暦のはなし(2)2009年01月03日 00時02分53秒

話がちょっと枝葉に入りますが…。

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暦を作るのは簡単ですね。
1月は31日、2月は28日…と日付を並べて、あとはクレヨンで絵でも書けばいいんですから。5歳の子どもでも作れます。(私も作ったことがあります。)

「でもな、4年に1回うるう年っていうのがあるんだぜ」と、小学生のお兄ちゃんなら、得意げに教えてくれるでしょう。

「そう。でもね、西暦が100で割り切れる年は、うるう年にはならないのよ。でも400で割り切れる年は、やっぱりうるう年なの。難しいでしょ?」と、高校生のお姉さんは優しく諭してくれるかもしれません。

でも、これだけ知ってれば、何の迷いもなしにカレンダーが作れるのですから、そう大層な知識が必要なわけではありません。昔はなぜ暦学それほど大層なものだったのか?

昨日布団の中で、「もし自分が無人島に無一物で漂着したら、どうやって暦を作るか?」を考えていました。しかも遭難のショックで、1年は365日と4分の1という記憶を失っていたら?という前提で。

いろいろ頭の中で作業をシミュレートして見ると、太陽の動きを測定して暦を作るのは、かなり大変な作業だということが分かりました(というか、分かった気になりました)。結局、最も観測しやすい現象は太陽ではなく、<月の満ち欠け>であり、太陰暦というのは一定の技術水準のもとでは、最も合理的な選択肢である、というのが布団の中での結論でした。

ただ、太陽を基準にした1年は、月の満ち欠けの周期の倍数になってないので、使っているうちに、だんだん両者のずれが大きくなってきます。暦が季節の変化を反映しないのは、農業をベースにした生活では、やっぱり不便なので、ところどころ「うるう月」を入れたりして、太陽と月相の変化を何とか調和しようとしたのが、いわゆる「旧暦」、つまり太陰太陽暦ですね。

この矛盾が最小限になるよう暦日を調整すること―。考えただけでも、ややこしい作業です。その上「月食や日食を正確に予測せよ」というタスクまで課せられたのですから、暦学家が観測と計算に日々明け暮れたのも当然です。して見ると、やっぱり暦学とは大層なものだったのです。

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そんなことを考えつつ、古暦に目をこらしてみます。(この項つづく)