鉱物本書誌 ― 2008年11月01日 22時04分32秒

(↑博物系古書肆ユンクで現在売りに出ている、Kurrの『鉱物界図説』初版。1,000ユーロ也。※動作が変なのでユンクへのリンクを一時外します)
たぶんもう一寸すると状況は変わってくると思いますが、本に関する情報、すなわち書誌というのは、今の時代でもなかなか調べるのが厄介で、結局最後はその筋の人に教えを乞わないと分からないことが多いように思います。
でも鉱物学については、こんなに至れり尽くせりのページが既にありました。
■The Library: Curtis Schuh’s Biobibliography of Mineralogy
http://www.minrec.org/library.asp
アメリカの鉱物愛好家、故Curtis P. Schuh氏(1959-2007)の畢生の業。15~20世紀初頭の鉱物学・結晶学の古書について調べようと思ったら、まず最初に参照すべきデータベースではないでしょうか。
試みに、前回話に出たKurrの項を見てみます。そうするとKurrの略伝と著作、さらに版による異同が詳細に解説されています。
経歴を見ると、Kurrはポリテクでも鉱物学を講じていたので、前回「鉱物学に関してはアマチュア」と書いたのは間違いでした。訂正しておきます。
『鉱物界図説』については、初版が1858年に出た後、69年、71年、75年にそれぞれ細部の違う第2版が、また78年と84年には同じく第3版が出ていることが詳述されています。さらに1859年から97年にかけて出た、イギリス版、フランス版、アメリカ版、ハンガリー版、ロシア版についても解説があります。
愛書趣味家は、各版の違いがどこで、どの版が最も購入に値するのか気になると思いますが、解説を読むと以下のことが分かります。
まず、1858年に出た初版の図版は手彩色ですが、1869年以降に出た版では、図柄は同じですが、新たに多色石版画(クロモリトグラフ)で版を起こしています。そして、両者は図版の上部に”Tab.(図)”の文字があるか(=手彩色)、ないか(=クロモ)で容易に見分けることができる、と書かれています。この区別は各国語版についても同様で、1859年に出たフランス版とイギリス版では手彩色図版が、それ以降の版ではクロモが使われており、いずれも図版頁は、原著と同じものを版元が供給したもので、各国で新たに版を起こしたわけではないことも分かります。
他にもテクストや装丁の異同がいろいろとありますが、こと図版に関しては、本書は初版が最も価値あり、と言えそうです。確かにネット上で見ても初版はグッとお高くなっていますね。
…とまあ、一事が万事この調子で、記述は詳細を極めます。
★
このデータベースをパラパラ見ていると、さしものKurrも、鉱物趣味の滔々たる大河の一滴に過ぎないことが分かり、斯界もやはり相当奥が深いようです。(Schuh氏は、『鉱物界図説』のことを、当時の「通俗的“コーヒーテーブル”ブック」と表現しています。一寸扱いが軽いですね。)
たぶんもう一寸すると状況は変わってくると思いますが、本に関する情報、すなわち書誌というのは、今の時代でもなかなか調べるのが厄介で、結局最後はその筋の人に教えを乞わないと分からないことが多いように思います。
でも鉱物学については、こんなに至れり尽くせりのページが既にありました。
■The Library: Curtis Schuh’s Biobibliography of Mineralogy
http://www.minrec.org/library.asp
アメリカの鉱物愛好家、故Curtis P. Schuh氏(1959-2007)の畢生の業。15~20世紀初頭の鉱物学・結晶学の古書について調べようと思ったら、まず最初に参照すべきデータベースではないでしょうか。
試みに、前回話に出たKurrの項を見てみます。そうするとKurrの略伝と著作、さらに版による異同が詳細に解説されています。
経歴を見ると、Kurrはポリテクでも鉱物学を講じていたので、前回「鉱物学に関してはアマチュア」と書いたのは間違いでした。訂正しておきます。
『鉱物界図説』については、初版が1858年に出た後、69年、71年、75年にそれぞれ細部の違う第2版が、また78年と84年には同じく第3版が出ていることが詳述されています。さらに1859年から97年にかけて出た、イギリス版、フランス版、アメリカ版、ハンガリー版、ロシア版についても解説があります。
