パロマー物語…クリスマス・イヴに寄せて2007年12月24日 16時55分46秒

(パロマー山天文台の初日カバー各種。すべて1948年製。)

いよいよクリスマス・イヴですね。
先日(12月11日)匂わせた、パロマーの絵葉書とクリスマスの話を書こうと思います。

先日の絵はがきは、カリフォルニアに住むMさんという女性から購入しました。今から3年前のことです。

Mさんとは、写真(↑)の初日カバーセットを購入したことがきっかけで、メールのやり取りが始まりました。その中で、絵葉書を譲ってもらう話も出たのですが、結局、前後30回以上メールの交換をしました。買い物がきっかけで、先方と個人的なやりとりが始まることは、他にも例がないではないですが、さすがにこれほど密にやりとりしたのは、Mさんだけです。

Mさんはパロマーの近くで生まれ育ち、そして大人になってから、パロマーにちなむコラージュ作品を作ろうとして、これらの初日カバーを集めたそうです。結局その試みは未完に終わり、潔く手放されたそのコレクションを引き継いだのが私というわけです。

そしてMさんが語ってくれたパロマーの思い出というのが、「ちょっといい話」で、パロマーというと、今でもまっさきにそれが脳裏に浮かびます。ちょっと長いのですが、Mさんの話をここに書きとめておきます。

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私が2歳半のとき、望遠鏡の主鏡が、トラックに載せられてエスコンディードの町(今も私が住む町です)を通過していきました。それはまさに私の家の前を通ったのです。

両親もそのときのことはよく覚えておりました。コーニング社は、それまでとは桁違いの鏡を作り出したといので、それはもう大変な騒ぎでした。それに、私の父もまたアマチュア天文家だったのです。

鏡を山頂まで運び上げるためには、パロマー山に沿って幾重にも曲がりくねった道を作らねばなりませんでした。山の住人たちが道路作りに精を出しました。この道は、現在サウス・グレード(S-6)として知られ、パロマー山に出入りするメーン道路になっています。

1983年から1990年まで、私はある男性といっしょにパロマー山頂で暮らしていました。彼の祖父に当る人が、天文台建設のためカリフォルニア工科大学に土地を提供したのです。彼氏の所有する谷あいの土地で、馬に乗って牛たちを駆り集めていると、谷の向こうにぼんやりドームが見えたものです。雪が大地を覆った月明かりの晩には、ドームが真っ白に光り輝き、その光景は本当に息を呑むほどでした。

毎年クリスマス・イヴになると、台長がこの「天空の巨大な目(the Big Eye In The Sky)」を地元住民に開放してくれて、300名ほどが集まります。私たちもよく行きました。こうして私は、イブの晩に200インチ望遠鏡を使って、土星の環、パルサー、ハレー彗星の尾、その他たくさんの素晴らしい光景を目にしたのです。もっとも、ご存知でしょうが、この望遠鏡は一連の鏡の集合体であり、200インチ鏡を直接覗いたというわけではありません。

中でもいちばん楽しかったのは、台長が主鏡を旋回するときに、ドーム外のキャットウォーク(廻廊)に出ることでした。なぜなら、ドームが動くと、ちょうど巨大な回転木馬に乗っているような気分が味わえたからです。足元には雪に埋もれた彼氏の谷が広がり、空気は思い切り新鮮だし、何ともいい香りがしたものです。パロマーの暗い空のおかげで、空は何百万もの星でライトアップされていました。

こうした感覚から、数多くの夢が紡がれる ― いえ、「紡がれた」のです…

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私が雪のパロマー絵葉書を気に入っているわけも、これでお分かりいただけるでしょう。

それでは、皆さま、よいクリスマスを!!

コメント

_ Akiyan ― 2007年12月27日 23時33分19秒

雪のパロマ山。
月明かりの天文台。
ホワイトクリスマスの情景。
山頂暮らし。
上質の物語を読み終えた気分になれました。

_ 玉青 ― 2007年12月28日 20時24分40秒

Mさんとは、純粋にメールを介してのやりとりに限られていたのですが、とてもスケール感のある方でした。

上記以外にも、パロマーとその周辺の自然について、いろいろお話をうかがいましたが、真情にあふれる、心に迫る物語が多かったです。

思えば、ネットというのは、なかなかいいものですね。ネットがなかったら、Akiyanさんとも一生接点はなかったでしょう。

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