『天文学辞典』と昭和モダン(2) ― 2009年07月11日 12時39分33秒
(同書巻末広告。山本一清のベストセラー『星座の親しみ』の激しい惹き句!)
奥付によると、この辞典の発行は昭和8年6月20日。同年9月21日に宮沢賢治没。
ですから、賢治の天文知識というのは、おおむねこの辞典に盛られた内容と重なっているはずです。
山本一清が書いた、冒頭の「発刊に就て」によれば、この辞典の母体となったのは、雑誌「天界」〔=当時の東亜天文協会、現在の東亜天文学会の機関誌〕の付録として掲載された「天文語彙」という記事だそうです。それが好評を博し、段々に増補された結果、
「結局、最初の『天文語彙』といふ名は、もはや相応はしくなくて、堂々たる『天文学辞典』となって了った。同時に、其の内容は、単にアマチュアのためのものではなくて、可なりに専門家向きのものとなった。そして此の種のものとして、外国にも全く例が無く内外独歩の学術辞典となったことは、十余年前に創意した自分として、我が児の成長を見届けた者の喜びと誇らしさとを感じる次第である。―若し出来るものならば、之れを英語か独逸語にでも訳して見て、世界中の学俗たちと共に、其の利便を頒ちたいと思ふ。」
強烈な自負の言葉です。
当時、欧米にも天文学辞典がまだなかったどうか、これは議論のある点だと思います。専門家向き、あるいはアマチュア向きの分厚いハンドブックの類は以前から多く出ていましたし、巻末の詳細な索引を参照すれば、それらは十分辞書の役割も果たしたからです。
ただ、この『天文学辞典』は、天文学用語はもちろん、有名無名の天文家や各地の天文台のような固有名詞も多く収め、さらに「たなばた」のような民俗語彙まで配列したので、その意味では類書がないというのは、多分その通りでしょう。
高橋健一氏の『星の本の本』を見ても、これが日本最初の天文辞典であることは確かです。
この本は、大正の後半から昭和戦前にかけて、日本で天文趣味が盛んとなりつつあった時代を背景に生まれた1冊であり、同時に山本一清という強烈なキャラクターを考える糸口ともなると思います。
この辺のことは、どうもあまり上手く書けそうにありませんが、当時の天文シーンについて、一度は書いておきたい気がするので、以下少しずつ書いてみます。
(この項つづく)
奥付によると、この辞典の発行は昭和8年6月20日。同年9月21日に宮沢賢治没。
ですから、賢治の天文知識というのは、おおむねこの辞典に盛られた内容と重なっているはずです。
山本一清が書いた、冒頭の「発刊に就て」によれば、この辞典の母体となったのは、雑誌「天界」〔=当時の東亜天文協会、現在の東亜天文学会の機関誌〕の付録として掲載された「天文語彙」という記事だそうです。それが好評を博し、段々に増補された結果、
「結局、最初の『天文語彙』といふ名は、もはや相応はしくなくて、堂々たる『天文学辞典』となって了った。同時に、其の内容は、単にアマチュアのためのものではなくて、可なりに専門家向きのものとなった。そして此の種のものとして、外国にも全く例が無く内外独歩の学術辞典となったことは、十余年前に創意した自分として、我が児の成長を見届けた者の喜びと誇らしさとを感じる次第である。―若し出来るものならば、之れを英語か独逸語にでも訳して見て、世界中の学俗たちと共に、其の利便を頒ちたいと思ふ。」
強烈な自負の言葉です。
当時、欧米にも天文学辞典がまだなかったどうか、これは議論のある点だと思います。専門家向き、あるいはアマチュア向きの分厚いハンドブックの類は以前から多く出ていましたし、巻末の詳細な索引を参照すれば、それらは十分辞書の役割も果たしたからです。
ただ、この『天文学辞典』は、天文学用語はもちろん、有名無名の天文家や各地の天文台のような固有名詞も多く収め、さらに「たなばた」のような民俗語彙まで配列したので、その意味では類書がないというのは、多分その通りでしょう。
高橋健一氏の『星の本の本』を見ても、これが日本最初の天文辞典であることは確かです。
この本は、大正の後半から昭和戦前にかけて、日本で天文趣味が盛んとなりつつあった時代を背景に生まれた1冊であり、同時に山本一清という強烈なキャラクターを考える糸口ともなると思います。
この辺のことは、どうもあまり上手く書けそうにありませんが、当時の天文シーンについて、一度は書いておきたい気がするので、以下少しずつ書いてみます。
(この項つづく)
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