天文趣味を作った人、山本一清(2)2009年07月15日 22時42分19秒

(京都帝国大学・花山天文台。1930年頃の絵葉書。)


以下、中山茂(編)、『天文学人名事典』(恒星社厚生閣、昭和58)より。

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山本一清 やまもと いっせい
(1889~1959)

滋賀県生まれ。大正2年(1913)京都帝国大学物理学科卒業。水沢国際緯度観測所で観測に従事。測地学委員会の委嘱で重力偏差を測定、観測地点280個所に及んだ(1916~)。

アメリカ・イギリス・ドイツ・フランスに滞在研究(1922~1925)。同14年(1925)論文“水沢における大気屈折の影響に対する特殊装置による緯度変化の同時観測”(英文)で理学博士、京都帝国大学教授(勅任教授)。昭和4年(1929)花山天文台長兼任。国際天文学連合黄道光委員会委員長(1935~1938)。同大学退官(1938)。

大正9年(1920)東亜天文学会を結成、雑誌「天界」を創刊し、会を主宰した。私費で山本天文台を創設し、生涯天文学の啓蒙普及につとめた。処女出版「星座の親しみ」をはじめ多数の啓蒙書がある。

月の裏側にあるクレーターのひとつに“ヤマモト”と命名されている。

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山本の生涯は、アカデミズムの中心にいた時代と、天文啓蒙家として一般大衆のオルグに没頭した時代とに大きく分かれます。
官学から在野へ―。同じく天文学関連の活動とはいえ、ライフスタイルという点では両者は非常に異なったものがあったはずです。山本は、なぜ自らそういう選択をしたのか…?

(この項つづく)

【付記】
JAXA(宇宙航空研究開発機構)のサイトに、かぐやの撮影したヤマモトクレーターの画像があります。
http://wms.selene.jaxa.jp/selene_viewer/jpn/observation_mission/tc/tc_031.html