まだまだトロートン望遠鏡のことなど ― 2007年09月09日 21時26分49秒
知は力なり―。
調べごとをするとき、参照ツールを知っているのと知らないのとでは、まったく結果が違ってきます。上野のトロートン望遠鏡の由来を考える場合も同様。
関係者にはおそらく周知のことで、今さらながら自分の無知を恥じるのですが、20年前に『東京大学百年史』というのが編纂されていて、その「部局史(三)」という巻に、東京天文台の通史が詳述されていました。
これは前に挙げた「90年誌」や「100年誌」の記述をさらに詳しく、その典拠を明示しながら(さらに随所で一次資料そのものを引用しながら)まとめたもので、すべての議論はここから始めるべきでした。
これを読んで、モヤモヤしていたものが大分すっきりしたのですが、ただこれによって謎が解けたわけではなく、肝心のところは依然ボンヤリしています。以下、『百年史』の該当部分を引用します(改行は引用者)。
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明治21年(1888)に内務、海軍、文部3省の天文観測設備を集めて東京天文台が設立されたとき、地理局より移管されたロンドンのトロートン・シムス製、口径20センチメートル赤道儀があった。
赤坂葵町の地理局構内に据え付けられていたが、前記シャボーの調査報告書に、天文台必要の器械として価格9百ポンドの口径20センチメートル赤道儀がうたわれていることは、明治9年(1876)当時、地理局はこれを所有していないことを示していよう。また次に述べるように、明治13年には、地理局の観測所を江戸城本丸跡に移しているので、トロートン赤道儀が葵町に置かれていたことは、この望遠鏡が明治13年以前に地理局の備品になっていたことを示していよう。
この赤道儀は明治3年10月に文部省が鮫島少弁務使への購入依頼品リスト中にある赤道測角器価格約3万フランと同等の品であるが、こんなものが明治10年頃日本へ到着している様子はないから、鮫島氏へ依託した資金によって購入された望遠鏡は、明治10年から13年の間に、日本へ到着し星学局よりの編暦を引き受けた内務省が手に入れることになったのではなかろうか。
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推測の多い文章です。『百年史』の編者もまた、文部省が購入を計画した望遠鏡が、後に内務省の手に渡ったという筋書きを想定していますが、なぜ望遠鏡の到着が当初の予定より5年ないし10年も遅れたのか、すっきりとした説明がありません。
私は前に、“望遠鏡は1872年頃には既に到着しており、それが数年後に内務省に移管されたのだ”…と考えましたが、しかしそれは考えすぎで、日本に届いた時期は、やっぱり『百年史』が正しいという資料を見つけました。 (次回につづく)
★☆ つぶやき ☆★
それにしても何か散文的というか、つまらない話題ですね。トロートン望遠鏡到来の時期がたとえ数年前後しても、天文学史の大勢に影響はないので、そんなトリビアルなことにエネルギーを注ぐのは無駄、という内心の声もあるのですが、実に行きがかりとは恐ろしいものです。
ともあれ、現時点において、私は日本でいちばんトロートン望遠鏡のことを気にかけている人かもしれません(苦)。
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