掛図の歴史(2)2008年06月06日 22時39分15秒

ぼちぼち記事を再開します。
取り急ぎ、先日の掛図の歴史の続きを書こうと思います。

先に挙げた論文の著者 Bucchiは、イタリアのトレント大学の先生(社会学部)だそうですが、話の中心はあくまでもドイツです。

掛図の本場は何といってもドイツ―というのが著者の主張で、論文の冒頭には、かつてイギリスの大学で、ドイツの植物掛図がどれほどポピュラーな存在であったかを回想する、イギリスの老学者の文章が引用されています。デロールを擁するフランスなども、こと掛図に関する限り、ドイツの二番煎じに過ぎなかったのです。

掛図の前史としては、17世紀中葉のモラヴィア(チェコ)の教育家 コメニウスや、18世紀後半のドイツの教育家 ヨハン・ベルンハルト・バセドウが、挿絵付き教科書を出版したことが挙がっています。特にバセドウは、自分が出した挿絵類を厚紙で裏打ちし、教室の壁に掲示することを提案しており、これは掛図の直接の前身と言えます。

もっぱら教室で使われることを想定した教育掛図は、1820年代のドイツで生まれました。その後、掛図は急速に発展・普及し、1870年~1920年の半世紀は、まさに 「掛図の黄金時代」 だったと著者は述べています。これは日本だと明治~大正時代とちょうど重なりますね。前にリンクした京大や金大の教育掛図コレクションは、まさにその黄金時代を伝える資料と言えます。

初期から盛期へ、掛図の発展の方向性として挙がっているのは、以下のような変化です。
①大型化…最初は20×30cmほどだったものが、後にはその2倍、3倍のサ
 イズになりました。
②対象の高年齢化…初等教育から中等教育、さらに高等教育へと対象生徒が
 拡大し、それにつれて内容も身近な題材から専門的なものへと変化してい
 きました。
③流通範囲の拡大…当初はドイツ語圏に限られていたのが、ヨーロッパ各国
 に普及し、他国でも生産が始まりました。

なぜ掛図がこれほど持てはやされたか?
その理由は続く論文の後段で考察されています。
(この項続く)

コメント

_ S.U ― 2008年06月07日 08時58分17秒

掛図の歴史について私は考えたこともなかったのですが、せめて、ここで掛け図の
「My歴史」を思い出してみようと思いました。思い出してみるに、掛図が授業に現れた
のは、せいぜい小学校の4年生くらいまでではなかったかと思います。あまり鮮明な
記憶はありません。それで愕然としたのですが、掛図は小学校低学年の時にはけっこうな
枚数が使われ、掛図そのものに対する関心もそれなりにあったように思うのですが、
掛図の内容の記憶がまったくないのです。当時私は植物が好きだったので、植物の
掛図を見せられたなら記憶に残っているはずですがそういう覚えはありません。
 算数の図形の説明とか身近な社会、理科などのインパクトに乏しい(よく言えば実用的
な)内容ばかりだったのではないかと想像します。他の方(他の学校や他の世代)では
どうだったのでしょうか。
 ドイツの教育掛図というのもちょっとイメージが湧きません。やはり厳格なお国柄から
して、算数の図形のようなものが多かったのではないかと想像しますが、いかがでしょうか。

_ かすてん ― 2008年06月07日 12時41分53秒

S.Uさん、玉青さん、こんにちは。
  S.Uさんの掛図「My歴史」を読みながら私も子供時代のことを振り返ってみました。
 これがあったと言えるのは理科ではなく社会科の地図です。しかし、それ以外の物はまったく記憶にありません。

_ 玉青 ― 2008年06月07日 16時13分21秒

S.Uさま、かすてんさま

むむむ…と腕組みをして記事を書きました。
掛図の実例は、これからいくつか登場の予定です。

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