掛図の歴史(1)2008年06月01日 18時26分33秒


さて、「銀河鉄道の夜」関連で、掛図(主に理科掛図)の話が続いています。
掛図に一種の郷愁を感じる人は、少なくないでしょう。
デロールの掛図が一冊の本として出るぐらいですから。

http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/03/26/1347446

遠い日の学校生活の思い出と、理科的なるものへの憧れがそこでは1つになっています。

博物画の伝統を引き継いだ、その画題と構図は、美術史的にも興味深いものでしょうし、鮮明な大型のカラー図版は、印刷技術の勝利に他なりません。それに何と言っても掛図は、近代の教授法そのものの象徴であり、教育史の面からも甚だ重要なアイテムだと思います。

以前はゴミとしてドンドン廃棄されていたものが、最近になってようやく資料として見直されるようになったのか、データベース化も盛んのようです。

以前、近藤さんからコメントいただきましたが、例えば京大や金沢大では旧制高校から引き継いだ大量の掛図を、デジタルアーカイブで公開しており、それをちょっと覗いただけでも、「掛図の黄金時代」の凄まじさを窺うことができるでしょう。

■京都大学所蔵 近代教育掛図
 http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/kakezu/
■金沢大学所蔵 近代教育掛図
 http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/kakez4ko/index.html

ただ、掛図のまとまった通史となると、ありそうでなくて、最近ようやく見つけた文献がこれ。

■Bucchi, Massimiano,
 Images of science in the classroom: wallcharts and science education 1850-1920.
 The British Journal for the History of Science (1998), 31: 161-184.

その他、邦文のものとしては、初等教育の掛図コレクションを有する玉川大学が、展覧会に併せて出した以下の図録ぐらいしか、今のところ材料が手元にありません。

■『明治前期教育用絵図展』
 編集・発行:玉川大学教育学博物館、平成15年
 (会期:平成15年11月8日~12月7日)

■『掛図に見る教育の歴史』
 編集・発行:同上、平成18年
 (会期:平成18年10月30日~平成19年2月2日)

こうしたとぼしい資料を拾い読みしながら、掛図の歴史をおさらいしてみようというのが、この記事の狙いです。(この項つづく)

夜の天文台2008年06月02日 22時43分47秒


掛図の話は、今頭の中を整理中です。

 ★

今日は簡単に絵葉書を1枚。

満天の星をいただく、夜の天文台。
天文台といえば、その本領はもちろん夜間ですが、夜景の絵葉書は珍しい。何せ真っ暗闇では絵になりませんから。

この絵葉書は実景ではなく、人工的に着色して無理やり夜景にしたもの。絵として見る分には、一寸おとぎ話めいた味があって、なかなかいい雰囲気です。

場所はニュージャージー州のプリンストン大学。
同天文台については既出。

 http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/01/28/1146518

前のセピア色の絵葉書の方が古風に見えますが、今日のカラー版の方が若干古くて、1900年代初頭の品です。

閑中忙2008年06月03日 20時33分31秒

ちょっと追い込み仕事が入りましたので、2,3日記事の方はお休みします。

掛図の歴史(2)2008年06月06日 22時39分15秒

ぼちぼち記事を再開します。
取り急ぎ、先日の掛図の歴史の続きを書こうと思います。

先に挙げた論文の著者 Bucchiは、イタリアのトレント大学の先生(社会学部)だそうですが、話の中心はあくまでもドイツです。

掛図の本場は何といってもドイツ―というのが著者の主張で、論文の冒頭には、かつてイギリスの大学で、ドイツの植物掛図がどれほどポピュラーな存在であったかを回想する、イギリスの老学者の文章が引用されています。デロールを擁するフランスなども、こと掛図に関する限り、ドイツの二番煎じに過ぎなかったのです。

掛図の前史としては、17世紀中葉のモラヴィア(チェコ)の教育家 コメニウスや、18世紀後半のドイツの教育家 ヨハン・ベルンハルト・バセドウが、挿絵付き教科書を出版したことが挙がっています。特にバセドウは、自分が出した挿絵類を厚紙で裏打ちし、教室の壁に掲示することを提案しており、これは掛図の直接の前身と言えます。

もっぱら教室で使われることを想定した教育掛図は、1820年代のドイツで生まれました。その後、掛図は急速に発展・普及し、1870年~1920年の半世紀は、まさに 「掛図の黄金時代」 だったと著者は述べています。これは日本だと明治~大正時代とちょうど重なりますね。前にリンクした京大や金大の教育掛図コレクションは、まさにその黄金時代を伝える資料と言えます。

