昔日のデロール2007年06月15日 20時48分39秒

(↑3代目エミール・デロール。下記サイトより。)

ここでちょっと寄り道して、デロールの歩みをその公式サイト(http://www.deyrolle.com/historique.htm)から、適当訳でおさらいしておきます。(以下は Google の英訳を元に、想像も交えて書いたので、ひどい勘違いがあるかもしれません。ご叱正を願います。)

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デロールの創業は1831年。〔日本風にいえば、天保2年ですから、ずいぶんと古い話です。〕

創業者は、ジャン=バプティスト・デロールと、その息子アシル・デロール。二人はもともと昆虫学に興味があり、最初は昆虫標本と様々な野外採集用具を中心とした品揃えで、それと並行して剥製の製作も手がけるという経営内容でした〔もちろん、今では後者がメインです〕。その後、1888年に3代目のエミール・デロールが、現在地のバック通りに店を構えました。

かつてのデロールは、学校教育に力を入れており、フランス中の学校に教材や出版物を供給していました。そして、鉱物、貝類、昆虫、植物、骨格、顕微鏡用プレパラート等々、あらゆる標本が大学や個人コレクターの元に送り届られたのです。

剥製の製作も、本来は動物学の講義の一助とするためでしたが、同時に、獲物を記念に残したいという狩猟家のニーズにも応えることになりました。

店に在籍した各分野の専門家のおかげで、多彩な標本はきっちりと整理が行き届き、その膨大な集積は人々の想像力を強く刺激しました。例えば、画家のベルナール・ビュッフェ、マチュー、ダリ、詩人のアンドレ・ブルトン、作家のルイーズ・ド・ヴィルモラン、哲学者のテオドール・モノーといった人々も、たびたびデロールを訪れています。

1866年に店を継いだエミール・デロールは、「デロールの学校博物館(Musee scolaire Deyrolle)」 の名称で、博物掛図の出版を始めました。これは小・中学校から大学まで、さまざまなレベルに合わせた内容で、「事物に即して学ぶ」ことを目指していました。1870年には、すでに何百というテーマの図が作られ、この掛図をすべての学校が備えるように命じた国は、デロール最大の顧客となったのです。

当時の宣伝用パンフレットには、以下のように謳われています。「目で見て学ぶのは易きことながら、かかる教育が好ましい結果をもたらすのは、小児の心に刻まれるイメージが、極めて正確な場合のみである」。

エミール・デロールにとって、この編集作業は年毎にますます重要性を帯び、新しい図版が次々と生み出されるとともに、スペイン、ポルトガル、アルジェリア向けの外国語版も多数作られたのです。

幸い、これらの掛図は今日でも大半が残っており、かつての少年たちが、幸福な子供時代を偲ぶよすがとなっています。

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あのレトロな掛図は、1世紀以上もの間延々と刷られ続けてきたのですね。むぅ、やっぱりデロールは大した存在です。

★付記★
今森光彦さんの 『好奇心の部屋デロール』 では、創業者をエミール・デロールとしていましたが、この点は、訂正を要するようです。