いざ、鳥のビオソフィア展へ(本編) ― 2008年05月18日 00時02分50秒
(同展チラシより-部分-)
さて、この展覧会。
この展示企画も、また西野嘉章氏のヴンダーカンマー的なるものへの、止み難い志向が色濃く反映されているようです。
たとえば「鳥類学者の小部屋」と名づけられた第三室。
壁も床も赤一色な中に置かれた古めかしい調度類。そしてキャビネットに並ぶ小動物の骨格標本、望遠鏡、天球儀、カメラ、卵、etc。
■この空間には博物学に関する様々な資料を高密度に展示し
〔…〕明治時代の鳥類学者の研究室を仮想的に再現してみせる。
〔…〕これらの展示ケースには、卵殻コレクション、南米産小型鳥
類剥製セット、さらには鳥類図譜の一部などを展示する。各所に
他の分野の自然誌標本をさりげなく紛れ込ませ、鳥類学者の
「収集」マニア的な性癖が感じられるようにする。〔…〕要は壁とい
わず、棚といわず、高密度に標本を並べること。博物学の本性を
観る者に伝達するには、コレクションの溢れかえる充満空間が是
非とも必要である。
氏による展示構成解説です。(西野嘉章「展示構成素案から顧みる」、東京大学総合研究博物館ニュース「ウロボロス」第33号)
「博物学の本性」にこだわる氏ならではの熱の入り方。
「理科室風書斎」の理想形ともいうべき光景に、私はかなり長い時間、あの部屋に身を置き、隅々まで眺め回し、他の来館者の声などにも密かに耳を傾けたのでした(不審者ですね)。
とはいえ、展示全体の流れからいえば、あれはかなり異質な空間のようにも感じます。
あえてあの部屋を持って来たのは、第三室に入る直前で紹介されていた鳥学会(1912年創設)のこと、ひいては鳥類学そのものの性格とも関係しているのでしょう。
つまり、同学会の創設メンバーの多くは、華族に列する有閑階級であり、(少なくとも日本では)鳥類学は旧来の博物趣味の直系の子孫として、殿様芸の最たるものだったらしいのです。詮ずる所、あの「鳥類学者の小部屋」とは、「殿様の趣味の小部屋」なのでした。
民権の伸長に伴い、殿様も今や「小部屋」に逼塞し、鳥を相手にする他ない…そんな微妙な時代相が現れているようにも思えます。
まあ、それは穿ちすぎにしろ、そうした目で見ると、第二室に置かれた昭和天皇ゆかりの剥製標本の妙に凝った意匠や、卵殻標本のデコラティブな飾り台など、すべては「殿様趣味」がキーワードのように思えてきます。
そもそも山階家自体が皇族の出ですし、冒頭でメッセージを寄せていたのが秋篠宮ということからすると、鳥類学と殿様趣味の結びつきは、今日まで連綿と続いているようでもあります。
そして第四室の「人為と自然」。ここはニワトリの家禽化をテーマとした展示スペースで、ニワトリの原種から高度に品種改良されたものまで、53体の剥製標本がズラリ。これもまた意味深長ではありますまいか。
近親交配を繰り返すと、最初は病的な形質が現れて、多くの個体が若死にするが、さらに何世代も辛抱強く続けると、むしろ優れた形質を持った純系の品種が作出される…。さる高貴なお方が鳥類学にのめりこんだのは、そうした「事実」に動機付けられたからだとか。(この話、何の本で読んだのか詳細は忘れました。研究所の創設者、山階芳麿博士のエピソードだったかも。あるいは全くの記憶違いか。)
自分でも論旨がはっきりしなくなってきましたが、そうした暗い情念とは無縁に、鳥たちは自由に飛翔し、人の憧れを永遠に誘う存在であるよ…と、最後にそんなことをぼんやり思いました。
(展示を堪能した後、また素晴らしい出会いがあったのですが、それはまた別の話。。。)
★追記:そういえば、いました!見ました!例の怪鳥。実物はあれほどカツラっぽい感じではなく、しゃれた冠毛という風情でした。