初期から盛期へ、掛図の発展の方向性として挙がっているのは、以下のような変化です。
①大型化…最初は20×30cmほどだったものが、後にはその2倍、3倍のサ
 イズになりました。
②対象の高年齢化…初等教育から中等教育、さらに高等教育へと対象生徒が
 拡大し、それにつれて内容も身近な題材から専門的なものへと変化してい
 きました。
③流通範囲の拡大…当初はドイツ語圏に限られていたのが、ヨーロッパ各国
 に普及し、他国でも生産が始まりました。

なぜ掛図がこれほど持てはやされたか?
その理由は続く論文の後段で考察されています。
(この項続く)

幻想の掛図2008年06月07日 16時08分03秒


S.Uさんとかすてんさんからコメントをいただきました。
掛図を使った理科の授業。お二人ともどうも印象が薄い、特に高学年以降はまったく記憶にないと。

私自身の記憶をたどると………私はてっきり自分がそういう経験をしていたように思い込んでたんですが、改めてふり返ると、私にもはっきりした記憶がありません。全ては己の奇怪な妄想だったのか…?どうにも不可解です。

社会科の掛図というのは、確かにありました(あったような気がする)。
大きな日本地図が教室に掛かっていたのもよく覚えています。(もっとも、wallmap と呼ばれる大判の地図は、掛図とはやや出自が異なり、それが登場するずっと以前から、別ルートで独自に発達していたものだと思います。この辺は古地図マニアの人が詳しいはず。)

戦後の理科の授業と掛図。実態はどうだったのか?
これをお読みの方から広く情報を求めたいところです。

 ■  ■

戦後の掛図で、私が濃厚な理科室趣味を感じるものというと、例えば写真のような品。

「藻類:単細胞から多細胞へ」
 Deutschen Zentralinstitut fur Lehrmittel(ドイツ中央教具研究所)制作
 Volk und Wissen Volkseigner Verlag社(ベルリン)発行
 76×115センチ、1960年代

ミドリムシのような単細胞の植物性鞭毛虫類から、ボルボックスのような群体が生じ、それが多細胞生物へと進化したという、まあこれはちょっと古風な学説かもしれませんが、そうした内容を説明する図のようです。

この色彩とフォルム。
言葉になりにくいのですが、こうした「風情」や「空気」をかっこいいと感じる感性が、理科室趣味の肝のような気がします。
が、こんな図を授業で使った記憶はやっぱりないですねえ…。

渡辺教具のヴィンテージ天球儀2008年06月08日 21時01分39秒

渡辺教具製の古い天球儀(背景が汚くてすみません)。

これは中古を買ったのですが、「S43」と台座にペイントで書かれているので、前の所有者(都内の某高校)は、たぶん昭和43年(1968)に購入したのでしょう。渡辺教具の所在地が、まだ東京築地になっています(現在は埼玉県草加市)。

字体と絵柄がいかにも昭和の味ですね。野尻抱影の本の挿絵のようです。

本体はプラスチックではなく金属製。指で弾くとキンキンといい音がします。球径18センチ、全高27センチというのは、部屋に置いても圧迫感がなくて、ちょうど良いサイズで、気に入っています。


〔6月9日記事修正〕

掛図の歴史(3)2008年06月09日 23時06分44秒

掛図の有用性が早くから認められたのは、動物学と植物学の分野でした。
文字通り「絵」になる分野だったからです。

1855年に出版された、食用キノコと毒キノコを描いた掛図あたりがその初期の作例であり、その後、掛図の黄金時代に入ると、カール・ルドルフ・ロイカートとハインリッヒ・ニッチェによる大作、「動物学掛図集 Zoologishe Wandtafeln」(1877-1902)なども登場しました。これは全100枚以上のシリーズから成るものです。

動・植物を絵解きすることには、いろいろな利点がありました。

何と言っても、掛図は実物(標本)やワックスモデルを用意するより経済的でしたし、拡大・縮小もお手のもので、外観も内部構造も好きなように表現することができました。

また当時、博物学の教授法の改良―「教師は生徒に無味乾燥な記述と分類を教えるのではなく、生きた自然そのものを教えねばならない」―が主張されたことは、動植物の掛図の質的発展を促しました。

旧来の博物学掛図は、キノコならキノコだけをずらり並べて描くだけでしたが、生物と生活環境との関係が重視された結果、生物のみを取り出して描くのではなしに、それが野外で生活する様を描いた、一見風景画のような掛図が生まれ、さらにこれが「生徒に審美的にも良い影響を与える」と評価されたりもしたのです。

