昆虫の劇場…イタガキノブオ 「アリジゴク・エレジー」2009年07月07日 19時45分20秒

水の中にいるかのような、ねっとりとした空気。
どうも七夕は毎年こんな感じです。

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さて、昨日の混乱が静まり、ちょっと冷静にものが考えられるようになりました。

昨日は例の作品を全否定するようなことを書いてしまいましたが、でも確かに、日本には「昆虫文化」と呼びうるものがあるし、それは他国から見るとやっぱり特異なものかもしれない…と、思い直しました。

昆虫を主人公にしたアニメや特撮ヒーローの数々を考えただけでも、そう思います。いわゆる先進国の内で、日本の昆虫相はとびきり豊饒なので、昆虫がより身近な存在である(あった)ことは確かでしょう。

問題は、「日本の昆虫文化は世界的に見て特異だ」というのが仮に正しいとしても、だからといって、別に日本文化は昆虫だけで成り立っているわけではないし、「昆虫を見れば日本文化のすべてが分かる」とは決して言えないぞ、という点です。
落ち着いて考えれば当たり前のことですね。

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さて、「日本の昆虫文化」と聞いて、自然と思い浮かぶ作品があります。
私はナショナリズムとはおよそ相容れない人間ですが、でもこれは日本でなければ生まれ得なかった作品ではないか…という気がしています。

■イタガキノブオ作 「アリジゴク・エレジー」
  (86年「ガロ」2,3月号に掲載、同年刊行の作品集『ネガティブ』-青林堂-所収)

主人公は「小鬼」のような形相で恐れられながら、不思議な歌で他の虫たちを魅了するアリジゴク。「彼」は、仲間のアリジゴクが次々と羽化して、優美なウスバカゲロウの姿となり、恋を交わすようになっても、なぜか1人だけ「子供」の姿のままでいるため、仲間からも徹底的に忌避されています。「彼」は自分自身を呪い、他者を激しく憎悪し、相手と心を通わせることがありません。

その「彼」を見つめ、シンパシーを感じながらも、常にシニカルな態度をくずさない蜘蛛がもう1人の主人公。二人は、徐々に心の距離を縮めていきますが、そのラストはあまりにも衝撃的。

黒々とした闇と月光の下で、静かに、ときに凄惨に展開する昆虫たちの生と死の営み。豊穣なエロスとタナトス。虫たちが繰り広げるサイコドラマ。

こういう繊細な作品を前にすると、ディズニーの「バグズライフ」が何とも厭わしく感じられます。

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今日、帰り道で墓地の脇を通ったら、卒塔婆に真新しい蝉の抜け殻がとまっていました。きっと今年生まれた蝉のものでしょう。

(付記:イタガキノブオさんのことは、昔shigeyukiさんにコメント欄で教えていただきました。)