愛書趣味家は、各版の違いがどこで、どの版が最も購入に値するのか気になると思いますが、解説を読むと以下のことが分かります。
まず、1858年に出た初版の図版は手彩色ですが、1869年以降に出た版では、図柄は同じですが、新たに多色石版画(クロモリトグラフ)で版を起こしています。そして、両者は図版の上部に”Tab.(図)”の文字があるか(=手彩色)、ないか(=クロモ)で容易に見分けることができる、と書かれています。この区別は各国語版についても同様で、1859年に出たフランス版とイギリス版では手彩色図版が、それ以降の版ではクロモが使われており、いずれも図版頁は、原著と同じものを版元が供給したもので、各国で新たに版を起こしたわけではないことも分かります。
他にもテクストや装丁の異同がいろいろとありますが、こと図版に関しては、本書は初版が最も価値あり、と言えそうです。確かにネット上で見ても初版はグッとお高くなっていますね。
…とまあ、一事が万事この調子で、記述は詳細を極めます。
★
このデータベースをパラパラ見ていると、さしものKurrも、鉱物趣味の滔々たる大河の一滴に過ぎないことが分かり、斯界もやはり相当奥が深いようです。(Schuh氏は、『鉱物界図説』のことを、当時の「通俗的“コーヒーテーブル”ブック」と表現しています。一寸扱いが軽いですね。)
文化の日に寄せて ― 2008年11月03日 20時07分58秒

11月。この時季の天文ネタは何かな?…と思って、2冊の本を開きました。
1冊は野尻抱影翁の『星三百六十五夜』(http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/10/16/562533)。もう1冊はチェット・レイモの『365 Starry Nights』という、縦のものを横にしただけの同名の本。
チェット・レイモは、珠玉の天文エッセイ『夜の魂』(工作舎、http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/04/02/312676)の著者として知られる宇宙物理学者。『365…』は『夜の魂』を書く3年前、1982年に出ています。ポピュラーアストロノミー関係の本としては、たぶん彼の処女作。
で、さっそく11月のページを開いてみると、レイモの方は、11月の空を彩る主役たち、エチオピア王ケフェウスと王妃カシオペヤ、そして王女アンドロメダをめぐる神話から話が始まります。カシオペヤの慢心が招いたポセイドンの怒り。そのため人身御供となったアンドロメダ。王女があわや怪物に呑み込まれそうになったとき、勇者ペルセウスが現れて…。
かたや抱影翁ですが、11月3日の文章は「明治節」と題されています。そう、文化の日は昔、明治天皇の誕生日、「明治節」として祝われていたんですね。
「まだ明治節といった時代だった。父の十何回忌かで鎌倉の寿福寺へ墓参に出かけた。」そこで、ひょんなことから、抱影は東京から遊びに来ていた、清元と踊りの師匠である、二人の若い女性と墓参りに行くことになります。
「その帰り道だった。私も肩がほごれて並んで行くうちに、踊りの師匠が何を言いだすかと思ったら、『こないだも御放送なさいましたのね。あたくし、××のおかみさんと伺ってましたら、おかみさん、お星さまって面白いものね。だって、何やら座だの、何とか座だのって、まるでお芝居のようだものって、感心してましたわ』 これには私は毒気を抜かれ、なるほどそうだったと感心して、その後で笑った。」
「かしおぺあ座」や「あんどろめだ座」の幟旗がはためいている様を想像すると、抱影翁ならずとも頬が…。それにしても、レイモも抱影も、若い美女が話題の中心なんですが、それこそ「天」と「地」ほども味わいが違いますね。
★
文化の日は、期待値以上に晴天が多い「特異日」だそうですが、今日はだめでした。星もお預けです。
続・天象儀 ― 2008年11月05日 22時39分23秒
(以前の記事はこちら。 http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/03/05/277997)
昔のプラネタリウムの記事にコメントをいただきましたが、最近こんな紙物を買いました。
戦前から戦中にかけて、東京有楽町にあった東日天文館。そこのリーフレットです(真ん中で二つ折りになります)。裏面の文面からすると、昭和14年の発行。
