本だから、開きもせずに死蔵していたのか? その辺の真相は不明ですが、どうも後者の疑いが濃いような…。

ファーブルの本(6)…『ファーブル植物記』のことなど2007年03月08日 06時14分11秒


(ご褒美の証し。昨日の本の見返しに貼られた証書。)

昨日の記事の末尾は、自分に引き付けて考えすぎました。やはり、大切なご褒美だから、大事にとっておいたのだ、というのがいちばん自然な解釈のようです。

 *  *  *  * 

さて、昨日、『ファーブル植物記』 を改めて見ていたら、訳者である日高敏隆氏の 「解説めいたあとがき」 という文章が目にとまりました。

 ■  ■  ■  ■

ファーブルといえば 『昆虫記』 である。

けれどファーブルは、そのほかにもいろいろな本を書いている。そのいずれも、全10巻という 『昆虫記』 のような大冊ではなく、一冊本の、そして形式も 『昆虫記』 とはまったくちがう、科学の入門書である。

〔…〕 ふしぎなことに、それらのなかには植物の本がない。ファーブルは昆虫や地質のことばかりでなく、植物のこともたいへんよく知っていたが、植物についてのファーブルの著作は、今、こうして日本語に訳されたこの本だけである。この本の抄訳と思われるものが、昭和5年に 「ファブル科学知識全集」 第9巻 『植物の世界』 (アルス刊)として出版されているが、内容の違うところもあり、原題が記載されていないので、確かなことはわからない。

この本は原題を 『薪〔たきぎ〕の話(Histoire de la Bûche)』 という。やはりファーブルという人物に魅せられて、ファーブルゆかりの地を訪ね歩いた画家の安野光雅氏が、フランスのカレーの図書館でみつけ、大いに興味をそそられてコピーされてきた。〔以下略〕

 ■  ■  ■  ■

と、邦訳出版の事情が書かれています。
もちろん、ファーブルが植物について書いた著作はこれだけ…というのは誤解で、日高氏自身、新しく出た 『植物のはなし』 の 「訳者あとがき」 では、その点を訂正されています。ただ、四半世紀前には、ファーブルの書誌を調べるのもなかなか骨で、文献を「招来」するのも一苦労だったことが改めて分かります。

今では自宅のパソコンの前に座ったまま、パッパッと情報が出てきますし、情報だけでなく「物」の方も、たぶん安野氏が払ったであろうコピー代より安い値段で、原書を発注することも可能になりました。
(というのは即ち発注したということで、いささか酔狂とは思いましたが、でも、1867年、昆虫記が出る20年以上も前に出版されたこの本は、アヴィニョンでばりばりの現役教師だった頃のファーブルをしのぶには、恰好の本だと思ったのです。)

つくづく時代の推移を感じます。昔は良かった。でも今もいいぞ…と思います。

星座のスライド(1)2007年03月09日 21時32分02秒

今日は久しぶりに「天文古玩」の名にふさわしい品です。

スライド、というより「幻燈」と書いた方が感じが出ますが、その幻燈の種板です。木製のフレームに手描きのガラス絵がはめこまれています。絵柄はブルー地に浮かぶ繊細な星座絵。(木枠のサイズは16.5 X 10cm)

ロンドンの Newton 社の製品です。ここは先祖は庭師だそうで、あのアイザック・ニュートンとは関係なさそうですが、18世紀後半から100年以上にわたって営業を続けた、地球儀メーカーの老舗。写真の品は、同社がフリート街3番地に店を構え、光学機器も扱っていた1850年代のものです。

19世紀は講演会が非常に盛んな時期で、それ自体が公衆に知識を普及するメディアでしたが、その際の補助手段として幻燈は欠かせぬ存在でした。もちろん、家庭や学校でも、当時最新のAV機器(?Aはないですね)として、人々の目を楽しませるため大いにもてはやされたようです。

写真の品は、それぞれ大熊座とオリオン座を描いたもので、やはり一般向けの天文講座で用いられたものだと思いますが、透過光で見たその美しい映像はまた明日。(←ちょっと勿体ぶっている)

星座のスライド(2)2007年03月10日 11時57分40秒

1枚目はオリオン座の図。

色ガラスの深いブルーの発色が美しい。ちょっと癖のある、民画っぽいタッチが、おとぎ話めいた味わいを生んでいます。

暗い部屋にこんな巨人の姿がぼんやり浮かぶ様を想像すると、川上澄生や北原白秋があこがれた、憂いを帯びた古い歐羅巴の面影を仄かに感じます。そしてつい「おらいおん」と仮名書きして、傍点を振りたくなるのです。