はてな天文台1 (外観)2009年04月19日 10時02分57秒


いつものように絵葉書を買いました。
しかし、表にも裏にも文字情報がないので、どこを写したものなのかさっぱり分かりません。時代は大正~昭和初め頃と思います。

天文ドームと巨大な層塔の対比が奇怪な感じですが、よく見るとドームの土台や階段、手すりも、みな堂々たる石造品で、最初から全体をセットとして建造したのでは?という想像も浮かびます。

階段に立つ細身の紳士が台長さんでしょうか。

ネット時代に入って、いろいろな情報が瞬時に得られるようになりましたが、考えてみると、情報の検索は全て文字を経由して行われるので、こんな風に1枚の画像をポンと出されて、「こりゃ何だね」と聞かれても、全く調べようがないことに改めて気づきます。結局は知っていそうな人に聞くという、旧来の方法しかないと。

将来はそれも変ってくるんでしょうが、今のところネットに大きな穴があるのは確かでしょう。

はてな天文台2 (内部)2009年04月19日 10時06分11秒


内部は天文とは関係のない顕微鏡や生物標本なんかも陳列されていて、私設博物館の様相を呈しています(その辺から、何となくこの天文台は個人立という気がします)。

不思議な上にも不思議なのは、肝心の望遠鏡がないこと。
立派な架台だけが空しく立っています。
隣に申し訳のように置かれた三脚式の望遠鏡は、当時のアマチュア用機材としては大型の部類でしょうが、それにしても天文ドームにはまったく不釣合いです。

謎が謎を呼びます。
この天文台の正体をご存知の方はぜひご教示ください。


【付記】

…という文章をさっきまで書いていて、でも昭和の初めに個人で天文台を持っていた人はごく限られるぞ、と思いなおして調べたら、正体が知れました。これは滋賀県出身の実業家・藤井善助が1921年頃に立てた「藤井天文台」です。

主力機材は16センチのスタインハイル製屈折望遠鏡で、1936年に経緯台から赤道儀に改装されています。絵葉書は、たぶんその改装時に撮られたものではないでしょうか。

藤井善助(1873-1943)という人は、今ではむしろ東洋美術のコレクターとして名を残しているようで、「別冊太陽 101人の古美術」には、松永安左衛門や小林一三なんかと並んで名前が出てきます。要するに財界の数寄者の一人ですね。それと同時に、理科趣味にも走ったというのは、日本ではかなり珍しい存在じゃないでしょうか。なかなか興味深い人です。

というわけで、「はてな天文台」ではなくなったのですが、面倒なのでタイトルはそのままにしておきます。