沈黙の医療室 ― 2008年02月02日 09時12分59秒
天文趣味とも理科趣味とも関係ありませんが、前回と同じ榴岡(つつじがおか)小学校の医療室内部を写した絵葉書です。
どうですか。この絵葉書、いいでしょう。
左右に悄然と立つ校長先生と教頭先生(←想像)。椅子に手をかけ、無表情であらぬ方に目をやる看護婦。しばし無言で見詰め合う医師と少女。そして医師の憂いを帯びた顔。みな寂として声なく、鉄瓶から噴出すシューシューという湯気の音だけが聞こえてくるようです。
明らかに演出写真ですが、むしろ演出過剰で、画面全体に不条理で不可解なムードが漂っています。
ストーブや凝ったテーブルもいいですし、背後の薬品棚は理科室テイストが入っていて、これまた良いですね。左手背後に座る3人の子どもたちも、それぞれに良いです。
どうですか。この絵葉書、いいでしょう。
左右に悄然と立つ校長先生と教頭先生(←想像)。椅子に手をかけ、無表情であらぬ方に目をやる看護婦。しばし無言で見詰め合う医師と少女。そして医師の憂いを帯びた顔。みな寂として声なく、鉄瓶から噴出すシューシューという湯気の音だけが聞こえてくるようです。
明らかに演出写真ですが、むしろ演出過剰で、画面全体に不条理で不可解なムードが漂っています。
ストーブや凝ったテーブルもいいですし、背後の薬品棚は理科室テイストが入っていて、これまた良いですね。左手背後に座る3人の子どもたちも、それぞれに良いです。
疲れた日 ― 2008年02月03日 20時57分32秒
今日は各地で雪だったそうですね。私の住むまちは一寸冷たい雨が降ったぐらいで、雪を拝むことはできませんでした。
さて、今日は日曜出勤で、いろいろ雑務も重なり、疲労が濃いです。
精一杯元気を出して豆をまき、ガリガリ年の数だけかじっても、自分の齢を再認識するばかりで、こういう日はもう早く寝るに限ります。
さて、今日は日曜出勤で、いろいろ雑務も重なり、疲労が濃いです。
精一杯元気を出して豆をまき、ガリガリ年の数だけかじっても、自分の齢を再認識するばかりで、こういう日はもう早く寝るに限ります。
星を見る魚 ― 2008年02月04日 20時56分04秒
「スターゲイザー stargazer」という語を、私は「星マニア」「天文ファン」の意味で使い、その語感から、なんとなく洒落た言い方だと受け止めていました。
実際そういう文脈で使われることもあるので、必ずしも間違いとは思いませんが、どうも本来の意味は少し違ったようです。もう30年近く連れ添っている(!)『岩波新英和辞典』で、この単語をふと引いたら、
(1)(戯)天文学者;星占い師
(2)理論家;夢想家
(3)みしまおこぜの類(魚の名)
と載っていました。元々あまり「かっこいい」イメージではなかったようです。
★
一寸おどろいたのは、スターゲイザーという魚がいることでした。
さっそく荒俣宏氏の『世界大博物図鑑』魚類編を見ると、果たして載っていました。写真の左上が、日本産のミシマオコゼ(Uranoscopus japonicus)。右上が英語で言うところの(狭義の) スターゲイザー(Uranoscopus scaber)で、荒俣氏はこの図鑑を編むに当たって、新たに「ホシニラミ」の和名を与えています。
解説文を抜き書きしておきます。
ミシマオコゼ
スズキ目ミシマオコゼ科 Uanoscopidae 8属25種の総称、およびその1種。
【名の由来】
属名ウラノスコプスは、ギリシア語の<空 uranos>を<見るもの skopos>
の意で、この魚の目が上を向いていることにちなむ。仏名〔註:uranoscope〕
もこれに準ずる。
【博物誌】
アリストテレス≪動物誌≫に、沿岸性で、胆のうが大きいとされる<美名魚>
は、ミシマオコゼ科のニラミオコゼである。頭頂部に目があり、たえず天を見て
いるので<ウラノスコプス>(天を見るもの)という学名にもなった呼称が、ギ
リシア時代にも使われた。天を見るのは人間の特権であるから、<美しい名をも
つ>魚なのである。
★
stargazer といい、uranoscope といい、いかつい顔に似ず良い名前ですね。その顔も、よくよく見れば、なかなかひょうきんで、親近感が持てます。
(G倶楽部やY星商会あたりで、ぜひキャラものにいかがでしょうか。ちなみに味も美味だそうです。。。)
実際そういう文脈で使われることもあるので、必ずしも間違いとは思いませんが、どうも本来の意味は少し違ったようです。もう30年近く連れ添っている(!)『岩波新英和辞典』で、この単語をふと引いたら、
