ジョバンニが見た世界…天文掛図の話(その5) ― 2008年05月23日 00時02分57秒
(前の記事の続き)
「新撰全天恒星図」の部分拡大です。
ここでまず目に付くのは星座の形。学界で星座の境界が画定したのは1928年のことなので、この星図でも星座の範囲は直線で区切られています。
そしてよく目を凝らすと、いろいろな情報が盛り込まれているのが分かります。
東洋の星座や星名、過去の主な新星の出現位置と出現年、それに流星群の輻射点などなど(最後のものは写真には写っていません)。
1枚物の星図で6等級以下まで表現されているのも、かなり例外的ではないでしょうか(「新撰恒星図」では5.5等級まで)。
要するに、これは本当に星の好きな、ディープな天文ファン向けの星図であり、こうした図が早くも戦前に出ていたというのが一寸驚き。
校訂者の神田茂氏(1894~1974)は、日本東洋天文学史の大家だと聞けば、こうした異例の星図が生まれたわけも納得できます。なお、原図を描いた草場修氏は、京都在の変光星観測者らしいのですが、詳しい伝は不明。
■付記:
今日からちょっと中国に行って来ます。
帰宅は月曜日の予定です。
「新撰全天恒星図」の部分拡大です。
ここでまず目に付くのは星座の形。学界で星座の境界が画定したのは1928年のことなので、この星図でも星座の範囲は直線で区切られています。
そしてよく目を凝らすと、いろいろな情報が盛り込まれているのが分かります。
東洋の星座や星名、過去の主な新星の出現位置と出現年、それに流星群の輻射点などなど(最後のものは写真には写っていません)。
1枚物の星図で6等級以下まで表現されているのも、かなり例外的ではないでしょうか(「新撰恒星図」では5.5等級まで)。
要するに、これは本当に星の好きな、ディープな天文ファン向けの星図であり、こうした図が早くも戦前に出ていたというのが一寸驚き。
校訂者の神田茂氏(1894~1974)は、日本東洋天文学史の大家だと聞けば、こうした異例の星図が生まれたわけも納得できます。なお、原図を描いた草場修氏は、京都在の変光星観測者らしいのですが、詳しい伝は不明。
■付記:
今日からちょっと中国に行って来ます。
帰宅は月曜日の予定です。
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