宇宙の仕組みを淀みなく語る解説者の姿が頼もしいですね。
レーザーポインターみたいなものでピッと照らしてます。が、実際は普通の懐中電灯なんでしょう。ただ、よく見ると矢印マークがドームに投影されています。
そういえば、私も昔プラネタリウムで、こんな矢印マークを見た覚えがあります。あれは渋谷の五島プラネタリウムだったような…。五島には、小学生時代、2つ上の兄と連れ立って、4、5回出かけたはず。
(この項つづく)
昔のプラネタリウムの記事にコメントをいただきましたが、最近こんな紙物を買いました。
戦前から戦中にかけて、東京有楽町にあった東日天文館。そこのリーフレットです(真ん中で二つ折りになります)。裏面の文面からすると、昭和14年の発行。
宇宙の仕組みを淀みなく語る解説者の姿が頼もしいですね。
レーザーポインターみたいなものでピッと照らしてます。が、実際は普通の懐中電灯なんでしょう。ただ、よく見ると矢印マークがドームに投影されています。
そういえば、私も昔プラネタリウムで、こんな矢印マークを見た覚えがあります。あれは渋谷の五島プラネタリウムだったような…。五島には、小学生時代、2つ上の兄と連れ立って、4、5回出かけたはず。
(この項つづく)
続・天象儀(2) ― 2008年11月08日 09時00分42秒
ついでに裏面も載せておきます。
ちょっと小さくて見にくいですが、各月のプログラムがなかなか興味深い。
●7月「謎の星『火星』/人が住むといふので有名な火星が又地球に近づいて参りました。その謎を解く者は誰?」
●8月「流星と彗星/夕涼みの空に流れる流星、天界の放浪児彗星にまつはる秘密、共に涼しい話題でありませう」
●1月「冬の夜の星/一年中で一番見事だと言はれる冬の空!豪華な星の散兵線をたつねて見ませう」
言葉遣いの一つひとつに時代を感じます。
冬の夜空は「豪華な星の散兵線」。ちょっときな臭い表現ですね。大陸では激しい戦闘が続き、日米関係も少しずつシビアさを増してきた頃です。人間界をはるかに超えた「天象」を眺めることで、人々はいっとき心の平安を得たのかもしれませんが、でもやっぱり無心に星を眺めることは難しくて、心の内にあるものが、そこに必然的に投影されてしまいます。
★
今日から月曜まで留守にします。日本ハーシェル協会の年会出席、他もろもろの予定。
冷タイ雨ニモ負ケズ西荻周辺散歩 ― 2008年11月10日 21時09分23秒
週末は寒い日が続きました。
一昨日はハーシェル協会の年会。いろいろ協会の将来について議論もありましたが、まずは無事に終わりました。
そして昨日は、いくぶん変わった顔ぶれで西荻周辺を散歩。
そのメインは「錬金術師の招待状」というイベントでした(http://www.giovanni.jp/event/information.htm)。その会場で、予約してあった雑誌「htwi(ヒッティ)」の鉱物特集号を無事受領。この雑誌は、主催者の一人、Mistletoeさんに無理を言って、半年前から取り置きをお願いしてあったもので、まことに感無量です。半年間命があって、本当に良かった。人間はやっぱり辛抱が肝心であることを、この雑誌に教えられた気がします。
会場では、超人的な技巧のスコープ作品で知られるアーティスト・桑原弘明氏にちゃっかりサインをいただいたり、理系雑貨の老舗・遊星商会さんにご挨拶したり、いろいろ嬉しい出会いもあって、しみじみ良かったです。
会場自体はこじんまりしたスペースだったんですが、とにかくものすごい人出で、世にヴンダー好きの人がかくも多いかと、改めて驚いた次第です。
(htwiの他に、アリバイ的にウニの仲間のスカシカシパンを購入したんですが、長っ尻のわりにはあんまり売り上げに貢献もせず、主催者にとっては×な客だったでしょう。スミマセンでした。)
一昨日はハーシェル協会の年会。いろいろ協会の将来について議論もありましたが、まずは無事に終わりました。
そして昨日は、いくぶん変わった顔ぶれで西荻周辺を散歩。
そのメインは「錬金術師の招待状」というイベントでした(http://www.giovanni.jp/event/information.htm)。その会場で、予約してあった雑誌「htwi(ヒッティ)」の鉱物特集号を無事受領。この雑誌は、主催者の一人、Mistletoeさんに無理を言って、半年前から取り置きをお願いしてあったもので、まことに感無量です。半年間命があって、本当に良かった。人間はやっぱり辛抱が肝心であることを、この雑誌に教えられた気がします。
