暦のはなし(7)…新暦誕生(その1) ― 2009年01月14日 21時51分38秒
暦のはなしが中途半端なところで止まっていましたが、時計の針を少し先に進めます。
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明治5年(1872)暮れ、突如として改暦の布告があり、すでに出版済みの明治6年暦を回収して、新たに太陽暦を出すという騒動が持ち上がりました。
ですから、世間には「幻の明治6年版旧暦」というものが残っているらしいのですが、残念ながら手元にはありません(内田・前掲書には写真が載っています)。
写真は明治11年(1878)用の暦。高さ15.5センチほどの、冊子体です。
発行元として、「東京/大阪 頒暦商社」「伊勢国弘暦者/宇治 佐藤正三」という名前が並べて書かれています。
制度的なことでいうと、明治14年までは、各地の伝統的な暦問屋が許可を得て、暦を出版することが認められており、写真の品はそうした形で発行されたものでしょう。
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明治5年(1872)暮れ、突如として改暦の布告があり、すでに出版済みの明治6年暦を回収して、新たに太陽暦を出すという騒動が持ち上がりました。
ですから、世間には「幻の明治6年版旧暦」というものが残っているらしいのですが、残念ながら手元にはありません(内田・前掲書には写真が載っています)。
写真は明治11年(1878)用の暦。高さ15.5センチほどの、冊子体です。
発行元として、「東京/大阪 頒暦商社」「伊勢国弘暦者/宇治 佐藤正三」という名前が並べて書かれています。
制度的なことでいうと、明治14年までは、各地の伝統的な暦問屋が許可を得て、暦を出版することが認められており、写真の品はそうした形で発行されたものでしょう。
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