戦後の掛図 ― 2008年06月13日 23時14分56秒
(井上友治・編著、『新設・改造 理科施設・設備図説』、黎明書房、1962より)
一足飛びに戦後の理科室に入り込んで、掛図置き場を探してみました。
写真は掛図を収納するための「掛図かけ」。(右下も自作掛図かけの図面です。)
高級な掛図は、1枚ごとに掛軸仕立てになっていましたが、廉価版はこのようにまとめて綴じられていました。これを見ると、私もぼんやりと思い出します。確かにこんなのがあったような…。
説明には、
「図表・掛図は安価であり、取扱いも簡便であり、保管・運搬・掲示等が極めて手軽に行えるため、非常に能率的に利用できる点に特色がある。」
とあって、やたらと「お手軽感」が強調されています。「グレード感」の対極という点に、掛図王国の末期を見る思いです。
★
ところで、話が掛図からちっとも先に進みませんが、実はまだ「銀河鉄道の夜」の話の続きでした。何とか話を元に戻さねば…。
一足飛びに戦後の理科室に入り込んで、掛図置き場を探してみました。
写真は掛図を収納するための「掛図かけ」。(右下も自作掛図かけの図面です。)
高級な掛図は、1枚ごとに掛軸仕立てになっていましたが、廉価版はこのようにまとめて綴じられていました。これを見ると、私もぼんやりと思い出します。確かにこんなのがあったような…。
説明には、
「図表・掛図は安価であり、取扱いも簡便であり、保管・運搬・掲示等が極めて手軽に行えるため、非常に能率的に利用できる点に特色がある。」
とあって、やたらと「お手軽感」が強調されています。「グレード感」の対極という点に、掛図王国の末期を見る思いです。
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ところで、話が掛図からちっとも先に進みませんが、実はまだ「銀河鉄道の夜」の話の続きでした。何とか話を元に戻さねば…。
コメント
_ S.U ― 2008年06月14日 08時11分22秒
_ 玉青 ― 2008年06月14日 20時30分41秒
要はCGも使いようだと思うんですが、安易なCGはまったくいただけませんね。いずれ後者が淘汰されるのは必然だと思います。
もし私がクリエイターだったら、「CGそっくりの実写作品」を撮って、CGが持つ胡散臭さをシニカルに表現したいところです。(もう誰かやってるでしょうか?)
もし私がクリエイターだったら、「CGそっくりの実写作品」を撮って、CGが持つ胡散臭さをシニカルに表現したいところです。(もう誰かやってるでしょうか?)
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綴り物の2種類があったように思います。でも、巻かれて保管されていたような...
ちょっと思い出したのですが、算数で新しい技法を説明する時、たとえば2桁同士のかけ算
の筆算とか、台形や円の面積とかが最初に出てきた時は、先生は掛図を多用していた
ように思います。その図式を児童の目にできるだけ明瞭な形でたたきこみたいという深慮
があったのでしょう。
「所詮は絵であって現物でない」という批判が過去にもなされたのは、当時の何らかの
先進性がうかがえて面白いです。そういう意味では、今日全盛のCGによる解説(一種リアルな
コンピュータ動画によって数学や科学の法則を説明するような技法)も、人工のバーチャルな
世界によって絶対的な自然法則を理解させようという自己矛盾を含むものですので、いずれは
同様の批判にさらされることになるではないかと思います。