会場では、超人的な技巧のスコープ作品で知られるアーティスト・桑原弘明氏にちゃっかりサインをいただいたり、理系雑貨の老舗・遊星商会さんにご挨拶したり、いろいろ嬉しい出会いもあって、しみじみ良かったです。
会場自体はこじんまりしたスペースだったんですが、とにかくものすごい人出で、世にヴンダー好きの人がかくも多いかと、改めて驚いた次第です。
(htwiの他に、アリバイ的にウニの仲間のスカシカシパンを購入したんですが、長っ尻のわりにはあんまり売り上げに貢献もせず、主催者にとっては×な客だったでしょう。スミマセンでした。)
はかなげな大星雲 ― 2008年11月12日 19時47分56秒
塔上の銀月 ― 2008年11月14日 05時32分56秒
今日、明日と神戸に出張します。
写真は、「神戸タワーより見たる二十一日の月」。
神戸タワーの開業直後、大正末年から昭和の初めにかけて発行された絵葉書です。
このブログを始めて間もない頃に、同じく「十三日の月」というのを載せましたが(http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/02/08/245169)、それと同じシリーズ。
フィルムの特性なのか、現像・焼付けの加減なのか、戦前の月はどこか戦前の顔をしているのが面白いところ。
昔の記事にも書いたように、この絵葉書を見ると、ふと若き日のタルホを連想します。
年譜で見ると、彼が神戸周辺で過ごしたのは大正10年までですが、このハイパーモダンな若者を育んだのは、やはり当時の関西学院のハイカラな空気であり、関西の水だったように思います。そしてちょうどこの絵葉書が出た頃、彼はひとつの頂点に達し、『一千一秒物語』(大正12)や『天体嗜好症』(昭和3)といった、きらめくような作品集を刊行しました。
★
冬が近づき、空気も澄んできました。
昨夜は月がビックリするぐらい明るく見えました。
写真は、「神戸タワーより見たる二十一日の月」。
神戸タワーの開業直後、大正末年から昭和の初めにかけて発行された絵葉書です。
このブログを始めて間もない頃に、同じく「十三日の月」というのを載せましたが(http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/02/08/245169)、それと同じシリーズ。
フィルムの特性なのか、現像・焼付けの加減なのか、戦前の月はどこか戦前の顔をしているのが面白いところ。
昔の記事にも書いたように、この絵葉書を見ると、ふと若き日のタルホを連想します。
年譜で見ると、彼が神戸周辺で過ごしたのは大正10年までですが、このハイパーモダンな若者を育んだのは、やはり当時の関西学院のハイカラな空気であり、関西の水だったように思います。そしてちょうどこの絵葉書が出た頃、彼はひとつの頂点に達し、『一千一秒物語』(大正12)や『天体嗜好症』(昭和3)といった、きらめくような作品集を刊行しました。
★
冬が近づき、空気も澄んできました。
昨夜は月がビックリするぐらい明るく見えました。
アンティコ・ナトゥラーレ…神戸、魅惑の昆蟲舗(1) ― 2008年11月16日 11時58分55秒
(Silver Moth。ヤママユガを銀のペイントで加工した品。)
神戸はアップダウンのない街ですね。
アップアップとダウンダウンしかないという。
ああいう街で成育すると、何か特異な空間図式が脳髄に刻み込まれるんじゃないでしょうか。
さて、せっかく神戸に来たのだから、何かタルホチックな土産はないかな…と思いました。北野界隈をそれこそアップアップしながら当てもなく歩いていると、ふと私の目を捉えた店がありました。
“Antico Naturale 六甲昆虫館”
(公式サイトは現在つながらないようです。所在地は異人館通とハンター坂の交差点そば。外観と内部は以下のブログに画像あり。
◆money_hunterの日記「六甲昆虫館」
http://d.hatena.ne.jp/money_hunter/20080614
◆はじめまして、イプシロン「神戸異人館~六甲昆虫館~」
http://rupan5333.blog.drecom.jp/daily/200706/09)
「魅せる標本」がキーコンセプトで、標本そのものと、ご主人自らが製作したディスプレイケースとの「取り合わせの妙」を売りにしたお店です。