(1)(戯)天文学者;星占い師
(2)理論家;夢想家
(3)みしまおこぜの類(魚の名)
と載っていました。元々あまり「かっこいい」イメージではなかったようです。
★
一寸おどろいたのは、スターゲイザーという魚がいることでした。
さっそく荒俣宏氏の『世界大博物図鑑』魚類編を見ると、果たして載っていました。写真の左上が、日本産のミシマオコゼ(Uranoscopus japonicus)。右上が英語で言うところの(狭義の) スターゲイザー(Uranoscopus scaber)で、荒俣氏はこの図鑑を編むに当たって、新たに「ホシニラミ」の和名を与えています。
解説文を抜き書きしておきます。
ミシマオコゼ
スズキ目ミシマオコゼ科 Uanoscopidae 8属25種の総称、およびその1種。
【名の由来】
属名ウラノスコプスは、ギリシア語の<空 uranos>を<見るもの skopos>
の意で、この魚の目が上を向いていることにちなむ。仏名〔註:uranoscope〕
もこれに準ずる。
【博物誌】
アリストテレス≪動物誌≫に、沿岸性で、胆のうが大きいとされる<美名魚>
は、ミシマオコゼ科のニラミオコゼである。頭頂部に目があり、たえず天を見て
いるので<ウラノスコプス>(天を見るもの)という学名にもなった呼称が、ギ
リシア時代にも使われた。天を見るのは人間の特権であるから、<美しい名をも
つ>魚なのである。
★
stargazer といい、uranoscope といい、いかつい顔に似ず良い名前ですね。その顔も、よくよく見れば、なかなかひょうきんで、親近感が持てます。
(G倶楽部やY星商会あたりで、ぜひキャラものにいかがでしょうか。ちなみに味も美味だそうです。。。)
『アマチュア望遠鏡愛好家の手引』より…英国と米国 ― 2008年02月05日 21時54分20秒
■以前の記事 http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/12/30/2537099
この本にようやく目を通しました。著者のギブソンは、なかなか世話好きな人のようで、入門者向けの細かい助言のあれこれが面白かったです。そのことはいずれまた書くでしょう。
繰り返しになりますが、この本が出たのは1894年。著者はアメリカ人で、その経歴はよく分かりませんが、1893年付けの前書きはワシントンで書かれています。1894年といえば、日本では明治27年、日清戦争で国中がワーワー騒がしかった頃ですね。
さて、ここで問題。当時、イギリスとアメリカのアマチュア天文界には、ある大きな違いがありましたが、それは何でしょう…?
★
イギリスとアメリカ―社会構造は違っても、ハイカルチャーの面では似たりよったりと思っていたのですが、この本を読んで「ああそうか」と納得したことがあります。
>> 答は、アメリカではまだ反射望遠鏡が使われていなかったことです。
ギブソンはこう書いています。
「反射望遠鏡については叙述を控えた。この機材はアメリカではほとんど知られていないからである。もっとも、将来は好んで用いられることは間違いない。イギリスでは― 銀メッキガラス鏡が発明されて以来特に ―同口径の屈折望遠鏡に較べて安価であるため、反射望遠鏡こそアマチュア向けの望遠鏡だといっても過言ではない状態が続いている。今後本書の改訂版が出る機会があれば、必ずや反射望遠鏡に紙幅を割くことになろう。」
アメリカでは「小口径屈折がアマチュアの友」という時代が、19世紀末になっても継続していました。そのことを、はっきり指摘した同時代の文献として、これはなかなか貴重だと思います。
そして、この屈折望遠鏡優位の時代は、この後も容易に終わることなく、アメリカに反射望遠鏡ブームが訪れるのは、さらに1世代が経過した後だった…と言えば、ピンと来る人もいるでしょう。
(この項つづく)
この本にようやく目を通しました。著者のギブソンは、なかなか世話好きな人のようで、入門者向けの細かい助言のあれこれが面白かったです。そのことはいずれまた書くでしょう。
繰り返しになりますが、この本が出たのは1894年。著者はアメリカ人で、その経歴はよく分かりませんが、1893年付けの前書きはワシントンで書かれています。1894年といえば、日本では明治27年、日清戦争で国中がワーワー騒がしかった頃ですね。
さて、ここで問題。当時、イギリスとアメリカのアマチュア天文界には、ある大きな違いがありましたが、それは何でしょう…?
