国立科学博物館にて…トロートン望遠鏡 ― 2007年08月15日 16時47分11秒
夏の小旅行も終わりました。8月も残り2週間、暑い暑いといいながら、一抹の寂しさを感じる頃です。
さて、今回の旅行は小学生の息子とともに、谷中・全生庵で幽霊画展を見たり、終戦記念日前日の靖国神社を視察したり(*)、なかなか渋い内容でしたが、メインは今春リニューアルオープンした上野の国立科学博物館の探訪でした。
(*)拍子抜けするほど人も少なく、政治的なアピールも希薄でした。
マスコミの映像はどうあれ、やはり日本人一般にとってヤスクニは
既に遠い存在なのだなと納得しました。
とはいえ、我々親子は地球館を見ただけで時間切れ。今回リニューアルした日本館は、1階部分を走り抜けるだけで終わりました。写真はその1階正面にそびえる「トロートン望遠鏡」です。古色のついた鏡筒に風格を感じます。
で、この望遠鏡の素性なのですが、当日はあまりにも慌てていて、肝心の展示パネルを見落としました。公式サイトもまだ「制作中」となっていて確認不能です。ネットで探すと、例えば文化庁のサイトには、この望遠鏡が重文(何と重文なんですね)に指定された際の説明が以下のように書かれています。(1)
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天体望遠鏡(八インチ屈折赤道儀) 一台 国(国立科学博物館保管) 英国製
(法量)全高 三五七・八cm 鏡筒長 二七五・九cm
鏡筒径 二五・〇cm(最大部) 脚部高 二〇五・四cm
本機は,当時英国の代表的メーカーであったトロートン&シムズ社の製品で,編暦業務を行っていた内務省地理局の観象台(かんしょうだい)に置かれたが,明治二十一年(一八八八)に天体観測と編暦事業が文部省の所管として統合され,地理局と海軍観象台を併せて帝国大学理科大学所属の東京天文台が設立されたときにその所管となった。その後,同天文台が三鷹市に移転したときにそこに移され,昭和四十二年(一九六七)に国立科学博物館に寄贈された。本機は我が国に輸入された最初の本格的かつ最大の望遠鏡で,近代日本天文学の発展に寄与すると共に,先駆者たちが観測に用いた記念碑的存在である。
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これを読むと、1888年以前に内務省地理局が保有していたことは分るのですが、「いつから」というのがはっきりしません。別の記事を見ると、これは岩倉具視が明治の初め(1871~73)に欧米視察に出かけた際に購入したものだと書かれています。(2)
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私〔佐治天文台長・香西洋樹氏〕が、東京大学東京天文台に在職中、古びた1台の屈折望遠鏡がありました。口径は8インチ(20cm)。赤道儀の架台に載せられていました。大きな目盛りと重い錘を持つ如何にも古びた機械装置でしたが、そこには「トロートン&スミス」「ロンドン」と記載された銘板が留めつけられていました。この望遠鏡こそ、この岩倉具視欧米視察団が購入し持ち帰ったものでした。1970年代後半まで、この望遠鏡は望遠鏡の光学系は北極の移動を観測する極望遠鏡として、また架台部分は口径30cmの天体写真用レンズを載せて天体写真の撮影に使用されました。しかし、この望遠鏡も観測技術の近代化には付いて行けず、遂にリタイアーして東京上野公園にある国立科学博物館で展示され、往時を偲ぶ文化遺産として残されています。
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これは『米欧回覧実記』あたりに出てくる実話なのか、それとも伝説に類する話なのか、きっと物の本には既に書かれていることだろうと思うのですが、ちょっと情報が見つかりませんでした。ご教示いただければと思います。
【参 考】
(1) 文化庁: http://www.bunka.go.jp/1hogo/main.asp%
7B0fl=show&id=1000007758&clc=1000011213&
cmc=1000007012&cli=1000007707&cmi=1000007721%7B9.html#top
(リンク先URLが長いとレイアウトが崩れるため、途中に改行を入れてあります。改行を外して移動してください。)
(2) 佐治アストロパーク: http://www.saji.city.tottori.tottori.jp/saji103/tayori/tayori154/seminar.htm
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