天を振り仰ぎ、地に呻吟2008年04月02日 21時26分35秒

4月ですねえ。

当初の計画では、今頃は例の作業も終わり、堂々のブログ再開…の予定でしたが、まあそれは一種の大本営発表で、そう易々と事が運ぶはずもなく、作業は依然続行中です。

今は、黄金週間までにカタを付けることを「絶対防衛線」と定め、これを死守する覚悟です。昔の日本の絶対防衛線のようにあっけなく破らることは断じてない、はず。されど生死の到来ははかりがたし(意味不明)。

古本屋さまざま2008年04月05日 12時26分18秒

今日もモノの紹介は省略です。

先日、ちょっと面白そうな天文古書を見つけて注文したら、そのアイルランドの本屋さんから、昨夜私の留守中に電話がかかってきたそうです。

当然のごとく、我が家の老若男女はテンヤワンヤで、その様を陰から見ていたらさぞかし面白かったと思うんですが、でも、古本屋から電話をもらったのは初めてだなあ…

内容はAサイトを通すより、Iサイトから注文してもらうと、マージンの関係で1割安くなるよという、至極親切な申し出でした(これでは埒が明かんと思った本屋さんが、後からメールをくれたので判明)。

そういえば、前に買い物をしたドイツの本屋さんが、「うちの‘悪魔’はお前さんと同じ国の人間なんだが、彼女のお袋さんがK市にいるはずだから、電話番号を調べてくれないか。俺はどうしてもお袋さんと話をしないといけないんだ!」というようなメールをよこしてきたことがありましたが、彼らはその後円満に話がついたんだろうか…。

ネットを通じての買い物とはいえ、画面の向こうにいるのは生身の人間なので、時には寸劇めいたことも起きたりします。

理科室にたたずむ白い影2008年04月12日 09時40分33秒


真っ暗なトンネルを手探りで歩きながら、遠くにぽつんと光が見えてきた…そんな状況です。もう一息。

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さて、多忙なときは息抜きとして、ヒマなときはヒマだから、結局常時モノを買っているので、いろいろとり上げたいモノも多いのですが、とりあえず今日は理科室の絵葉書を1枚載せておきます。

理科室の内部ではなく、その外部を写した比較的珍しいもの。
キャプションには、

 水原小学校開校満二十周年記念
 (其ノ四) 校舎ノ一部(理科室)

と書かれていますが、場所不明。売り手の方は「朝鮮?」と注を付けており、調べてみると確かにそれらしい場所もあるので、日本治下の半島の様子なのかもしれませんが、どうもはっきりしません。

瓦葺きの独立した建物。こうした形式の理科室もあったのですね。
左手には車寄せの付いた出入口が見えますが、そこからこちらをジッと見る1人の少女。

この絵葉書は戦前の、それもかなり古い時代のものだと思いますが(※)、少女の服装が昭和30年代チックというか、妙に新しく見えるのもいっそう謎めいた感じです。「学校の怪談4」にこんな子が出てきませんでしたか(校舎が津波に呑み込まれ水死した子どもの霊が云々という話)。

これは何という印刷形式なのか、セピア色の画像は全体におぼろで、すべてが夢の中の光景のようです。



(※)下記サイトによると、日本の絵葉書は、「通信文記載欄の有無」、「名称が “きかは便郵” か “きがは便郵” か(濁点の有無)」 等が判別の目安になるそうです。この基準に照らすと、この絵葉書は明治30年代という、実に古いものとなるのですが、果たしてどんなもんでしょうか。デザイン的には大正~昭和1ケタぐらいの感じを受けます。ちなみに日韓併合条約の締結は明治43年(1910)のことでした。

■絵葉書資料館「絵葉書の年代推定法」  http://www.ehagaki.org/contents11.html

パトリック・ムーア卿からの手紙2008年04月20日 10時21分41秒


パトリック・ムーア卿と聞くと、世間の人はアガサ・クリスティのミステリーに出てくる老富豪か何かを想像するかもしれませんが、戦後イギリスにおける天文普及の大家で、いわばイギリスの野尻抱影のような人です。(1923年のお生まれだそうで、実年齢で言うと1885年生まれの抱影翁より1世代下に当ります)。

