神霊降臨天文台2008年01月26日 13時50分33秒

(出口王仁三郎とクシー君)

今日はハーシェル協会の仕事に専念するはずでしたが、これは書かずにはおられない。

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ポップでレトロ―。稲垣足穂に強い影響を受け、名作「クシー君」シリーズで一部に熱狂的なファンを生んだ、マンガ家・イラストレーターの鴨沢祐仁氏が、今月亡くなりました。

晩年は(あまりにも早すぎた晩年ですが)、長期の鬱病に苦しまれ、創作活動も思うにまかせず、経済的にも非常に困窮されたということで、ある意味では生き様そのものが劇的色調を帯びた方といえるのではないでしょうか。

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さて、鴨沢氏が遺された文章(公式サイト http://www.kamosawa.com/ )を見ていて、妙な記述を見つけました。

氏の天文嗜好をはぐくんだのは、郷里・岩手にあった奇妙な天文台だというのです。

★自作解題 鴨葱堂のカモフラージュ・ノートー2−
 『キチンポット氏の土星旅行』●「ガロ」1976年五月号
 (http://diary.jp.aol.com/3t2fvrp/10.html

〔…〕オートバイで土星にジャンプする話はタルホからの剽窃だが、土星に関しては特別な思いでがある。
 町外れの高台にあった幼稚園の隣に奇妙な天文台が建っていた。それは、平等院鳳凰堂のような純和風寝殿造の堂々としたシンメトリー構成の正面左端に銀色に光るドームを載せたコンクリート三階建て純白の塔がドッキングした実にエキセントリックな建物だった。小学生になって天文に興味を持ち何度かそこを見学した。そして、当時東北最大と自慢していた65cm屈折赤道儀で覗かせてもらったのが土星だった。
 それは想像していた。太陽、木星に次ぐ大きさを誇るカッコイイ土星とは大違いで、驚くほどの小ささだった。しかし確かにミニチュアのリングも付いていて、ぼーっと儚げに光るチャーミングな姿はまるで模型だった。後に土星が自分の星座・山羊座の守護星であることも知り、ぼくはすっかり土星ファンになったのだ。この天文台での体験は、他のマンガや様々な創作シーンでのヒントにもなっている。〔…〕

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65センチ屈折とはまた途方もないサイズです。ひょっとして鴨沢氏の記憶違いかもしれませんが、それにしても純和風の屋根と大ドーム、これはいったい…??

鴨沢氏によれば、この天文台は後に以下のような運命をたどったとのこと。

「我が郷里北上に在ったアナナイ教の天文台は、昭和30年頃「天文普及」と言う理由で市から土地等助成を受け活動をしたが、段々に「天文活動」ではなく、人を集めては「宗教活動」が主体になり、活動理由が違うという事で市から立ち退きを迫られ、3千万程出し撤去させられたそうである。」
http://blog.goo.ne.jp/kamonegi_001/e/98e845b06ced191b7b4a409eb016a77a

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アナナイ教。「三五教」と書いて「アナナイ教」と読みます。
明治に創始され、異能の宗教者・出口王仁三郎の活動で知られる「大本教」の分派。創設は戦後間もない昭和24年で、開祖は中野与之助(1887-1974)という人物です。

★宗教教団情報データベース http://www.rirc.or.jp/data/output.cgi?id=99022601

三五教は、宗教活動の一環として、各地に天文台を建設していきます。鴨沢氏が胸を躍らせた、奇怪な天文台もまさにその一つでした。

その三五教に協力したのが、誰あろう偉大なる天文学者にして啓発家であった山本一清氏(東亜天文学会創設者)であり、氏が一時京大の花山天文台に据え付けた「46センチ・カルヴァー鏡」は、その後、沼津の教団施設に移され、そこで使用されました。ここは現在の月光天文台(http://www.gekkou.or.jp/)の前身にあたります。

この辺の事情、そしてカルヴァー鏡の行方については、以下に記述があります。

★坂井義人氏・「小川天文台の話(3)」
 http://www.bekkoame.ne.jp/~masa-ki/ogawa_tenmondai/histry/history_03.html

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あえてコメントはしませんが、何とも摩訶不思議な精神の水脈が、日本の天文シーンをひそかに彩っていたことは確かです。

この話、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、宗教が絡んでいるということで、あまりあからさまに語られることがなかったように思います。私は今日初めて知りました。ちょっと頭がボーっとしています。

コメント

_ shigeyuki ― 2008年01月27日 22時14分56秒

面白い話ですね。
出口王仁三郎ですか。
よく知っているわけではないですが、有名な神秘家ですね。
天文学には、昔からある種の胡散臭さの系譜が寄り添っていますが、日本でもこんな話があるんですね。

_ 玉青 ― 2008年01月28日 21時24分14秒

そうなんですよ。しかも、ティコ・ブラーエとか、ケプラーの時代ではなしに、20世紀後半の日本にそうした例のあったことに驚きを覚えます。

リンク先の記述にあるように、山本一清氏は敬虔なクリスチャンで、決して三五教に帰依したわけではない…と聞くと、一層何が何やらわからなくなってきます。

それにしても、平等院鳳凰堂のような天文台とは実際どんな姿だったのか、この目で見てみたい気がします。

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