で、ここで極めて重要なのは、同店が扱っているのは全て「本物の標本」だということです。つまりジュエリー感覚でディスプレイされた物も含め、全て正式に展翅展足のされた、しかも詳しい採集データの書かれたラベルが付属する品だということです。ご主人曰く「それがないと標本になりませんから」。そう、それでこそ博物趣味の香気もほとばしろうというものです。
この極上の店で見つけたのが写真の品。
これがタルホチックかどうかは自信がありませんが(足穂というよりはゴシック趣味かもしれません)、銀月に舞う銀の蛾は絵になります。
それにしても、この銀の蛾にまで学名と採集地、採集年月日を記したラベルが付属するのには驚きました。(この項続く)
神戸はアップダウンのない街ですね。
アップアップとダウンダウンしかないという。
ああいう街で成育すると、何か特異な空間図式が脳髄に刻み込まれるんじゃないでしょうか。
さて、せっかく神戸に来たのだから、何かタルホチックな土産はないかな…と思いました。北野界隈をそれこそアップアップしながら当てもなく歩いていると、ふと私の目を捉えた店がありました。
“Antico Naturale 六甲昆虫館”
(公式サイトは現在つながらないようです。所在地は異人館通とハンター坂の交差点そば。外観と内部は以下のブログに画像あり。
◆money_hunterの日記「六甲昆虫館」
http://d.hatena.ne.jp/money_hunter/20080614
◆はじめまして、イプシロン「神戸異人館~六甲昆虫館~」
http://rupan5333.blog.drecom.jp/daily/200706/09)
「魅せる標本」がキーコンセプトで、標本そのものと、ご主人自らが製作したディスプレイケースとの「取り合わせの妙」を売りにしたお店です。
で、ここで極めて重要なのは、同店が扱っているのは全て「本物の標本」だということです。つまりジュエリー感覚でディスプレイされた物も含め、全て正式に展翅展足のされた、しかも詳しい採集データの書かれたラベルが付属する品だということです。ご主人曰く「それがないと標本になりませんから」。そう、それでこそ博物趣味の香気もほとばしろうというものです。
この極上の店で見つけたのが写真の品。
これがタルホチックかどうかは自信がありませんが(足穂というよりはゴシック趣味かもしれません)、銀月に舞う銀の蛾は絵になります。
それにしても、この銀の蛾にまで学名と採集地、採集年月日を記したラベルが付属するのには驚きました。(この項続く)
アンティコ・ナトゥラーレ…神戸、魅惑の昆蟲舗(2) ― 2008年11月18日 21時25分36秒
六甲昆虫館で扱っているのは、もちろん加工品だけではなくて、むしろまっとうな標本が主です。
ただし、普通の標本商と違うのは、その購入手順。買い手はまず店内にある標本から、「えーと…これと…これを」と好みの品を選びます。次いで、こちらの希望を聞きながら、ご主人がぴったりのケースを選んで、そこにディスプレイしてくれるという流れ。この辺がアクセサリーっぽいというか、趣味性の高い商いを感じさせる部分です。
写真はタマムシ類のアソート。
目で見ると、宝石のように鮮やかなメタリックグリーンなんですが、なかなか上手く写りません。タマムシの鮮やかな色彩は、いわゆる「構造色」で、表面の微細な構造によって生じた光の干渉が原因ですから、照明の当て方とかにもっと工夫が必要なのかもしれません。
手塚治虫(本名・治)は、少年時代、その名にちなんでオサムシの採集に熱中しました。
で、私の場合はタマムシと…。
ただし、普通の標本商と違うのは、その購入手順。買い手はまず店内にある標本から、「えーと…これと…これを」と好みの品を選びます。次いで、こちらの希望を聞きながら、ご主人がぴったりのケースを選んで、そこにディスプレイしてくれるという流れ。この辺がアクセサリーっぽいというか、趣味性の高い商いを感じさせる部分です。
写真はタマムシ類のアソート。
目で見ると、宝石のように鮮やかなメタリックグリーンなんですが、なかなか上手く写りません。タマムシの鮮やかな色彩は、いわゆる「構造色」で、表面の微細な構造によって生じた光の干渉が原因ですから、照明の当て方とかにもっと工夫が必要なのかもしれません。
手塚治虫(本名・治)は、少年時代、その名にちなんでオサムシの採集に熱中しました。