★
イギリスとアメリカ―社会構造は違っても、ハイカルチャーの面では似たりよったりと思っていたのですが、この本を読んで「ああそうか」と納得したことがあります。
>> 答は、アメリカではまだ反射望遠鏡が使われていなかったことです。
ギブソンはこう書いています。
「反射望遠鏡については叙述を控えた。この機材はアメリカではほとんど知られていないからである。もっとも、将来は好んで用いられることは間違いない。イギリスでは― 銀メッキガラス鏡が発明されて以来特に ―同口径の屈折望遠鏡に較べて安価であるため、反射望遠鏡こそアマチュア向けの望遠鏡だといっても過言ではない状態が続いている。今後本書の改訂版が出る機会があれば、必ずや反射望遠鏡に紙幅を割くことになろう。」
アメリカでは「小口径屈折がアマチュアの友」という時代が、19世紀末になっても継続していました。そのことを、はっきり指摘した同時代の文献として、これはなかなか貴重だと思います。
そして、この屈折望遠鏡優位の時代は、この後も容易に終わることなく、アメリカに反射望遠鏡ブームが訪れるのは、さらに1世代が経過した後だった…と言えば、ピンと来る人もいるでしょう。
(この項つづく)
ATM…鏡面磨きの時代 ― 2008年02月07日 22時51分48秒
(前回のつづき)
ATM と言っても、現金自動預け払い機のことではありません。
天文マニア(の一部)がATMと言った場合、それはしばしば Amateur Telescope Making / Maker(アマチュアによる望遠鏡製作/アマチュア望遠鏡製作家)を意味します。
1920年代にアメリカの片隅で芽吹き、30年代に花開いた、反射望遠鏡の自作ブーム。多くの天文ファンが、寝食を忘れて鏡を磨き、自作望遠鏡でうっとりと星を眺めた時代が、かつてはありました。
そのことを綴るには、自作派天文マニアの聖地、アメリカ・バーモント州にあるステラフェーンと、その開祖ラッセル・ポーターとアルバート・インガルスのことを書かねばなりませんが、今日はとりあえずリンクだけ張っておきます。明日以降、かいつまんでノートしようと思います。
★ステラフェーン公式サイト
http://stellafane.org/
★Wikipedia ステラフェーン
http://en.wikipedia.org/wiki/Stellafane
★Wikipedia ラッセル・ポーター
http://en.wikipedia.org/wiki/Russell_Williams_Porter
写真は、インガルスが編んだ記念碑的著作“AMATEUR TELESCOPE MAKING”(1928)の口絵で、描き手はラッセル・ポーターその人。題して、"3A.M. AND STILL AT IT"「午前3時、なおもまだ」。
深更に及んでも黙々と鏡面磨きを続ける男性。夜の気配がひたひたと伝わってくるような絵です。
ステラフェーン ― 2008年02月08日 23時00分51秒

(↑ステラフェーン公式サイトより。伝統的にピンクに塗られた建物。)
(昨日のつづき)
ステラフェーンとは、バーモント州スプリングフィールドの丘の上に立つ、クラブハウス兼天文台の名前です。(Stellafane の名は、「星の神殿」を意味するラテン語 stellar-fane からとりました。)
1920年、地元に住む15人の男性と1人の女性が集い、ラッセル・ポーターから鏡面磨きを習うことを誓い、これが後に「スプリングフィールド望遠鏡製作家協会」へと発展していきます。
1923年、協会の創設後まもなくして、この地にステラフェーンの建物が完成し、以後ステラフェーンは同協会のシンボルとして、その物理的・精神的結節点となります。地元の有力者、ジェームズ・ハートネスの支援があったことも、協会を大いに力付けました。(ハートネス自身、熱狂的な天文マニアであり、彼が作った奇抜な望遠鏡は以前も取り上げました。http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/07/01/428096)
