賢治の世界へ2007年09月26日 06時38分22秒


話を賢治にもどして少し続けます。

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天文家の書簡やら何やら、古人の肉筆をこれまでもいくつか取り上げましたが、そのように肉筆物にこだわるのは、一種の聖遺物信仰というか、その人の存在をじかに感じたいという思いがあるからです。

この前は、賢治の複製原稿を載せました。が、やっぱり複製は複製で、真の迫力に欠ける憾みがあります。しかし、賢治に直接ちなんだ品がそんじょそこらにあるわけもなく、この場合なかなか「真の迫力」を求めるのは容易ではありません。生前の版本なども現在ではベラ棒な価格なので、庶民には無縁です。

写真はせめて少しでも賢治に近づこうと思って買った本(これなら千円札1枚です)。

■松田甚次郎(編)『宮澤賢治名作選』
 昭和15年第5刷(昭和14年初版)
 羽田書店(東京)

編者・松田甚次郎は明治42年、山形の豪農の家に生れました。賢治より13歳年下にあたります。賢治と同じく盛岡高等農林に学び、その後賢治の「羅須地人協会」の活動に共鳴して、その弟子となりました。「小作人たれ」「農村劇をやれ」という師の言葉を、郷里で熱く実践し、賢治に遅れること10年、昭和18年8月4日に35歳で没しました。その境遇もよく似ており、いわば賢治の一側面を拡大継承した、賢治の分身のような人物です。

そんなことを思いながら見ると、何となく賢治のオーラがこの本を取り巻いているような気がします。しかも、ここから思いがけぬプレゼントが…

(この項つづく)


※ときに昨日の記事の末尾は、人を心配するより先に標本の心配をしているような書きぶりでした。賢治を云々する以前に、人間性をその根本から叩き直す必要があります。