東京天文台・初冬~定点撮影の試み(5)2007年11月20日 19時53分35秒


正門を入って、つきあたりにあった本館。
位置は、現在の本館(管理棟および南北研究棟)と同じ場所です。

完成は大正10年(1921)ですが、これはまだ建築途中の姿をとらえた珍しい画像。
ホワイトボーダータイプの絵葉書で、先の2枚より少し前、別の版元から出たものです。

この建物は昭和20年に焼失…と言うと、誰しも空襲被害だと思うでしょうが、実は失火によるものでした。当時の状況を『東京大学百年史・部局史三』から引用してみます。

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「昭和19年に入ってからは、灯火管制や資材不足、特に写真材料入手難のため、夜間観測は子午儀による時刻観測に限られ、昼間は太陽観測のみに制限された。空襲もしだいに激しくなり、65センチメートル大赤道儀のドームには迷彩が施された。

 そのような折も折、昭和20年(1945)2月8日の早暁、天文台本館に火災が発生した。583坪の木造の建物は全焼し、それとともに多くの貴重な観測記録や写真乾板、時計と測定機械類のほとんどが灰燼に帰したことは、はかりしれない大損失であった。

 〔…中略…〕

 昭和20年2月19日の爆撃では、被害が構内にも及び、また小型機の銃撃を受けるようにもなって、疎開計画が進められた。報時と編暦を中心とする部分の疎開先として、長野県信濃境の地が選ばれたが、疎開実施の直前に8月15日の終戦を迎えた。」(841ページ)

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何とも無念の出来事ですね。我が国随一の歴史を誇る同天文台ですが、歴史的文物が意外に少ないのは、この火災が大きな原因なのでしょう。

(引用が長くなりました。現在の姿はまた明日…)