江戸庶民とプラネタリウムの遭遇 (後編) ― 2008年02月19日 00時13分56秒

(↑下記サイトより)
明治維新のはるか昔、江戸の船乗りがロシアで見たプラネタリウムとは??
世の中は広いようで狭いと思いますが、その正体は、先日ちらと触れたキルヒャー協会のサイトに載っていました。
■The Gottorp Globe http://www.kirchersociety.org/blog/?p=344
この古風なプラネタリウムは 「ゴットルプ球儀」 がその正式な名前。かつて北ドイツを領したホルシュタイン=ゴットルプ公爵家にちなむ名だそうです。
建造は1650年代で、元は公爵家の庭の一角に置かれていました。実際の直径は3メートルといいますから、昨日の記事にあった 「約7.2メートル」 というのは誇大で、ましてや例の挿絵はとんでもない誇張ですが、まああれぐらい大きく感じられたということでしょう。
構造は図に見られるとおりです。銅でできた球の外側には地球儀、内側には天球儀が描かれ、水力で球体がゆっくりと回転する仕組。ベンチに車座に座った客人の頭上を、ランプの明かりで照らされた星座絵が廻り、ガラス製の月や太陽が黄道上を動きました。
その後、ゴットルプ公爵が追放され、1713年頃にこの球儀はフリードリッヒ4世からロシアのピョートル大帝に贈られ、ペテルブルグにやってきました。しかし、1747年の火事で球儀は大破してしまいます。(津太夫たちが見たのは、1748年から1752年にかけて再建された2代目の球儀です。ただし、木組みはオリジナルの材を用いるなど、全くのリプロというわけでもありません。)
さらに下って、第2次大戦中にはドイツ軍がこれを略奪、戦後に米軍が押収してソ連に返還…と、世界情勢の荒波にもまれつつも、球儀は今もペテルブルグのロモノソフ博物館に健在です。
もし球儀が口をきけるものなら、いろいろな歴史ドラマを静かに語って聞かせてくれることでしょう。
※この記事は以下の本も参考にしました。
Henry C. King,
GEARED TO THE STARS.
University of Toronto Press, 1978
明治維新のはるか昔、江戸の船乗りがロシアで見たプラネタリウムとは??
世の中は広いようで狭いと思いますが、その正体は、先日ちらと触れたキルヒャー協会のサイトに載っていました。
■The Gottorp Globe http://www.kirchersociety.org/blog/?p=344
この古風なプラネタリウムは 「ゴットルプ球儀」 がその正式な名前。かつて北ドイツを領したホルシュタイン=ゴットルプ公爵家にちなむ名だそうです。
建造は1650年代で、元は公爵家の庭の一角に置かれていました。実際の直径は3メートルといいますから、昨日の記事にあった 「約7.2メートル」 というのは誇大で、ましてや例の挿絵はとんでもない誇張ですが、まああれぐらい大きく感じられたということでしょう。
構造は図に見られるとおりです。銅でできた球の外側には地球儀、内側には天球儀が描かれ、水力で球体がゆっくりと回転する仕組。ベンチに車座に座った客人の頭上を、ランプの明かりで照らされた星座絵が廻り、ガラス製の月や太陽が黄道上を動きました。
その後、ゴットルプ公爵が追放され、1713年頃にこの球儀はフリードリッヒ4世からロシアのピョートル大帝に贈られ、ペテルブルグにやってきました。しかし、1747年の火事で球儀は大破してしまいます。(津太夫たちが見たのは、1748年から1752年にかけて再建された2代目の球儀です。ただし、木組みはオリジナルの材を用いるなど、全くのリプロというわけでもありません。)
さらに下って、第2次大戦中にはドイツ軍がこれを略奪、戦後に米軍が押収してソ連に返還…と、世界情勢の荒波にもまれつつも、球儀は今もペテルブルグのロモノソフ博物館に健在です。
もし球儀が口をきけるものなら、いろいろな歴史ドラマを静かに語って聞かせてくれることでしょう。
※この記事は以下の本も参考にしました。
Henry C. King,
GEARED TO THE STARS.
University of Toronto Press, 1978
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