1926年、反射望遠鏡作りのビッグバン2008年02月11日 13時31分33秒


★Albert G. Ingalls (ed.)
 AMATEUR TELESCOPE MAKING
 (左)Scientific American Publishing, 1928, 285p.【第2版】
 (右)Munn and Co., 1935, 499p.【第4版】


この本は、1926年に102頁からなる初版が出てから、繰り返し増補を重ね、どんどんボリュームアップしていきました。今では分厚い3巻本になっているそうです。

1935年の第4版の序文(1932年執筆)には、本書成立の事情と、ATM=アマチュアによる望遠鏡製作が、いかに伸張していったかが書かれています。

「それは全くの偶然だった―」。アルバート・インガルス(1888-1958)は、冒頭そう述べています。図書館で「貧者の望遠鏡 The Poor Man’s Telescope」と題する雑誌記事に出会ったことが、全ての始まりだったと。1921年の「Popular Astronomy」誌にそれを寄稿したのが、ラッセル・ポーター(1871-1949)で、さらに探してみると、バーモントの住人たちが、ポーターの指導の下、望遠鏡作りに励んでいる1923年の記事も見つかりました。

インガルスは喜び勇んでニューヨーク図書館に出かけます。情報のあふれる今の時代、嫌というほど関連本が見つかるに違いない。しかし、事実は違ったのです。当時、英語圏に存在したアマチュア向け望遠鏡作りの本はわずかに1冊、それもアメリカでは売られてなかった…とインガルスは書いています。これが1920年代初めの実情でした。

その本は、アイルランドのアーマ天文台長、ウィリアム・エリソンの書いた『アマチュアの望遠鏡 The Amateur’s Telescope』という本でした。イギリスからそれが届き、その内容に目を見張っていたとき、運良くポーターとも面識が得られました。

ここで、インガルスのジャーナリストとしての才が発揮されます。
エリソンの本とポーターの助け、そして「サイエンティフィック・アメリカン」というメディアがあれば、ATMという趣味は科学好きの大衆に大受けするのではあるまいか?

果たしてその通りでした。1925年、同誌で取り上げた記事への反響は上々でした。
これに力を得て、エリソンの本やポーターの記事を再録する形で、本書(Amateur Telescope Making)の初版が出たのが、1926年のことです。

「時が経つにつれて、望遠鏡作りの趣味はますます多くの読者の関心を集め、熱を帯び、ときには殆ど熱狂的な状態(almost fanatical)にまでなった。1926年以降、同誌の全ての号に望遠鏡製作関連の記事が載り、望遠鏡作りのクラブが多くのコミュニティで結成された。」

まさに「ブーム」といってよい状態が巻き起こったのです。

「エリソンがその序章で述べているように、望遠鏡製作に関しては、『ハーシェルの時代以来、アマチュアがプロに道を教え、導いてきた』。1926年に、望遠鏡作りという趣味がイギリスから入ってきてからというもの、新たな同様のしるしがいくつも目に付く。〔…〕本書を頼りに、ちっぽけな6インチ望遠鏡作りに手を染めた人間が、もう一人のリッチー〔望遠鏡作りの名手〕になる…数年後には必ずそうなるだろうし、そうならなかったらむしろ驚きである。多くのアマチュアは、すでにプロと同レベルの仕事を行っているのだ。」

インガルスは序文をこう結んでいますが、まことに意気盛ん。

ちなみにエリソンの知識と技術は、山崎正光、それに中村要といった先人に摂取され、我が国にも時をおかず導入されたのですが、アマチュアへの普及という点では、アメリカに大きく水を開けられました。この辺はやはり経済力の差でしょう。一部尖端的なマニアを除き、鏡面磨きが趣味として普及したのは、戦後、木辺成麿氏が『反射望遠鏡の作り方』(1950)を出したあたりからではないでしょうか。(←想像です)