そうした噂を聞きつけて、ポーターに接触してきたのが、「サイエンティフィック・アメリカン」誌の編集者、アルバート・インガルスでした。インガルスはそれ以前から独自に望遠鏡作りに興味があり、熱心に情報を探していたのです。この辺の消息は、彼が編んだ AMATEUR TELESCOPE MAKING に詳しく述べられています(後述)。
ともあれ、インガルスのジャーナリストの才もあずかって、この望遠鏡自作熱は、1920年代から30年代にかけて全米に急速に広まっていきました。
スプリングフィールドでは、当時から現在に至るまで、毎年夏に天文マニアの大規模な集会(一種のお祭り)が開かれています。今では「ステラフェーン」と言えば、上記クラブハウスの名であると同時に、このお祭りの代名詞としても使われています。
(この項つづく)
(昨日のつづき)
ステラフェーンとは、バーモント州スプリングフィールドの丘の上に立つ、クラブハウス兼天文台の名前です。(Stellafane の名は、「星の神殿」を意味するラテン語 stellar-fane からとりました。)
1920年、地元に住む15人の男性と1人の女性が集い、ラッセル・ポーターから鏡面磨きを習うことを誓い、これが後に「スプリングフィールド望遠鏡製作家協会」へと発展していきます。
1923年、協会の創設後まもなくして、この地にステラフェーンの建物が完成し、以後ステラフェーンは同協会のシンボルとして、その物理的・精神的結節点となります。地元の有力者、ジェームズ・ハートネスの支援があったことも、協会を大いに力付けました。(ハートネス自身、熱狂的な天文マニアであり、彼が作った奇抜な望遠鏡は以前も取り上げました。http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/07/01/428096)
そうした噂を聞きつけて、ポーターに接触してきたのが、「サイエンティフィック・アメリカン」誌の編集者、アルバート・インガルスでした。インガルスはそれ以前から独自に望遠鏡作りに興味があり、熱心に情報を探していたのです。この辺の消息は、彼が編んだ AMATEUR TELESCOPE MAKING に詳しく述べられています(後述)。
ともあれ、インガルスのジャーナリストの才もあずかって、この望遠鏡自作熱は、1920年代から30年代にかけて全米に急速に広まっていきました。
スプリングフィールドでは、当時から現在に至るまで、毎年夏に天文マニアの大規模な集会(一種のお祭り)が開かれています。今では「ステラフェーン」と言えば、上記クラブハウスの名であると同時に、このお祭りの代名詞としても使われています。
(この項つづく)
雪あそび ― 2008年02月09日 17時27分18秒
今日は本格的な雪。
一日ぼんやりと窓から雪を眺めていました。
今日は記事を書くのも物憂いので、古い本から雪遊び2景を載せます。
左★Gerald C. Craig & Agnes Burke
SCIENCE ALL ABOUT US.
Ginn & Co., 1950
右★しょうがくせいのりか1ねん(下)
二葉株式会社、1960
いずれも「生活の中で学ぶ」ことを重視した理科の教科書らしく、全体にあまり理科っぽい描写はなくて、むしろ社会科の教科書を思わせます。
半世紀前の冬を過ごす、日米の元気な子どもたちの姿を見ていると、いろいろなことが心に浮かびます。
日本の子供はみな素朴な身なりで、わらぐつにカンジキを履いたりして頑張っていますが、まあ、今より生命力・生活力に富んでいたことは間違いないでしょう。
ところで、アメリカの雪だるまは足があって、鼻が高いんですね。
対する日本側は、伝統的な炭団の目鼻。
これは文化の違いというより、生物学的差異の反映のようにも思いますが、どうでしょうか。
1926年、反射望遠鏡作りのビッグバン ― 2008年02月11日 13時31分33秒
★Albert G. Ingalls (ed.)
