明治の天文台訪問…旧東京商船学校第一観測台(1)2008年08月17日 09時51分14秒


旅の合間の小さな寄り道。

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明治の天文史跡がどれぐらい残っているかは知りませんが、非常に少ないことは確かでしょう。しかも、震災と戦災を経験した、東京の街中にそれが残っているのは、ちょっとした奇跡。

写真は旧・東京商船学校の第一観測台。

東京海洋大学・越中島キャンパス(東京商船大ってもうないんですね。5年前に東京水産大と合併して、東京海洋大学になっていたとは知りませんでした)の正門を入って、すぐ左手にあります。

どうですか、この風情。いいでしょう。
車寄せのとんがり屋根と半球ドームの対比も面白いし、色合いも優しい感じ。古びたレンガと木々の緑のコントラストが美しい。

以下は傍らの説明板の文句。

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第一観測台(経緯儀室または赤道儀室)

八角形二階建煉瓦造 建坪八坪六合

明治35年1月霊岸島校舎より越中島新校舎に移転した後の施設充実の一環として、明治36年6月に建設され、航海用天体歴〔ママ〕の研究用および航海天文学教授用として使用された記念建造物で、内部には、当時としては最新鋭の東洋一といわれた7吋天体望遠鏡(Theodolite)を備え、望遠鏡は分銅式によって天体の運行に等しい速さで回転するようになっていた。屋根の半円形ドームは手動で360度の回転が可能であり窓は二重になっていた。

昭和の初期までは時折り授業にも使用されたが、昭和10年頃以降は学生の同好会「天文部」部員の手により、天体の観測に利用されていた。昭和20年終戦直後、校舎を米進駐軍に占領された後内部施設も撤去され、現在は望遠鏡の台座が残っているに過ぎないが、輸入煉瓦造りの八角形の建物は貴重なものとされている。

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…というわけで、ここは60年以上天文台としては使われず、空き家になっていたわけで、本当によく取り壊されずに残っていたものです。商船大の見識に敬服します。

昭和10年以降、天文部員が使っていたというのも、何かいいですね。航海天文学というのは、実用の学の最たるものですが、それに飽き足らず、星空にロマンを感じる船乗りの卵たちがいたのでしょう。

なお、上の説明文でTheodoliteの語がちょっと要領を得ません。資料の空白による誤解と混乱がある様子。たぶん、最初、経緯儀式機材を導入したあと、すぐ赤道儀式に置き換わったのではないでしょうか。ものの本(*)によると、1936(昭和11)年当時、東京商船大が所有していたのは、イギリス・グラブ社製の口径15センチ赤道儀式屈折望遠鏡だそうです。

(*)『改訂版・日本アマチュア天文史』、恒星社厚生閣、1995、p.343

明治の天文台訪問…旧東京商船学校第一観測台(2)2008年08月17日 09時57分32秒


おんもりしたドーム。
肋構造の部分は、1つ置きにだんだら模様に塗り分けられていたんでしょうか。

明治の天文台訪問…旧東京商船学校第一観測台(3)2008年08月17日 09時58分13秒


古びた煉瓦、漆喰、窓。
いかにも明治っぽい味わい。

明治の天文台訪問…旧東京商船学校第一観測台(4)2008年08月17日 09時59分01秒


窓の下に見える換気口飾り拡大。
細部にも洒落心があります。