1957年から続く「夜の空 Sky at Night」というBBCのテレビ番組のプレゼンターとしての顔がたぶん最も有名。(最長寿プレゼンターとしてギネスにも載っているらしい。)

その名物天文家からお手紙を頂戴したという話。

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もう公にしてもいいと思いますが、日本ハーシェル協会の関係する本(ジョン・ハーシェルの伝記)の発刊準備が進んでいて、私も紙原稿をデータに起こしたり、諸方面に連絡を取ったり、編集助手のような格好で参加しています。

件のパトリック卿からの手紙は、その図版の使用許可にかかわるもので、私個人への手紙というよりは、協会の一事務局員としていただいたものです。まあ一種の役得ですが、こういう嬉しい巡り合わせも多々ありますので、皆さんもふるって御入会を…と、このことが結局言いたかったのでした。。。(冗談ではなくて、本当に皆さんよろしくお願いします。)

 ■日本ハーシェル協会 http://www.ne.jp/asahi/mononoke/ttnd/herschel/

(ちなみに、私が今プライベートに訳している本は、この伝記とは全然別物です。そんなこんなで肝心の「天文古玩」は少々寂しい状況が続いております。)

魚の腹から鍵、そして本の中から…(1)2008年04月26日 21時07分47秒


「…イギリス、ウースター地方にあるイーヴシャム寺院の年代記は古文書に綴られた次のような謎に満ちた話を、些細な修正を加えて再録している。

ウインチェスター教区の初期の司祭であり、イーヴシャム寺院を8世紀に創設した聖エグウィンは、思いがけないスキャンダルに巻き込まれた。その汚名をそそぐために、彼はローマへ公開の旅をする決意をした。ちょっと芝居がかってはいるが、彼は出発前に自分の足に足枷にかけ、その鍵をエイヴォン河に投げ入れた。

ローマに向かう洋上を帆走していたとき、一匹の魚が海から甲板に跳ね上がってきた。その魚を切開すると……中から例の鍵が出てきた。記録によれば、その魚は実際はローマを貫流するチベル河でとったそうだ。いずれにしても、法王は、その出来事が聖エグウィンの完全な無実を意味すると考え、彼は身の潔白を証されて英国に戻ってきた。」

(J・ミッチェル、R・リカード『怪奇現象博物館』、北宋社より)

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皆さんは、こうした不可思議な体験をされたことがおありでしょうか。

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先日ネットで買った古書から1枚の紙がはらりと落ちました。
見ると、「東京三越呉服店に開催の『天空旅行』解説」 と書いてあるではありませんか。

天空旅行と言えば…!
http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/08/19/
(記事はこの後8月25日まで続きます。)

謎めいたイベントの正体がついに判明しました。

こうしたチラシが今も残っていようとは。そしてそれが、「天空旅行」の絵葉書に首をひねり、ブログにまで書いた男の手に期せずして渡るとは!

まさに慄然とするような偶然です。

魚の腹から鍵、そして本の中から…(2)2008年04月26日 21時13分45秒


「天空旅行」解説拡大。

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さて、無事下訳も終わりました。
記事の更新頻度を少しずつ元に戻していこうと思います。
でも、リハビリ期間なので無理はせずに。。。

渦巻き論争と宇宙イメージ2008年04月28日 22時22分00秒

(↑1928年にイギリスで出たシガレットカードより 「渦巻き星雲」の図)

前回の記事でちょっと気になったことがあります。

解説文中、

「斯う云ふ様な計り知れない広漠とした空間に
位置する太陽系も 普通我々が見得る全天の星
をひっくるめた、銀河系統といふ一団の僅か一
部分で、即ち銀河系国の一部落にすら過ぎない
のです。此の大宇宙には、我が銀河系の他に未
だ幾百万の銀河系とも云ふべき星の団体がある
のです。」

とあります。

前述の通り、これは1927年の催し物です。
ここに書かれているような「我々の銀河系の外にある銀河」という考え、いわゆる「島宇宙説」の成立経過を考えると、この1927年というのはかなり微妙な時期です。

