江戸庶民とプラネタリウムの遭遇 (前編) ― 2008年02月17日 19時53分27秒
13日の記事へのS.U.さんのコメント。
「プラネタリウムといえば、仙台漂流民の聞取記 「環海異聞」 巻十巻
(1807)末尾にペテルブルクで漂流民が見たという施設の図が出てき
ますが〔…〕 『環海異聞』 をカラーで公開しているところをみつけま
した。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/kankai/frame_10.html
プラネタリウムの図はなかなか美しいです。」
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上記九大のサイトに載っている「環海異聞」の解題によれば、
「『環海異聞』は、文化元年(1804)、ロシア政府が派遣した第二回遣日
修好使節のニコライ・レザノフに伴われ、ロシア初の世界一周船ナデジ
ダ号に乗り長崎へ帰還した、仙台藩領石巻の廻船若宮丸漂民の聞書
き記録である。
〔…〕江戸時代の漂流記としては『環海異聞』は『北槎聞略』に次ぐ二
番目のものとなるが、世界一周見聞録としては日本初のものであるとい
える。
若宮丸は、船頭平兵衛ら16人の乗り組みだった。このうち水主〔かこ〕
津太夫、儀平、左平、太十郎の4人がロシアに約10年滞在したのち、約
2年間の世界一周を経て帰国している。彼ら(太十郎を除く)の見聞を蘭
学者大槻玄沢・志村弘強が記録した。記録に際し、不明瞭な点について
は玄沢が参考資料を各方面から収集し、また絵画の上手い門人を伴い、
漂民の傍らで絵図にまとめ、質問、訂正の上百数図を作成した。その際
には先の『北槎聞略』も参考にされたという。」
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要するに、思いもかけぬ大冒険を果たした東北の船乗りたちの体験記。その中に巨大なプラネタリウムとの遭遇の次第が記されているというのですから、これは大いに興味をそそります。
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一行は、ペテルブルグで時の皇帝アレクサンドル1世(在位1801~1825)に謁見した後、熱気球を見物したり、博物館を見て回ったり、いろいろ驚きの体験をするのですが、その後ある建物に案内されます。
中にあったのは、4間(7.2メートル)ほどの巨大な球。よく見ると、その表面には小さな扉があり、内部に入れるようになっています。「大仏の胎内に入りたるが如し―」。原文では内部の印象をこう記しています。うつろな空間は、実際以上に大きく感じられたのでしょう(挿絵だと、直径20メートルぐらいはありそうですね)。そこに置かれた椅子に腰を掛け、どきどきしながら待つことしばし。
「一方のネジを廻したれば、入口は塞がり、上の方に月とあまたの星現れ…」。どんな仕掛けになっているのか、球体の内部が回転をはじめ、天体の運行が眼前に繰り広げられ、その不思議さに一行は目を見張ります。「何といふわけのものか、又如何の仕態〔しわざ〕物成るや弁へざる事なり」。
この装置は、聞書きした大槻玄沢の興味もいたくそそったらしく、特に2枚の挿絵(外観と内部)が描かれました。
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そして―。このプラネタリウムは何と現存します。
それはまた明日…(ご存知の方はネタばらしをしないように)
(なお、上に掲げた図は、九大のサイトではなく、国立天文台のサイトからの引用です。出典:http://library.nao.ac.jp/kichou/open/024/24-2.jpg)
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