戦前の少年向け鉱石標本 ― 2007年12月21日 20時54分48秒
いわゆる鉱石趣味、すなわち美々しい鉱物の原石を蒐集して楽しむ行為が大衆化したのは、ここ20年のことと書きました。ただ、それとはちょっと違った形の鉱石嗜好が昔はあったのでは?―という気もしています。
それを窺わせるのは、箱入り鉱石標本の存在です。
箱を小さく仕切って、そこに親指の頭ほどの岩石・鉱物を収めたもので、今でも細々と売られていますが、オークション等で目にする頻度からすると、戦前は今とは桁違いにたくさん販売されていたように思います。その流通量は、昭和40年代の子供向け顕微鏡にも匹敵する程だったかもしれません。いわば当時の理科少年の must have アイテムです。
(以上は多分に想像がまじっていますが、非常に陳腐な存在だったことは、少年時代の稲垣足穂が「こんな代物こそ、その辺の洟たらしが持っている見本ではないか!」と、激しく憎悪したことからもうかがえます。http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/12/22/1043114参照)
写真は戦前のもので、箱の大きさは16×23.5センチ、厚さは約2.5センチ。
「尋常小学校」という名称や、メーカー所在地である「東京市中野区」という地名表記からすると、これは1932年(昭和7)~1941年(昭和16)の間に作られたものと分ります。
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さて、肝心の中身の方はまた明日。
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