良い週末でした2007年07月01日 21時39分24秒

昨日、談天の会に行ってきました。会の模様については、また別のところで書く予定です。

より 「天文古玩」 ぽい話題としては、会が始まるまでブラブラ散策した、国立天文台の古びた構内風景もなかなか良かったですし、今日は今日で、例の千葉市立郷土館の星図展に大きな衝撃を受け、さらにその後、千駄木の「虫の詩人の館」(奥本大三郎さんが開設した、ファーブルと昆虫の展示館)に立ち寄り、ちょっとほのぼのした気分を味わいました。

実に充実した二日間でした。

それら一連の「収穫」について、明日から何回かに分けて書いていこうと思います。

東京天文台・夏(1)2007年07月02日 21時34分44秒


「国立天文台・三鷹キャンパス」というのが今では正式名称。
しかし、ここでは懐かしい「東京天文台」の名で呼ぶことにします。

東京天文台は、明治11年(1878)本郷に創設され、10年後に麻布に移転、さらに大正13年(1924)に観測適地を求めて東京の西郊・三鷹の地に引っ越してきました。

今でこそ住宅地に囲まれていますが、当時は草深い武蔵野の真っただ中。
今もキャンパスの中には、昔の武蔵野の面影が残ります。

濃い影を落とす緑のトンネル。
今がいちばん緑の濃い季節でしょうか。

ところで、あまり人の意識に上らないことかもしれませんが、私が生い育った土地である東京を訪れたとき一番懐かしく感じるのは、実は土の色なのです。土が茶色い、というのは関東の人間にとっては当たり前のことですが、西の方に行くと土は必ずしも茶色くないんですよ。雨が降らないときは何か灰色っぽい色をしています。

よその土地で暮らすようになって、関東ローム層のあの温かい土の色に改めて愛着を覚えるようになりました。

東京天文台・夏(2)2007年07月02日 21時39分38秒


かまぼこ型の不思議な形の建物。
1924年に建てられた、ゴーチェ子午環用の観測施設です。
古びたクリーム色の外壁に、薄曇りの柔らかい夏の日が当り、植物の緑と美しいコントラストを見せていました。

以下、案内板より。

「子午環は、子午線上の天体の位置(赤経と赤緯)を精密に観測できるように工夫された望遠鏡です。そのため、子午線面内(南北方向)でのみ正確に回転する仕組みになっています。このゴーチェ子午環は1903年フランス製で、1904年当時の価格にして約2万円で購入されました。その頃天文台があった港区麻布の地でしばらく試験的に使用されましたが、1924年に天文台が三鷹へ移転した後、主要観測装置として本格的に稼動し、恒星や月、惑星の位置観測に長い間活躍しました。なお、1923年の関東大震災時は、移転作業のために梱包されていて被害をまぬがれました。」

東京天文台・夏(3)2007年07月02日 21時41分29秒


見学順路でいうと、いちばん手前にあるのが、この第一赤道儀室です。
大正10年(1921)に完成した、東京天文台に現存する最古の建物。
現在、中には1927年製のツァイス20センチ屈折望遠鏡が鎮座しています。

全景はこちら。
http://www.nao.ac.jp/about/mtk/visit/shisetsu_koukai.html

写真は二階バルコニーの手すり。すっかり苔むして、廃屋の美が漂います。

東京天文台・夏(4)2007年07月03日 05時44分05秒


旧図書庫。

「20世紀末まで図書資料を保管していた建物です。アインシュタイン塔と同じように、壁面がスクラッチ(引っ掻き)模様のあるスクラッチタイルで装飾されています。窓の位置、ひさしのデザインなどにも当時の近代建築物の特徴が見られます。」(案内板の解説より)

赤みの強い外観と、うっそうと茂る緑の対比が鮮やかです。
昭和戦前の匂いのする、こういう建物を、少し前までよく見かけたような気がするんですが、いつの間にかすっかり消滅しましたね。ふと気づくと歴史的建造物と化していました。

東京天文台・夏(5)2007年07月03日 05時47分47秒


広々とした空の下、草原の窪地に立つ、謎めいた小屋。

正体は↓のページの一番下をご覧ください。
http://www.nao.ac.jp/about/mtk/visit/shigokan.html

ところで、昨日~今日の5枚の写真を見て、何か連想されないでしょうか。
私は、特にこの原っぱを見たとき、「そうか、これはジブリの景色なんだ」と瞬時に思いました。宮崎駿さんの原風景はきっとこんな状景であり、ジブリ作品に溢れる光と影、緑と風は、こうした風土から生まれたのだと思います。

