掛図の歴史(3)2008年06月09日 23時06分44秒

掛図の有用性が早くから認められたのは、動物学と植物学の分野でした。
文字通り「絵」になる分野だったからです。

1855年に出版された、食用キノコと毒キノコを描いた掛図あたりがその初期の作例であり、その後、掛図の黄金時代に入ると、カール・ルドルフ・ロイカートとハインリッヒ・ニッチェによる大作、「動物学掛図集 Zoologishe Wandtafeln」(1877-1902)なども登場しました。これは全100枚以上のシリーズから成るものです。

動・植物を絵解きすることには、いろいろな利点がありました。

何と言っても、掛図は実物(標本)やワックスモデルを用意するより経済的でしたし、拡大・縮小もお手のもので、外観も内部構造も好きなように表現することができました。

また当時、博物学の教授法の改良―「教師は生徒に無味乾燥な記述と分類を教えるのではなく、生きた自然そのものを教えねばならない」―が主張されたことは、動植物の掛図の質的発展を促しました。

旧来の博物学掛図は、キノコならキノコだけをずらり並べて描くだけでしたが、生物と生活環境との関係が重視された結果、生物のみを取り出して描くのではなしに、それが野外で生活する様を描いた、一見風景画のような掛図が生まれ、さらにこれが「生徒に審美的にも良い影響を与える」と評価されたりもしたのです。

こうなると、掛図制作における画家の地位は必然的に高まり、例えばハインリッヒ・ロイテマン(1824-1905)という人は、もとは児童書の挿絵画家で、生物学の専門家ではないのですが、掛図界で当時最も著名な人物となり、監修者である生物学者と同等の存在として、その画題や内容そのものをも左右しました。

また、「審美的」とまではいかないにしても、生物の構造とその生活様式との関連を説明する掛図がポピュラーとなりました。(例えば、花の構造-昆虫の吸蜜行動-受粉の関係を示す図など)

(この項続く)