AMATEUR TELESCOPE MAKING
(左)Scientific American Publishing, 1928, 285p.【第2版】
(右)Munn and Co., 1935, 499p.【第4版】
この本は、1926年に102頁からなる初版が出てから、繰り返し増補を重ね、どんどんボリュームアップしていきました。今では分厚い3巻本になっているそうです。
1935年の第4版の序文(1932年執筆)には、本書成立の事情と、ATM=アマチュアによる望遠鏡製作が、いかに伸張していったかが書かれています。
「それは全くの偶然だった―」。アルバート・インガルス(1888-1958)は、冒頭そう述べています。図書館で「貧者の望遠鏡 The Poor Man’s Telescope」と題する雑誌記事に出会ったことが、全ての始まりだったと。1921年の「Popular Astronomy」誌にそれを寄稿したのが、ラッセル・ポーター(1871-1949)で、さらに探してみると、バーモントの住人たちが、ポーターの指導の下、望遠鏡作りに励んでいる1923年の記事も見つかりました。
インガルスは喜び勇んでニューヨーク図書館に出かけます。情報のあふれる今の時代、嫌というほど関連本が見つかるに違いない。しかし、事実は違ったのです。当時、英語圏に存在したアマチュア向け望遠鏡作りの本はわずかに1冊、それもアメリカでは売られてなかった…とインガルスは書いています。これが1920年代初めの実情でした。
その本は、アイルランドのアーマ天文台長、ウィリアム・エリソンの書いた『アマチュアの望遠鏡 The Amateur’s Telescope』という本でした。イギリスからそれが届き、その内容に目を見張っていたとき、運良くポーターとも面識が得られました。
ここで、インガルスのジャーナリストとしての才が発揮されます。
エリソンの本とポーターの助け、そして「サイエンティフィック・アメリカン」というメディアがあれば、ATMという趣味は科学好きの大衆に大受けするのではあるまいか?
果たしてその通りでした。1925年、同誌で取り上げた記事への反響は上々でした。
これに力を得て、エリソンの本やポーターの記事を再録する形で、本書(Amateur Telescope Making)の初版が出たのが、1926年のことです。
「時が経つにつれて、望遠鏡作りの趣味はますます多くの読者の関心を集め、熱を帯び、ときには殆ど熱狂的な状態(almost fanatical)にまでなった。1926年以降、同誌の全ての号に望遠鏡製作関連の記事が載り、望遠鏡作りのクラブが多くのコミュニティで結成された。」
まさに「ブーム」といってよい状態が巻き起こったのです。
「エリソンがその序章で述べているように、望遠鏡製作に関しては、『ハーシェルの時代以来、アマチュアがプロに道を教え、導いてきた』。1926年に、望遠鏡作りという趣味がイギリスから入ってきてからというもの、新たな同様のしるしがいくつも目に付く。〔…〕本書を頼りに、ちっぽけな6インチ望遠鏡作りに手を染めた人間が、もう一人のリッチー〔望遠鏡作りの名手〕になる…数年後には必ずそうなるだろうし、そうならなかったらむしろ驚きである。多くのアマチュアは、すでにプロと同レベルの仕事を行っているのだ。」
インガルスは序文をこう結んでいますが、まことに意気盛ん。
ちなみにエリソンの知識と技術は、山崎正光、それに中村要といった先人に摂取され、我が国にも時をおかず導入されたのですが、アマチュアへの普及という点では、アメリカに大きく水を開けられました。この辺はやはり経済力の差でしょう。一部尖端的なマニアを除き、鏡面磨きが趣味として普及したのは、戦後、木辺成麿氏が『反射望遠鏡の作り方』(1950)を出したあたりからではないでしょうか。(←想像です)
エレキ!エレキ!エレキ! ― 2008年02月12日 07時45分27秒

いささか狂ったタイトルを付けましたが、またまた凄いページを知りました。
Royal Blue さんのブログ(http://blog.goo.ne.jp/royalbluejp 【2月8日の記事】)で教えていただいたSPARKMUSEUM(凄い名前!)。
★SPARKMUSEUM http://www.sparkmuseum.com/
ジョン・ジェンキンスさんという方が35年以上かけて蒐集した、エレキ関係の極上アンティークが、これでもか!というほど並んでいます。
とにかく凄いです。
18世紀から20世紀初頭―。魔術的な色彩を帯びた「エレキテル」の時代から、産業革命を経て、輝かしい科学文明の象徴となるまで、人々の生活に大変革をもたらし、常にその想像力を刺激してきた「電気」。その歴史を物語る、珍奇で雑多な品々。
その品目の多さも驚きですが、質もまた最高です。
ガラス、金工、木工技術の粋を尽くした、ファインアートと呼びうる品がずらり。
スチームパンクの徒は、よろしくこれを見て悶絶されて下さい。
いや、恐れ入りました。
(今日は箸休め。反射望遠鏡の話題はもう少し続きます。)
Royal Blue さんのブログ(http://blog.goo.ne.jp/royalbluejp 【2月8日の記事】)で教えていただいたSPARKMUSEUM(凄い名前!)。