そして、これはまさに「銀河鉄道の夜」の成立時期とも重なっています。

ポピュラーサイエンスの世界で、島宇宙説がどう語られたか。
そして、それが人々の想像力をいかに刺激したか。
そうしたことを考えてみたいのですが、それはまた改めて。。。

渦巻き論争と宇宙イメージ…ジョバンニの見た本2008年04月29日 19時34分34秒

■Splendour of the Heavens: A Popular Authoritative Astronomy
 T.E.R. Phillips and W.H. Steavenson (eds.)
 Hutchinson, London, 刊年なし(初版1923)
 976p. 4to(高さ27cm)


「…それはいつかカムパネルラのお父さんの博士のうちで
 カムパネルラといっしょに読んだ雑誌のなかにあったの
 だ。それどこでなくカムパネルラは、その雑誌を読むと、
 すぐお父さんの書斎から巨きな本をもってきて、ぎんが
 というところをひろげ、まっ黒な頁いっぱいに白い点々
 のある美しい写真を二人でいつまでも見たのでした。」

             「銀河鉄道の夜-午後の授業-」


ジョバンニとカンパネルラが見入った本。
ここに出てくる「ぎんが」は何か?というのが一寸気になります。
文脈からすれば Milky Way に他ならず、賢治もそのつもりで書いたのでしょうが…。

ただ、20世紀初頭において実際に被写体として好んで取り上げられたのは、星雲(銀河も含む)や星団の類なので、二人が見ていたのもそんな写真ではなかったか、という気が何となくします。

賢治がこれを書いていた頃は、渦巻き星雲が我が銀河系と同等の存在だという認識が生まれつつあった時代背景を考えると、なおさらそう思えます。

(この項続く)

渦巻き論争と宇宙イメージ…賢治の生きた時代2008年04月30日 22時25分23秒

(R.ベレンゼン他著 『銀河の発見』、地人書館、昭和55)


銀河を超えて、銀河団、超銀河団、グレートウォール…と宇宙の大規模構造が語られる時代に、「島宇宙説」と言葉にすると、何だかその仰山さが妙なおかしみすら生むようです。

しかし、ある程度以上の年齢の人は、「アンドロメダ大星雲」とか「マゼラン雲」という言い方が耳に親しいはず。
これこそ、渦巻き銀河(渦巻き星雲)は我が銀河系に付属する、比較的小さな天体に過ぎないという、過去の「星雲説」の残滓で、それを思うと、自分がとても旧弊な人間に思えたりします。

昨日の「渦巻き星雲」のシガレットカードは、「天空旅行」展の翌年に発行されたものですが、裏面には以下のような解説があります。

「…しかし、その性質はまだ十分理解されていない。
 それらが非常に遠くにあることは確かで、恒星の輻
 射圧によって銀河系(Milky Way)から放出された
 と考えられている。これら巨大な渦巻き星雲は、凝
 縮して最終的に我が太陽系と似た星の集団になると
 信じられており、さらに我が太陽系は渦巻き星雲に
 他ならぬのではないかと示唆する天文学者もいる。
 (適当訳)」

1920年代後半、島宇宙説が徐々に優勢になりつつありましたが、まだ自明ではなかったことが、この1枚のカードからも分かります。
ハッブルの業績によって、論争に最終決着がついたのは1930年代半ばのことなので、厳密にいうと賢治は論争の帰趨を見ずに逝ったことになります(1933年没)。

その辺の事情は上記の本に詳しいのですが、ただ、「島宇宙説」対「星雲説」の決着はもっと早期に着いており、賢治の晩年には事実上「島宇宙説」が定説化していたという指摘もあります。

いずれにしても、賢治はその端境期の人であり、星雲説が優勢な時代に「銀河鉄道の夜」を書き始め、島宇宙説が伸張した時代にも熱心に推敲を続けました。そのことが小説にどう影響したかは不明ですが、「ぎんが」の意味合いが大きく変わりつつあることを、彼が意識していたのは間違いないでしょう。

彼があと5年生き永らえたら、冒頭の「午後の授業」のシーンはどう変わったか。そしてストーリー全体がどう変形したか。もちろん、いくら考えても答は出ませんが、興味深い点だと思います。

(この項つづく)