賢治の幻燈 ― 2007年12月01日 20時07分34秒
昨夜、遅い家路をたどりながら空を見上げたら、ちょうどオリオンが東から南へと体を起こそうとしているところでした。おかえりなさい、冬の巨人。
☆
先日コメント欄で教えていただいたCD『賢治の幻燈』が届きました。
吉良知彦さんの音楽プロデュースで、朗読・ボーカル曲・インストと、いろいろな形式で賢治の世界が美しく表現されています。
【全収録曲】
1. プロローグ
2. 双子の星
3. オツベルと象(第一日曜)
4. グスコーブドリの伝記
5. オツベルと象(第二日曜)
6. かしはばやしの夜
7. やまなし
8. 水仙月の四日
9. オツベルと象(第五日曜)
10. よだかの星
11. エピローグ~銀河鉄道の夜
遥かな、遠い遠い、高い高い、心の先の、その先の、美しく透き通ったものの存在が心いっぱいに広がって、今わだかまっている思いが堰きもあえず、涙が出て止まりませんでした。
私はこれまで賢治を神格化したことはありませんが、しかし、昨日は賢治の心をとても身近な、そして尊いものに感じました。
(我ながらちょっと心の平衡を失っているのかも。まあ、個人的なことを記すのがブログなので、感情過多な表現もご容赦ください。)
愛しき鉱石キャビネット(1) ― 2007年12月02日 16時05分30秒
師走2日目。今日も穏やかな日。
☆
先日ちらと書いた、鉱石の棚を作るための古い小引き出しを手に入れました。
理科室の棚風になるよう少し手を加えました。できれば壁一面の標本棚を置きたいところですが、今の私の居住環境(+経済条件)では、これが精一杯です。それでも、「水晶物語」の主人公のように、引き出しに指をかけそろそろと開けると、中から現れる鉱石のかがやきに思わず息をのみ…という気分は、十分味わえそうです。
美しい鉱石標本を紹介するサイトは世間に多いので、今ここで私の貧弱な標本を紹介することはしません。その代わりに、ここでは「鉱石キャビネット」の魅力を説いてみようと思います。
(この項続く)
☆
先日ちらと書いた、鉱石の棚を作るための古い小引き出しを手に入れました。
理科室の棚風になるよう少し手を加えました。できれば壁一面の標本棚を置きたいところですが、今の私の居住環境(+経済条件)では、これが精一杯です。それでも、「水晶物語」の主人公のように、引き出しに指をかけそろそろと開けると、中から現れる鉱石のかがやきに思わず息をのみ…という気分は、十分味わえそうです。
美しい鉱石標本を紹介するサイトは世間に多いので、今ここで私の貧弱な標本を紹介することはしません。その代わりに、ここでは「鉱石キャビネット」の魅力を説いてみようと思います。
(この項続く)
愛しき鉱石キャビネット(1)…おまけ ― 2007年12月02日 16時08分00秒
愛しき鉱石キャビネット(2) ― 2007年12月03日 19時57分29秒
そもそも、私は鉱石マニアでは全くなくて、「鉱石の並ぶキャビネット」を愛する者なのです。
これは、単品の標本ではなく、総体としてのコレクションを愛でるのとも一寸違います。コレクターとはモノ自体に愛を注ぐ人であり、モノの集積たるコレクションの完成度を競うのに対し、キャビネット好きの人間がこだわるのは、そこに漂う博物学的色彩であり、味わいであり、香気であり、モノを離れた抽象的な「何か」です。
この辺は、どうもうまく説明ができないのですが、例えば「本も好きだが図書館も好き」、あるいは「本以上に図書館が好き」という人は結構いそうです。同様に、博物館の空気が好き、プラネタリウムの空気が好き、という人も多いでしょう。キャビネット好きというのも、それと相通ずるものがあります。
特定の空間に満ちた、そうした「空気」を愛するというのは、たぶんその場所と、過去の深い情緒的経験が、連想の糸で緊密に結びついているためでしょう。ここで情緒的経験というのは、輪郭の明らかな単独のエピソードというよりは(そういう場合もあるかもしれませんが)、いくつかのエピソードが縒り合わされてできた、一種のイメージの束、コンプレックスだろうと思います。
その追体験を求めて、繰り返しその場に立ち返ること、それは「捉われ」以外の何物でもなく、はっきりと強迫的な色彩があるのですが、同時に何ともいえない甘美さを伴うことが、この捉われの特徴です。一種のプルースト的な体験といえばいいのでしょうか。
ともあれ、標本棚や理科室に漂う空気は、私にとってとても大切なものであり、圧倒的な意味を持つものなのです。理科室の魅力や標本棚の魅力を言葉で語ることも、たぶんある程度まではできるでしょうが(だからこそこうしてブログも続けているのですが)、何か言葉にならぬものがその先に控えているのを感じます。
意識の古層に横たわる、言葉を越えた「経験」そのもの、それを求めて今宵も鉱石の棚をそっと開けるのです。
(この項つづく)
これは、単品の標本ではなく、総体としてのコレクションを愛でるのとも一寸違います。コレクターとはモノ自体に愛を注ぐ人であり、モノの集積たるコレクションの完成度を競うのに対し、キャビネット好きの人間がこだわるのは、そこに漂う博物学的色彩であり、味わいであり、香気であり、モノを離れた抽象的な「何か」です。
この辺は、どうもうまく説明ができないのですが、例えば「本も好きだが図書館も好き」、あるいは「本以上に図書館が好き」という人は結構いそうです。同様に、博物館の空気が好き、プラネタリウムの空気が好き、という人も多いでしょう。キャビネット好きというのも、それと相通ずるものがあります。
