石井研堂『理科十二ヶ月』を読む(その1)2009年02月16日 06時47分10秒

皆さん、幸はありましたか?

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昨日はあたたかな花粉日和。このところたまった疲れを癒すために、昨日は一日のんびりしました。ゴロンと寝転んで、石井研堂の『理科十二ヶ月』を読んでいたら、知らぬ間に寝入ってしまい、でも目が覚めたときも依然春の日は明るく、何とものどかな気分を味わいました。

このクレスから出た復刻版(http://www.kress-jp.com/kress051.htm#book519)は、表紙から巻末広告までの完全復刻なので、読んでいるうちにだんだん気分が明治になってきます。

ここで、つまらない思い出話をすると、学生の頃は生活全般がかなり明治づいていました。私はさる地方の城下町で学生生活を送ったのですが、当時の住まいは、昔造り酒屋だったという大きな屋敷の離れ(元は隠居所だったらしい)で、床の間付きの古い座敷から、庭前の萩やら梅やらを眺めながら暮らしていたのです。細い縦桟の障子をたてきって、暗い灯火の下で漱石を読んでいた当時の自分を思うと、今の自分よりよほど年寄りくさく、なんだか夢のような気がします…

さて、話を戻して、この本が出た1901年(明治34年)といえば、日清戦争と日露戦争のちょうど中間期。幕末以来の最大懸案、不平等条約改正のレールも徐々に敷かれ、日本が自信を深めつつあった頃だと思います。その時代の空気が、まずこの本の通奏低音としてあります。

本書(最初に出た『第一月』)の冒頭、研堂は「理科十二ヶ月を読む人に告ぐ」という序文を書いています。

「…想ふに、本邦の人は、由来武勇なり、忠孝なり、義侠なり。されば少年の好みて読む所ハ忠義録なり、楽みて聞く所は武辺談なり。これ等は、国民の特性として大に誇るに足る美質なれども、今日、国を富まして諸外国との権衡を保つには、忠孝武勇にのみ依頼すること能はず、必ず科学上の智識を高めて、万種の利用厚生上に、造化の秘庫を開き、天然の妙工を奪はざるべからざるなり。(…)幸に紅顔可憐の少年が、理海の涓滴を味ひ、坐右眼前の現象に、多少留意する習性を養ひ、一片の花弁半翅の蝶粉にも、其詳審の観察を費すに至らば(…)早晩、ワット、ニュートンの如き人傑が、我が日本男児の中より出でんことを希ふのみ。」

単純な科学立国論といえばそれまでですが、研堂はその基礎が、眼前の現象に目を留め、詳しく観察する態度であることを喝破しています。要するに学問そのもの以前に、一種の「知的スタイル、構え」こそが大事なのだ、というわけです。これは間違いなく研堂の実感に基づく言葉でしょう。たぶん研堂自身がそうした態度を持していたために、理科にも惹かれ、また次々といろいろな分野に首を突っ込むことにもなったのではないでしょうか。

この本の主人公、日新高等尋常小学校の生徒、春川清や秋山美雄らは、そうした研堂のいわば「分身」として、実に生き生きと周囲を探検していきます。

(この項つづく)