さて、この展覧会。
この展示企画も、また西野嘉章氏のヴンダーカンマー的なるものへの、止み難い志向が色濃く反映されているようです。
たとえば「鳥類学者の小部屋」と名づけられた第三室。
壁も床も赤一色な中に置かれた古めかしい調度類。そしてキャビネットに並ぶ小動物の骨格標本、望遠鏡、天球儀、カメラ、卵、etc。
■この空間には博物学に関する様々な資料を高密度に展示し
〔…〕明治時代の鳥類学者の研究室を仮想的に再現してみせる。
〔…〕これらの展示ケースには、卵殻コレクション、南米産小型鳥
類剥製セット、さらには鳥類図譜の一部などを展示する。各所に
他の分野の自然誌標本をさりげなく紛れ込ませ、鳥類学者の
「収集」マニア的な性癖が感じられるようにする。〔…〕要は壁とい
わず、棚といわず、高密度に標本を並べること。博物学の本性を
観る者に伝達するには、コレクションの溢れかえる充満空間が是
非とも必要である。
氏による展示構成解説です。(西野嘉章「展示構成素案から顧みる」、東京大学総合研究博物館ニュース「ウロボロス」第33号)
「博物学の本性」にこだわる氏ならではの熱の入り方。
「理科室風書斎」の理想形ともいうべき光景に、私はかなり長い時間、あの部屋に身を置き、隅々まで眺め回し、他の来館者の声などにも密かに耳を傾けたのでした(不審者ですね)。
とはいえ、展示全体の流れからいえば、あれはかなり異質な空間のようにも感じます。
あえてあの部屋を持って来たのは、第三室に入る直前で紹介されていた鳥学会(1912年創設)のこと、ひいては鳥類学そのものの性格とも関係しているのでしょう。
つまり、同学会の創設メンバーの多くは、華族に列する有閑階級であり、(少なくとも日本では)鳥類学は旧来の博物趣味の直系の子孫として、殿様芸の最たるものだったらしいのです。詮ずる所、あの「鳥類学者の小部屋」とは、「殿様の趣味の小部屋」なのでした。
民権の伸長に伴い、殿様も今や「小部屋」に逼塞し、鳥を相手にする他ない…そんな微妙な時代相が現れているようにも思えます。
まあ、それは穿ちすぎにしろ、そうした目で見ると、第二室に置かれた昭和天皇ゆかりの剥製標本の妙に凝った意匠や、卵殻標本のデコラティブな飾り台など、すべては「殿様趣味」がキーワードのように思えてきます。
そもそも山階家自体が皇族の出ですし、冒頭でメッセージを寄せていたのが秋篠宮ということからすると、鳥類学と殿様趣味の結びつきは、今日まで連綿と続いているようでもあります。
そして第四室の「人為と自然」。ここはニワトリの家禽化をテーマとした展示スペースで、ニワトリの原種から高度に品種改良されたものまで、53体の剥製標本がズラリ。これもまた意味深長ではありますまいか。
近親交配を繰り返すと、最初は病的な形質が現れて、多くの個体が若死にするが、さらに何世代も辛抱強く続けると、むしろ優れた形質を持った純系の品種が作出される…。さる高貴なお方が鳥類学にのめりこんだのは、そうした「事実」に動機付けられたからだとか。(この話、何の本で読んだのか詳細は忘れました。研究所の創設者、山階芳麿博士のエピソードだったかも。あるいは全くの記憶違いか。)
自分でも論旨がはっきりしなくなってきましたが、そうした暗い情念とは無縁に、鳥たちは自由に飛翔し、人の憧れを永遠に誘う存在であるよ…と、最後にそんなことをぼんやり思いました。
(展示を堪能した後、また素晴らしい出会いがあったのですが、それはまた別の話。。。)
★追記:そういえば、いました!見ました!例の怪鳥。実物はあれほどカツラっぽい感じではなく、しゃれた冠毛という風情でした。
最近のコメント