明治初期の鉱物学授業と鉱物図、そしてクルル『鉱物界図説』のこと2008年10月30日 20時14分41秒

(↑今読み進めている鉱物学教科書。時代は大正に入ってきました。詳細は後日)

知ったかぶりをして、適当なことを書いてしまいましたが、ネット上をブラブラしているうちに、地学史勉強会という集まりで、以下のような発表がなされているのを知りました。これを読んで、頭が少しすっきりしました。

★浜崎健児氏(八耳俊文氏筆録)
 「明治の鉱物学教科書(和本)に影響をあたえたドイツ鉱物学書について」
  http://www.geocities.com/jahigeo/jahigeo512.html
 (スクロールして、2002年6月29日に行われた第7回勉強会の項を見てください)

まず、鉱物学が初等教育に入り込んだ時期ですが、これが意外に古くて、明治14年だそうです。この年、小学校教則綱領が定められ、小学中等科・高等科で「博物」が講じられることになり、鉱物学はその一分野という位置を占めました。で、この年から明治19年までの5年間は、教科書検定制度がまだなかったため、いろいろな教科書が陸続と出版されたようです。以前取り上げた『鉱物小学』なんかも、時期的にはちょうどその1冊ということになりますね。

浜崎氏によれば、この時期(明治10年代)には、すでに鉱物の彩色図入りの教科書が出ていたそうなので、日本の子どもたちが鉱物の結晶の美に目覚めたのは、明治の後半を待たず、もっと早かったということを今回新たに知りました。

そして、そうした彩色図のタネ本として挙がっているのが、ドイツのKurrの『Das Mineralreich in Bildern(鉱物界図説)』(初版1858)で、これは美しい図を備えた、ヨーロッパ初の鉱物図鑑の由。となると、ヨーロッパでも鉱物の原石を美々しく図示する伝統は、日本より飛び抜けて古いわけでもないような…でも、この辺は異説もあるでしょう。

少なくとも、日本の(「鉱物学」はさておき)鉱物趣味の、その後のあり様を規定した立役者はKurrだ!…ということになりますが、彼は鉱物学については終生アマチュアの立場だったらしく、鉱物趣味の父にはいっそ相応しい人物のように思えます。

鉱物博物画の鼻祖にして白眉、Das Mineralreich in Bildern。これはいずれぜひ入手したいです。

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日本ハーシェル協会の出版物第二弾、『ジョン・ハーシェル伝(仮題)』の初校が上ってきました。これから少し忙しくなります。(出版は来年の予定です。ちょっと宣伝まで。)