で、私の場合はタマムシと…。
理科少年のタイプ論 ― 2008年11月19日 20時44分03秒

とこさんの「我楽多倶楽部」でまた興味深い記事を拝見しました。
とこさんも、いろいろコメントされていますが(http://www.junk-club.com/diary/?p=1004)、このブログにも縁の深い話題なので、私も一つ便乗して記事を書いてみます。
問題の記事は、Tech総研の「“理科少年には3つのタイプがある”の法則」というタイトル。
http://next.rikunabi.com/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000005&__m=1
原著者は、まず「理科」と「文学」とを対照させて、自分の外にある自然界に興味を向けるのが理科好き、自分の内にある精神世界に興味を向けるのが文学好きとくくっています。
で、その理科好きをさらにタイプ分けすると、図工の好きな<工作型>、図鑑や標本の好きな<博物型>、算数の好きな<計算型>の3種に分類することができ、この3タイプは、それぞれさらに、既存の枠の中で活躍する「スキル系」と、自ら新たな枠を作り出す「創造系」という2種類のサブタイプがあるので、理科少年には都合6つのカテゴリーがある、というのが記事のあらまし(ちょっと私なりの解釈も加えました)。
眺めていると、具体的な顔が生き生きと思い浮かぶのは、この分類が優れた着想に基づいている証拠でしょう。ただし、この類型論の第1段階で、「理科少年」から「文学好き」の資質が真っ先に排除されているのは、ちょっと違和感があります。
理科少年は明朗闊達な赤い頬の少年ばかりではありませんし、むしろ典型的な(理念形としての)理科少年は、病的なほど感受性の鋭い少年であったり、思考や行動が普通以上に内向きであったりするんじゃないでしょうか。(反対に文学少女や文学青年だからといって、いつも夢見がちの瞳でうっとりしていたり、肺を病んで青白い顔をしているわけでもありません。)少なくとも、賢治や足穂が理科少年の資格なしとされるような分類は、何かを見落としているような気がします。原著者は、どうも「理科少年」と「技術者」を重ねて見ているらしいので、そこでバイアスがかかっているのかもしれません。
改めて考えてみると、原著者の挙げる「理科-文学」の対照は、心理学でいうところの「外向-内向」の考えとほぼ重なっています。これは人間の基本的な行動・認知のスタイルであって、理系と文系というアーティフィシャルな学問分類体系とは、本来無関係のはずです。でも、そこに何か関係があると思って論を進めたところに混乱の元があったのでした。
で、私なりに元の体系を改良するなら、第1の分類枠も理科少年のタイプ分けに取り込んで、「外向型理科少年」と「内向型理科少年」の区別をまず設けたいと思います。で、「工作」「博物」「計算」の各軸に、この「向性」の軸を直交させると。つまり三矢サイダーの矢羽模様の中心に棒を突き立てたイメージですね。これが仮想的な「理科少年の空間」です。(なお、「スキル系」と「創造系」の区分は、「外向-内向」と重なる部分が多いので、ここでは割愛します。)
そして、各軸は相互に排他的ではなく、独立した連続量をとりうるものとすれば、一人の理科少年は(原著者が言うように)この空間内で1つの点(××タイプ)として定位されるわけではなく、独自の形と広がりを持ったユニークな存在として表現されることになります。(より正確には、時間とともにこの空間内で生成変化する群雲のような感じでしょうか。)
便宜的に各軸を5段階(向性は内向を負、外向を正として-5~+5)で表現すると、私の自己評価は現在[向性-4、工作2、博物4、計算1]くらいです。(もちろん私は「理科少年」ではありませんが、ここでは老若男女を問わず、広く「理科趣味の徒」と考えることにしましょう。)
ところで、とこさんは「理科少年とは別に『理科少年が好きな人、その雰囲気を気に入っている人』も居ます」という指摘をされています。以前、別の記事で書いた表現を使うと、「文系(あるいは叙情派ないし軟派)理科趣味」に近いと思いますが、これを強引に上のモデルに当てはめると、そういう人は「極端に内向型の(=現実の事象より自分の内界のイメージを大事にする)理科趣味の徒」として捉えることができるかもしれません。
以上、取り急ぎの試論です。(ブログのカテゴリはとりあえず「理科室」に入れておきます。)