こうなると、掛図制作における画家の地位は必然的に高まり、例えばハインリッヒ・ロイテマン(1824-1905)という人は、もとは児童書の挿絵画家で、生物学の専門家ではないのですが、掛図界で当時最も著名な人物となり、監修者である生物学者と同等の存在として、その画題や内容そのものをも左右しました。

また、「審美的」とまではいかないにしても、生物の構造とその生活様式との関連を説明する掛図がポピュラーとなりました。(例えば、花の構造-昆虫の吸蜜行動-受粉の関係を示す図など)

(この項続く)

梅雨2008年06月11日 22時55分55秒


梅雨空が続いています。
蒸し暑いのは困りものですが、ビールがおいしいのは大いに結構かと。
そんなわけで、今日も記事が書けません。

掛図の歴史(4)2008年06月12日 21時32分27秒

前の記事の内容は、すでに掛図の成功の要因をいくぶん説明するものだと思いますが、掛図文化が「19世紀のドイツ」という特定の時間と空間で花開いたのは、以下に挙げる3つの要因がうまく組み合わさったからだ、と著者は述べます。

(1)技術的要因
 掛図の普及を支えたのは、何と言っても印刷技術の発展でした。石版画(リトグラフ)の技法を編み出したのはゼネフェルダーという人で、1798年のことです。19世紀という時代は、これによって低廉なカラー印刷の量産体制が確立した時代でした。

(2)教育システムの構造的変化
 19世紀前半、ドイツでは近代的な教育制度が急速に普及しました。就学率の向上によって、たとえば1840年代の間に教師数は40%も増加しましたが、生徒数の伸びは一層大きく、108%も増加したという数字が、論文中で引用されています。1クラス当たりの生徒数が増加した結果、生徒が一人ひとり顕微鏡を覗いたり、化学実験を見学したりすることが困難となり、そこにうまく登場したのが掛図でした。掛図はマスプロ教育の弊害を緩和するために登場したツールであったわけです。掛図の基本サイズも、大きな教室のどこからでも見えるものという要請によって自ずと決まりました。

(3)教育思想のトレンド ― 視覚教育の重視
 視覚化(visualization)というのが、当時の教育思想のキー概念の1つで、ペスタロッチ(1766-1827)の教育論がそのバックボーンでした。直接的・感覚的経験の重視、直観(intuition、独Anschauung)主義というような理屈は、まあそれとして、説明を聞くだけでなく見て学ぶことの重要性が急速に意識されつつあった時代でした。

   ★

Bucchiは、結語でこう書いています。
「掛図とは『時代精神 Zeitgeist』を映す鏡ではあるまいか。一群の学者たちは、そこまで踏み込んだ主張をしている。掛図は、その様式と内容によって、歴史上の特定の一時期における知的『精神 spirit』を捉えているからだ」。

掛図が持つ魅力とは、要するに19世紀~20世紀初頭という時代そのものが放つ魅力なのかも…。時にまばゆく、時に妖しく科学が輝いていた時代。そこに現代の我々は重厚な、スチームパンクな世界観をも重ねて、一種の香気を感じ取るわけです。掛図の黄金時代から遠い、ずっと後代の掛図にも、その「残り香」はあるように思います。

   ★

ところで、リアルな体験を重視するがゆえに掛図は登場したわけですが、掛図が廃れたのもまったく同じ理由によるのでしょう。「それは単なる‘絵’であり、まがい物にすぎない!」というわけです。

そういう意味で、掛図はまさに過渡期の存在だったのではないでしょうか。それに所詮は紙ですから、物理的にも損耗が激しく、長期の使用は最初から想定されていなかったと思います。「なり」は立派でも、本質的にはエフェメラっぽい存在です。そこがまた愛しい…というのは、私だけの感じ方かもしれませんが。

戦後の掛図2008年06月13日 23時14分56秒

(井上友治・編著、『新設・改造 理科施設・設備図説』、黎明書房、1962より)

一足飛びに戦後の理科室に入り込んで、掛図置き場を探してみました。

写真は掛図を収納するための「掛図かけ」。(右下も自作掛図かけの図面です。)
高級な掛図は、1枚ごとに掛軸仕立てになっていましたが、廉価版はこのようにまとめて綴じられていました。これを見ると、私もぼんやりと思い出します。確かにこんなのがあったような…。

説明には、

「図表・掛図は安価であり、取扱いも簡便であり、保管・運搬・掲示等が極めて手軽に行えるため、非常に能率的に利用できる点に特色がある。」

とあって、やたらと「お手軽感」が強調されています。「グレード感」の対極という点に、掛図王国の末期を見る思いです。

  ★

ところで、話が掛図からちっとも先に進みませんが、実はまだ「銀河鉄道の夜」の話の続きでした。何とか話を元に戻さねば…。