特定の空間に満ちた、そうした「空気」を愛するというのは、たぶんその場所と、過去の深い情緒的経験が、連想の糸で緊密に結びついているためでしょう。ここで情緒的経験というのは、輪郭の明らかな単独のエピソードというよりは(そういう場合もあるかもしれませんが)、いくつかのエピソードが縒り合わされてできた、一種のイメージの束、コンプレックスだろうと思います。
その追体験を求めて、繰り返しその場に立ち返ること、それは「捉われ」以外の何物でもなく、はっきりと強迫的な色彩があるのですが、同時に何ともいえない甘美さを伴うことが、この捉われの特徴です。一種のプルースト的な体験といえばいいのでしょうか。
ともあれ、標本棚や理科室に漂う空気は、私にとってとても大切なものであり、圧倒的な意味を持つものなのです。理科室の魅力や標本棚の魅力を言葉で語ることも、たぶんある程度まではできるでしょうが(だからこそこうしてブログも続けているのですが)、何か言葉にならぬものがその先に控えているのを感じます。
意識の古層に横たわる、言葉を越えた「経験」そのもの、それを求めて今宵も鉱石の棚をそっと開けるのです。
(この項つづく)
愛しき鉱石キャビネット(3) ― 2007年12月04日 21時27分05秒
ごく私的なことですが、鉱石キャビネットからの自由連想。
■ ◇ ■ ◇ ■
冷たい、ずっしり、理科室の暗幕、埃の匂い、H先生の黒い顔…
条痕板、茶碗の糸底、拾った石は辰砂だった、嬉しい…
「化石?」、親は違うと言った…
秩父、ハンマー、地層、クリノメーター、『採集と標本の図鑑』、白黒図版…
火成岩、第3紀、新生代、お菓子の缶に敷き詰めた脱脂綿、花崗岩、雲母…
博物館、ガラス越し、半ズボン、火山の断面、木箱、岩…
ルーペ、「ルーペには赤いリボンを付けると良い」…
断崖、三角州、四角い木の椅子、泥で汚れた窓、裏庭…
H君が持っていた化石、白い箱、欲しい、科学者、白衣…
■ ◇ ■ ◇ ■
こうして綴っていると、だんだん狂おしい気分になってきます。
隠蔽していた記憶の扉をふと開けてしまう恐れもあるので、こういうのはあまり遊び半分にやらない方がいいのかもしれません。
それにしても、出てくるのは鉱物ではなく、岩石と化石のイメージばかりのような。
子ども時代には、美麗な鉱物標本など、あまり身近になかったせいでしょう。
いずれにしても、そこにあるのは、美しい鉱石への単純な憧れではなく、むしろ色彩としては白と黒のイメージがまさっています。そして断片化した感覚的記憶、不安と悲哀の感情。そんなものが記憶にこびりついているのを、我ながら初めて知りました。
『星の小箱』…きらめく星座絵カード(1) ― 2007年12月05日 22時57分05秒
昨日はちょっと病んだ記事だったので、口直しに愛らしい品を載せます。
☆ ☆ ☆ ☆
街はもうすっかりクリスマスムードですね。
写真は、クリスマスプレゼントにぴったりの星座絵カード。
★THE BOX OF STARS: A Practical Guide to the Night Sky
and its Myths & Legends.
Catherine Tennant(編), Bulfinch Press、1993.
洒落た外箱は約15 x 22cm、中のカードはそれより若干小ぶりです。
星の位置に小穴が開いていて、光にかざすと本物の星座のように見える楽しい品。これはぜひ福音館あたりで日本語版を出してほしいですね。
☆ ☆ ☆ ☆
街はもうすっかりクリスマスムードですね。
写真は、クリスマスプレゼントにぴったりの星座絵カード。
★THE BOX OF STARS: A Practical Guide to the Night Sky
and its Myths & Legends.
Catherine Tennant(編), Bulfinch Press、1993.
洒落た外箱は約15 x 22cm、中のカードはそれより若干小ぶりです。
星の位置に小穴が開いていて、光にかざすと本物の星座のように見える楽しい品。これはぜひ福音館あたりで日本語版を出してほしいですね。
『星の小箱』…きらめく星座絵カード(2) ― 2007年12月05日 22時59分15秒
『星の小箱』(3)…オリオン ― 2007年12月06日 20時44分02秒
『星の小箱』(4)…おうし座 ― 2007年12月06日 20時44分52秒
暗い理科室 vs. 明るい理科室 ― 2007年12月07日 20時05分22秒
昨日の朝日新聞の朝刊を見て、「おっ」と思いました。
■ ■
小学生のころ、木造校舎の理科室は、近づきたくない場所だった。遮光した薄暗がりにホルマリン漬けの標本がひっそり並び、何より、あの人体模型が突っ立っていた。オバケが出るという噂もあった。▼あのころの理科室の光景が、同世代の「科学する心」にどう作用したかは知らない。今の理科室は明るく、設備も充実していると聞く。ところが日本の15歳は、科学への興味が世界でも際立って低いらしい。明るくない実態が浮かび上がっている▼経済開発協力機構(OECD)の国際学力テストの結果、日本は…〔以下略〕 =天声人語=
■ ■
「そうか!理科室が明るくなったために、理科の魅力が薄れ、学力が下がったんだな」…というのは完全な誤解で、天声人語子の主張を曲解していると思いますが、しかし、そう思いたくなるほど理科に対する「情念」が薄まっているのは事実のようです。
まあ、日本一国にとらわれず、他国に理科好きの少年少女が輩出しているなら、それはそれで結構だと思いますが、しかし身近な子どもたちと話が噛み合わなくなるのは、少々寂しいことですね。
それにしても、あの「天声人語」に、理科室と人体模型が載るのは、ひょっとしてこれが最初?で最後かもしれません。それを思うと、これは歴史的な紙面ではありますまいか。
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