人文天文学2007年05月31日 21時49分45秒

唐突ですが、「古天文学」という学問分野があります。例えば「日本書紀の推古28年(620)の条に『天に赤気あり。長さは1丈余り。形は雉の尾に似たり』とあるのは、いったい何ぞや?」といったことを考究する学問です。

要するに、天文現象に関する古記録を、<現代の目>で捉えなおして、その正体を明らかにする、あるいはidentifyする、そして古記録を天文データとして生かしていく…というのが、主たる目的・方法論かと思います。一方、私自身の興味関心は、あくまでもそれが<当時の人々の目>にどう映ったかという点で、それを生き生きとリアリティを持って感じられたらいいなと、常々思っています。

たぶん前にも書いたと思いますが、人文と天文の交錯領域こそが私の興味の対象であり、「天文趣味史」を綴りたいという夢も、そこに根ざしているのです。

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いきなり話が大きくなりましたが、彗星についてボンヤリ考えているうちに、上のようなことに思い至りました。

彗星というのも、端的にいって「科学の対象」というより「文学の対象」であった時代が長かったろうと思うのですが、そうした彗星にまつわるもろもろの文学的イメージ、すなわち科学の目からすれば挟雑物でしかない要素こそが、その大きな魅力ではないでしょうか。

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写真は、ジャン=ピエール・ヴェルデ著『天文不思議集』(創元社、1992)。上記のような「人文天文学」を扱った本の例。カラー図版も多く、楽しい読み物となっています。

コメント

_ Bay Flam ― 2007年06月05日 19時11分55秒

へっへっへーっ、私も持っていますぜ、『天文不思議集』。ルビニェツキーの 『彗星の劇場』 から彗星入りの星図が転載されていたからでした。

さて、玉青さんが取り組んでおられる天文趣味史が 「人文と天文の交錯領域」 にあるとのことですが、私がこだわっているウラノグラフィーもまた、同じ領域に属していると思われます。なぜなら、星座にしろ星名にしろ、それは人間が勝手に拵えたものですから、それは人文系の領分。自然科学とは直接無縁だからです。

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