『星の世界をゆく』…星景画の時代2008年12月04日 22時04分54秒

スカイラインを低くとって、地上の景観と、その上にのびやかに広がる星空との対比を叙情的に描いた絵のことを、私は勝手に「星景画」と呼んでいます(星景写真からの連想)。

上の絵はその典型例。描かれているのは、1858年に出現したドナティ彗星です。
この絵は、フランスのギユマンの 『天空 Le Ciel』 (初版1864)に載っている有名な挿絵(http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/06/19/411776)を本歌取りしたものです。

ただし、地上の景色はしっかりドイツ風の街並みに置き換わっていますね。
それと、色調が一寸独特。「だみ色」というのか、全体に赤茶がまさった渋い発色です。サンプルが少ないので断言はできませんが、こうした色合いは、同時代の他のドイツの本にも強く感じます。(何か技術的要因があるんでしょうか?それとも嗜好の問題?)

   ★

ところで、星景画そのものは、ウォード夫人『望遠鏡』(初版1859)のような先行例(http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/03/30/308998)もありますし、起源はたぶん1850年前後にまで遡ると思いますが、19世紀の中葉以降、こうした図柄が各国で人気を博したことは、天文趣味の大衆化という点で注目すべき現象です。(その過程で女性が果たした役割は大きかったと思います。)

コメント

_ S.U ― 2008年12月04日 22時37分30秒

ドイツで「赤っぽい」と聞けば、すぐに私が思い出すのは「アグファ・カラー」(フィルム)です。
詳しくは知らないのですが、カラー写真の色調が大胆に赤っぽくなるがそれでも落ち着いた調子、という特徴ではなかったかと思います。私も一度だけ使ったことがありますが、赤っぽい陰影はあまり日本人好みとは思えませんでした。それでも、数十年にわたってそういう色調をフィルム会社が維持していたということならば、技術ではなく好みの反映であるとしか思えません。

_ 玉青 ― 2008年12月05日 20時44分16秒

ドイツ人はお赤いのがお好き。

んー、何とも興味深いですね。各国の国民性と色彩感覚には当然関係があると思うんですが、ドイツ人と赤味の関係は…?イギリス人のブルー好きは、海の民だから…と聞いたような気もしますが…んー…

!!!分かった。これはドイツ国旗のカラーリングと関係あるに違いありません。黒・赤・黄の三色旗。各色は勤勉、情熱、名誉を表わすそうです。この鈍重な色合いは、確かに額に汗して働くのが好きな国民に相応しいような気がします。(スミマセン、一杯機嫌で適当なことを書きました。ドイツの人もゴメンナサイ。)

_ S.U ― 2008年12月06日 10時35分44秒

ドイツの国旗の重厚な色合い、勤勉な国民性、かっちりした亀甲文字、すべてがしっくり来ます。星景画の街並みの煉瓦色(それとも石の色?)ともよくマッチしているように思います。

 それから、カラーフィルムに関連して別の説を見つけたのですが(信用に足る説かどうかはまったくわかりません)、白人と日本人で目の感色性が違うということもあるらしいです。この説に私が多少尾ひれをつけますと、日本人は緑系統の色調の詳細の識別に敏感で、(若草色、鶯色、萌葱色、...)一方、ドイツ人は赤系統に敏感なのかもしれません。(英語では、ワインレッド、クリムゾン、ガーネット、バーミリオン。日本語でも、小豆色、えび茶色 といろいろありますけど) 目の色の違いによるのではないかという説もありました。 私がはっきりと感じるのは夜間照明の色です。街灯は、日本は青白系統が、ヨーロッパではオレンジ系統が多いのではないかと思います。これらは、本当にこれらの照明下での人間の色の識別能力と関係してこうなっている可能性もあると思います。

_ 玉青 ― 2008年12月06日 20時03分09秒

色彩感覚の話、考え出すと難しいですね。

日本とヨーロッパを対比させて云々という議論はあっても、さらにヨーロッパの内部で、例えばドイツと、フランスと、イタリアとを対比させてどうだという話になると、なかなかすっきりとは行かないですね。

生理学的要因も、仔細に検討すればきっとあるのでしょうが、やはり大きいのは環境的要因、もっと言えば気象条件でしょうか。それならば、ヨーロッパ内部での差異や、日本の関西・関東、東北・九州の好みの違いなんかも説明できそうですね。

