続・天象儀2008年11月05日 22時39分23秒

(以前の記事はこちら。 http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/03/05/277997

昔のプラネタリウムの記事にコメントをいただきましたが、最近こんな紙物を買いました。

戦前から戦中にかけて、東京有楽町にあった東日天文館。そこのリーフレットです(真ん中で二つ折りになります)。裏面の文面からすると、昭和14年の発行。

宇宙の仕組みを淀みなく語る解説者の姿が頼もしいですね。
レーザーポインターみたいなものでピッと照らしてます。が、実際は普通の懐中電灯なんでしょう。ただ、よく見ると矢印マークがドームに投影されています。

そういえば、私も昔プラネタリウムで、こんな矢印マークを見た覚えがあります。あれは渋谷の五島プラネタリウムだったような…。五島には、小学生時代、2つ上の兄と連れ立って、4、5回出かけたはず。

(この項つづく)

コメント

_ DryGinA ― 2008年11月07日 02時42分54秒

 あぁ、その五島プラネタリウムの矢印型投影機、僕にも記憶があります。最初に行った時にそれを操っていたのはたぶん草下英明さんです。映画っ子で星っ子で切手っ子だったので文化会館にはよく行きました。う~ん懐かしい。『東日天文館』については知りませんでしたが、もしそれが存続していたら五島は無かったんでしょうね。

_ S.U ― 2008年11月08日 06時38分32秒

この矢印型投影機ですが、以前お話しした、私の小学校に届いたミニプラネタリウムにも付属していました。かつては、大小を問わず、プラネタリウムの必須付属アイテムだったのではないかと想像します。

  小学校の矢印型投影機は驚くほど子どもたちにウケて、先生がそれを使って説明し始めると、みんなが歓声を上げるものだから、先生もいつになくテレてましたね。

_ 玉青 ― 2008年11月08日 08時58分48秒

>DryGinAさま

そうですね、「東京にもプラネタリウムを!」という情熱で作られたのが五島ですから、東日があったら五島はなかったでしょうね。

草下さんは、なかなか一箇所に落ち着けない人だったらしく、五島に在籍したのも、その最初期、昭和30年代前半だけでしたから……と、指折り数えるとDryGinAさんに怒られそうですね(笑)。

>S.Uさま

楽しい授業風景ですね。その場の雰囲気が想像されます。

プラネタリウムのあるところ矢印あり。そういえば、数年前、子どもと一緒に行ったN市のプラネタリウムでも矢印を投影していたのを、今思い出しました。時は移れど、矢印は依然健在のようです。

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