昆虫の劇場…イタガキノブオ 「アリジゴク・エレジー」2009年07月07日 19時45分20秒

水の中にいるかのような、ねっとりとした空気。
どうも七夕は毎年こんな感じです。

  ★  ☆

さて、昨日の混乱が静まり、ちょっと冷静にものが考えられるようになりました。

昨日は例の作品を全否定するようなことを書いてしまいましたが、でも確かに、日本には「昆虫文化」と呼びうるものがあるし、それは他国から見るとやっぱり特異なものかもしれない…と、思い直しました。

昆虫を主人公にしたアニメや特撮ヒーローの数々を考えただけでも、そう思います。いわゆる先進国の内で、日本の昆虫相はとびきり豊饒なので、昆虫がより身近な存在である(あった)ことは確かでしょう。

問題は、「日本の昆虫文化は世界的に見て特異だ」というのが仮に正しいとしても、だからといって、別に日本文化は昆虫だけで成り立っているわけではないし、「昆虫を見れば日本文化のすべてが分かる」とは決して言えないぞ、という点です。
落ち着いて考えれば当たり前のことですね。

  ★  ☆

さて、「日本の昆虫文化」と聞いて、自然と思い浮かぶ作品があります。
私はナショナリズムとはおよそ相容れない人間ですが、でもこれは日本でなければ生まれ得なかった作品ではないか…という気がしています。

■イタガキノブオ作 「アリジゴク・エレジー」
  (86年「ガロ」2,3月号に掲載、同年刊行の作品集『ネガティブ』-青林堂-所収)

主人公は「小鬼」のような形相で恐れられながら、不思議な歌で他の虫たちを魅了するアリジゴク。「彼」は、仲間のアリジゴクが次々と羽化して、優美なウスバカゲロウの姿となり、恋を交わすようになっても、なぜか1人だけ「子供」の姿のままでいるため、仲間からも徹底的に忌避されています。「彼」は自分自身を呪い、他者を激しく憎悪し、相手と心を通わせることがありません。

その「彼」を見つめ、シンパシーを感じながらも、常にシニカルな態度をくずさない蜘蛛がもう1人の主人公。二人は、徐々に心の距離を縮めていきますが、そのラストはあまりにも衝撃的。

黒々とした闇と月光の下で、静かに、ときに凄惨に展開する昆虫たちの生と死の営み。豊穣なエロスとタナトス。虫たちが繰り広げるサイコドラマ。

こういう繊細な作品を前にすると、ディズニーの「バグズライフ」が何とも厭わしく感じられます。

  ★  ☆

今日、帰り道で墓地の脇を通ったら、卒塔婆に真新しい蝉の抜け殻がとまっていました。きっと今年生まれた蝉のものでしょう。

(付記:イタガキノブオさんのことは、昔shigeyukiさんにコメント欄で教えていただきました。)

コメント

_ shigeyuki ― 2009年07月08日 00時14分27秒

おお、またデザインが変わってますね。
虫といえば、確かに子供の頃は一生懸命セミとりをしてたくちですが、あれはポケモン集めとかとあんまり変わらないような。
日本人も、虫と共存はしてないですよね、確実に。
大人には、病的に嫌がる人も多い。
虫めずる姫君は、玉青さんのおっしゃる通り、こんな変人がいたんだよという、どちらかといえばネガティブな話でしたし。
外国の方が、勝手に日本を持ち上げてくれるのは有難いですが、ほとんどは思い込みですから、困ってしまう部分もありますね。ラフカディオ・ハーンが、晩年には日本に失望していたのを思い出します。

_ 玉青 ― 2009年07月08日 21時20分09秒

デザインについては、文字の読みやすさを最優先に考えて、現在試行錯誤中ですが、今の表示はわりとよさそうなので、当分はこれでいこうと思います。

さて、虫の話。
虫の嫌いな人は多いですね。例の作品の見方によれば、その点で日本はだいぶアメリカナイズされてきたことになりますが…はて?

_ S.U ― 2009年07月08日 22時26分06秒

昆虫があまり得意で者から言わせていただくと、..
好き嫌いに合理的な理由などあるはずもありませんが、...
私にとって、昆虫があまり気色が良くないのは、外見がメカニックなくせに、中身がぐじゅぐじゅだというところでしょうか。
イナゴの串焼きはもはやぐじゅぐじゅしていないので食べたことがあります。

_ 玉青 ― 2009年07月09日 20時25分53秒

>外見がメカニックなくせに、中身がぐじゅぐじゅ
>イナゴの串焼きはもはやぐじゅぐじゅしていないので食べたことが…

虫嫌いの人は、これだけでもうダメでしょうね。  ぐじゅぐじゅ(笑)。
そういう「ぐじゅぐじゅダメ」系の人は、何となく鉱物に惹かれる確率が高そうですね(実際そういう人は多いでしょう)。

でも、鉱物にも、動物にも、植物にも同じように惹かれるという人も少なくないので、その辺の規定因は…うーん何なんでしょう?
簡単には説明できそうにありませんが、自分を省みると、「感情を離れた存在」という点で、昆虫も、鉱物も、植物も、等しく硬質な存在と感じることがあります。その硬質さ故の魅力というのは、確かにありそうです。

でも、私は別に人間の感情が嫌いなわけでもないし…

…そうか!私の場合、<理科という教科>を好きになる経験がまずあって、その後、「理科に出てくる」というだけの理由で、理科に登場するものは何でも好ましく感じるようになったんだと思います。何だか不自然な心模様ですが、でもきっとそうでしょう。。

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