和辻哲郎が、日本文化の特色をモンスーン気候と関連付けたのは卓見で、ポイントは湿度と日照でしょうか。どんな色を好むか、つまり「色相」の違いは、制度的な(あるいは宗教的な)要因もあって、一筋縄では行きませんが、乾燥して日差しの強い地方では鮮やかな色が好まれ、湿気ってどんよりした地方では地味な色が好まれるというような、「彩度」や「明度」に絡んだ好みとの関連性は、明らかにありそうです。

もうちょっと細分して、<明るく湿った所>は「明るく地味な色」、<明るく乾燥した所>は「明るく派手な色」、<暗くて湿った所>は「暗くて地味な色」、<暗くて乾燥した所>は「暗くて派手な色」が好き…という分類はどうでしょう?

_ S.U ― 2008年12月07日 05時47分18秒

生理学的要因は、他人の目になれないので検証が難しいですね。心理学的、臨床的な検査で識別能力を測定することは出来るのでしょうか。

服の色、というのは明らかに環境と同じ方向に合わせるのが見栄えがいいので、環境的要因が大きいでしょうし、そのような色の服を長年着ていると、流行にもなるし目も肥えてくる、ということで、服の色が好みの傾向の引き金になったのではないかと思います。ただし、現状から逆にたどるとなると社会的な制約も大きいので事情が複雑です。日本人の場合、渋い濁色系の好みや識別能力は、おそらくは植物の色に起因しているのだと思います。景色に霧がかかれば、気象条件にも左右されます。

_ 玉青 ― 2008年12月07日 07時44分14秒

実際にどんな体験をしているかという、「感覚質」の問題は、どうしても不可知論の壁に阻まれてしまうのですが、でも例えば赤なら赤を、感覚的にどこまで細かく区別しているかは、呈示刺激の物理的属性を少しずつ変えて、弁別可能な閾値を測定すれば(この場合、単なる主観的報告で可)、容易に決定できます。あるいは2つの色刺激の類似度を10段階で評定させる、といった実験でも良いでしょう。(動物でも実験できます。2枚のカードを見せて、2枚が同じ色の時だけレバーを押すと餌がもらえることを予め学習させ、条件付けしておけば良いのです。この場合、レバーを押すのは“同じ”という言語報告と等価です。)

ただ、2つの集団に能力の差があったとして、その要因を決定するのは非常に難しいですね。生理学的差イコール遺伝とも言えず、多くの場合、乳幼児期の初期学習の効果も大きいですから。特に色彩の場合は、初期学習の中身をさらに家庭環境と自然環境由来のものとに分ける必要も出てきます。

服装の好みが自然(植生)に左右されるのは、染料の関係もあるので、まさにそうなのでしょう。文化によって「普段着の色」は様々なのに、反対に「高貴な色」が赤とか紫とか黄色とか、ごく少数にしぼられるのも、たぶん染料の関係では。色彩象徴論とは別に、「出しにくい色は尚ばれる」という、ごく単純な理由があったような気がします。

まあ、今はどんな色でもお好み次第ですし、どこの国の人も、同じ地域で作られた、似たような服を着ているので、色彩感覚も世界規模で均一化しつつあるのかもしれませんね。

_ S.U ― 2008年12月07日 17時04分17秒

生理学的要因についてのご説明ありがとうございます。検査は可能ということですので、人種・民族によって差があることも原理的には実証可能ということですね。 でも、確かに教育効果も大きそうですね。親が赤っぽい色はピンクでもえび茶でも何でも「赤色」だと教えれば、子どもは微妙な色合いの違いを気にとめず、やがては区別できないように成長するでしょう。
 色彩感覚が世界規模で均一化するかどうか---、生理的な視覚の民族の違いによる特徴がどの程度文化に影響を与えているか、ということのテストになるかもしれません。

_ 玉青 ― 2008年12月08日 22時46分19秒

自分ではちゃんとした格好のつもりなのに、家人に色がおかしいと、けなされることがあります。(その反対の場合もあります。)同じ環境で暮らしていても、色彩感覚というのは、なかなか均一化しないもののようです。
…と、自分で混ぜっ返していれば世話はありませんが(笑)。

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