 ☆  ☆  ☆

今回掲出した記事のうち、ゴーチェ子午環、旧図書庫、そしてこの自動光電子午環は、今年の4月から新たに見学エリアに組み込まれた施設だそうですので、東京天文台には以前行ったよ…という方も、行けばまた新たな発見があるかもしれませんね。

アインシュタイン塔(1)2007年07月04日 05時59分40秒

東京天文台の続きです。

以下、リーフレットから抜粋。

「太陽分光写真儀室(アインシュタイン塔)は〔…〕、1930年(昭和5年)に完成しました。鉄筋コンクリート造りで、屋上にドームが設置された高さ18.6mの地上5階、地下1階建てです。

建物の外観はほとんどが直線で構成されていますが、入口のひさしや屋上のバルコニーには曲線が採り入れられ、外壁は茶色のスクラッチタイル〔…〕で装飾されています。

鉄筋コンクリート造りのスクラッチタイル装飾という建築様式は、フランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテルから始まり、昭和初期に流行したといわれています。

〔…〕太陽分光写真儀室はアインシュタイン塔とも呼ばれています。その由来は、ドイツのポツダム天文台にある「アインシュタイン塔」にあります。このドイツの建物は、物理学者アルバート・アインシュタインがうち立てた一般相対性理論を太陽光の観測から検証する目的で建てられました。三鷹の建物もドイツのアインシュタイン塔と同じ構造と機能を持っているため、この名称が愛称となりました。」

20世紀の科学の夢を見ながら、森の中にまどろむ塔。なかなか絵になる建物です。

なお、ドイツのアインシュタイン塔は↓に既出。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/04/08/1379783

アインシュタイン塔(2)2007年07月04日 06時01分24秒


すっかり錆び朽ちた入口周り。

崩れ落ちたタイル、苔むした階段、静かな廃墟美。。。

科学の亡骸(なきがら)2007年07月04日 06時02分50秒


今回のおみやげは、ずばり 「アインシュタイン塔」 です。

崩落した外壁タイル(6.3x11cm)と、配電用の碍子(ガイシ)。
落ち葉に埋もれていたのを、そっと拾いました。
(盗掘っぽいですが、ここは同天文台のT先生の寛大なお言葉に甘えます。)

当時最先端の科学を担った巨人の聖遺物。白い碍子は、まさに遺骨を思わせます。

碍子は「1955」の年号が入っているので、創建当時のものではありませんが、塔がまだ現役で観測を続けていた頃の物。その後1968年に、太陽観測の機能は岡山の天体物理観測所に移り、塔はその役目を終えました。

(背景は 『東京大学 東京天文台の百年 1878-1978』、東大出版会、1978)

大星図展(1)2007年07月05日 06時25分36秒


東京天文台を後にし、7月1日に訪れた、千葉市立郷土博物館に話を進めます。
今回訪問したのは「お城のプラネタリウム-40年の軌跡-」という企画展を見学するためでした。「お城の―」というのは見ての通りです。

その展示室は、いかにも昭和40年代チックな、何となくショボイ感じもあって(失礼)、そこに古めかしい天文書が並んでいるだけなので、世間一般の目からすると「ふーん…」で終わってしまいそうです。

しかし、星図の歴史に関心のある人ならば、その豪奢なコレクションに頭を殴りつけられたような衝撃を覚えることでしょう。「え、何でこんなものがここにあるんだ!?」という驚き。オリジナルだけ挙げても、16世紀のピッコロミニ星図やアピアヌスの「天文学教科書」、グロティウスの星座図帳にはじまり、17世紀のバイヤー星図にシラーのキリスト教星図等々。…いやはや!

ところで、なぜこの博物館は星図のコレクションを始めたのでしょうか。それは中世の千葉を治めた土豪、千葉氏の歴史をたどることが、この館の目的だから…らしいです。(※)

つまり、千葉氏は月星紋を家紋とし、妙見菩薩(北極星または北斗七星を神格化したもの)を尊崇していました。そして千葉氏と星との縁から、星に関する資料を集め出したらしいのですが、不思議なことに、そのことの説明が館内には見当たりません。

ともあれ、現在のコレクションは、そんな理由付けなど既にどうでもいいような、至極マニアックなレベルに達しています。これがニューヨークの大富豪のコレクション…というなら分るのですが、一地方自治体にこれほどの収集が可能だったというのが、何とも不可思議。まあ、時代も良かったのでしょう。

入館者も少なく、静かな環境で好きなだけ見ていられたのも、人ごみの苦手な私には嬉しい点でした。(しかも入館料60円ですよ!)


※付記: これは展示内容から個人的に想像した、まったくの憶測です。違ってたらゴメンナサイ。