★SPARKMUSEUM http://www.sparkmuseum.com/
ジョン・ジェンキンスさんという方が35年以上かけて蒐集した、エレキ関係の極上アンティークが、これでもか!というほど並んでいます。
とにかく凄いです。
18世紀から20世紀初頭―。魔術的な色彩を帯びた「エレキテル」の時代から、産業革命を経て、輝かしい科学文明の象徴となるまで、人々の生活に大変革をもたらし、常にその想像力を刺激してきた「電気」。その歴史を物語る、珍奇で雑多な品々。
その品目の多さも驚きですが、質もまた最高です。
ガラス、金工、木工技術の粋を尽くした、ファインアートと呼びうる品がずらり。
スチームパンクの徒は、よろしくこれを見て悶絶されて下さい。
いや、恐れ入りました。
(今日は箸休め。反射望遠鏡の話題はもう少し続きます。)
寄り道の寄り道 ― 2008年02月13日 22時41分20秒

(コルベ氏験電器。大阪教育大学蔵)
また勢いで脇道に入ってしまいますが、昨日の記事にいただいたRoyalBlue さんのコメントにあるように、ビジュアル的には今一つながら、国内のサイトにも古い機器や標本をまとめて拝めるところは多々あります。コメントで挙がっていたのは以下のページ。
★東京大学総合研究博物館データベース
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/web_museum/database.html
★国立科学博物館データベース
http://research.kahaku.go.jp/db/japanese/index.html
こうしたナショナルな場所が、横綱級の充実振りを見せているのは、ある意味当然ですが、もっと「学校の理科室」的な親しみの感じられる場所もそちこちにあるようです。
古い学校のある所、必ず古い備品あり。
そして奇特な先生がいれば、それを丹念に調査して、ネット上にも公開しているというわけです。ちょっと探しただけでも、すぐ次のようなページが見つかりました。探せば、もっと沢山あることでしょう。
★新潟大学展示館(旧制新潟高校、同長岡高等工業時代の備品類)
http://museum-eng.eng.niigata-u.ac.jp/
★大阪教育大学・種村研究室(天王寺師範学校時代の物理実験機器)
http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~masako/shihan/item/exp_item.htm
そして、こんな風にきちんと整理されてない学校の方が圧倒的に多いのでしょうから、そういう現場をぜひ生で見てみたいです。黒々とした機器が、埃や蜘蛛の巣をかぶって、ひっそりと棚に眠っている光景は、なかなかそそるものがあります。
■ □ ■
さて、こうしてドンドン脇道に入っていくと、何か「一見有限、実は無限」というフラクタル図形の上を歩んでいるような気がしてきます。反射望遠鏡の話、賢治先生の話、そして銀河鉄道の話と、徐々に元の道に引き返さねば。。。
また勢いで脇道に入ってしまいますが、昨日の記事にいただいたRoyalBlue さんのコメントにあるように、ビジュアル的には今一つながら、国内のサイトにも古い機器や標本をまとめて拝めるところは多々あります。コメントで挙がっていたのは以下のページ。
★東京大学総合研究博物館データベース
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/web_museum/database.html
★国立科学博物館データベース
http://research.kahaku.go.jp/db/japanese/index.html
こうしたナショナルな場所が、横綱級の充実振りを見せているのは、ある意味当然ですが、もっと「学校の理科室」的な親しみの感じられる場所もそちこちにあるようです。
古い学校のある所、必ず古い備品あり。
そして奇特な先生がいれば、それを丹念に調査して、ネット上にも公開しているというわけです。ちょっと探しただけでも、すぐ次のようなページが見つかりました。探せば、もっと沢山あることでしょう。
★新潟大学展示館(旧制新潟高校、同長岡高等工業時代の備品類)
http://museum-eng.eng.niigata-u.ac.jp/
★大阪教育大学・種村研究室(天王寺師範学校時代の物理実験機器)
http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~masako/shihan/item/exp_item.htm
そして、こんな風にきちんと整理されてない学校の方が圧倒的に多いのでしょうから、そういう現場をぜひ生で見てみたいです。黒々とした機器が、埃や蜘蛛の巣をかぶって、ひっそりと棚に眠っている光景は、なかなかそそるものがあります。
■ □ ■
さて、こうしてドンドン脇道に入っていくと、何か「一見有限、実は無限」というフラクタル図形の上を歩んでいるような気がしてきます。反射望遠鏡の話、賢治先生の話、そして銀河鉄道の話と、徐々に元の道に引き返さねば。。。
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