とこさんも、いろいろコメントされていますが(http://www.junk-club.com/diary/?p=1004)、このブログにも縁の深い話題なので、私も一つ便乗して記事を書いてみます。
問題の記事は、Tech総研の「“理科少年には3つのタイプがある”の法則」というタイトル。
http://next.rikunabi.com/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000005&__m=1
原著者は、まず「理科」と「文学」とを対照させて、自分の外にある自然界に興味を向けるのが理科好き、自分の内にある精神世界に興味を向けるのが文学好きとくくっています。
で、その理科好きをさらにタイプ分けすると、図工の好きな<工作型>、図鑑や標本の好きな<博物型>、算数の好きな<計算型>の3種に分類することができ、この3タイプは、それぞれさらに、既存の枠の中で活躍する「スキル系」と、自ら新たな枠を作り出す「創造系」という2種類のサブタイプがあるので、理科少年には都合6つのカテゴリーがある、というのが記事のあらまし(ちょっと私なりの解釈も加えました)。
眺めていると、具体的な顔が生き生きと思い浮かぶのは、この分類が優れた着想に基づいている証拠でしょう。ただし、この類型論の第1段階で、「理科少年」から「文学好き」の資質が真っ先に排除されているのは、ちょっと違和感があります。
理科少年は明朗闊達な赤い頬の少年ばかりではありませんし、むしろ典型的な(理念形としての)理科少年は、病的なほど感受性の鋭い少年であったり、思考や行動が普通以上に内向きであったりするんじゃないでしょうか。(反対に文学少女や文学青年だからといって、いつも夢見がちの瞳でうっとりしていたり、肺を病んで青白い顔をしているわけでもありません。)少なくとも、賢治や足穂が理科少年の資格なしとされるような分類は、何かを見落としているような気がします。原著者は、どうも「理科少年」と「技術者」を重ねて見ているらしいので、そこでバイアスがかかっているのかもしれません。
改めて考えてみると、原著者の挙げる「理科-文学」の対照は、心理学でいうところの「外向-内向」の考えとほぼ重なっています。これは人間の基本的な行動・認知のスタイルであって、理系と文系というアーティフィシャルな学問分類体系とは、本来無関係のはずです。でも、そこに何か関係があると思って論を進めたところに混乱の元があったのでした。
で、私なりに元の体系を改良するなら、第1の分類枠も理科少年のタイプ分けに取り込んで、「外向型理科少年」と「内向型理科少年」の区別をまず設けたいと思います。で、「工作」「博物」「計算」の各軸に、この「向性」の軸を直交させると。つまり三矢サイダーの矢羽模様の中心に棒を突き立てたイメージですね。これが仮想的な「理科少年の空間」です。(なお、「スキル系」と「創造系」の区分は、「外向-内向」と重なる部分が多いので、ここでは割愛します。)
そして、各軸は相互に排他的ではなく、独立した連続量をとりうるものとすれば、一人の理科少年は(原著者が言うように)この空間内で1つの点(××タイプ)として定位されるわけではなく、独自の形と広がりを持ったユニークな存在として表現されることになります。(より正確には、時間とともにこの空間内で生成変化する群雲のような感じでしょうか。)
便宜的に各軸を5段階(向性は内向を負、外向を正として-5~+5)で表現すると、私の自己評価は現在[向性-4、工作2、博物4、計算1]くらいです。(もちろん私は「理科少年」ではありませんが、ここでは老若男女を問わず、広く「理科趣味の徒」と考えることにしましょう。)
ところで、とこさんは「理科少年とは別に『理科少年が好きな人、その雰囲気を気に入っている人』も居ます」という指摘をされています。以前、別の記事で書いた表現を使うと、「文系(あるいは叙情派ないし軟派)理科趣味」に近いと思いますが、これを強引に上のモデルに当てはめると、そういう人は「極端に内向型の(=現実の事象より自分の内界のイメージを大事にする)理科趣味の徒」として捉えることができるかもしれません。
以上、取り急ぎの試論です。(ブログのカテゴリはとりあえず「理科室」に入れておきます。)
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