天文趣味を作った人、山本一清(5)2009年07月25日 22時57分06秒

(↑原本は染みが目立つので、少し画像をいじりました)

山本一清は、2007年に出たばかりの、『天文学大事典』(地人書館)でも項目立てされていることを、同社のN氏に教えていただきました。とすると、「月のパズル」のところで彼を「過去の人」呼ばわりしたのは修正が必要です。確かに(物理的には)過去の人に違いないにせよ、彼はいまでも依然重要な立ち位置にいることを再認識しました。

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前回、彼の詩心ということを書きました。

『星座の親しみ』は、文中でテニスン(アルフレッド、1809-1892)、エマーソン(ラルフ・ウォルド、1803-1882)、それにインドのタゴール(1861-1941)などの詩句を引用しています。タゴールも含め、彼らはいずれもロマン主義(ロマン派)の文脈にある人たちなので、山本の嗜好がどこにあったか、よく分かります。

感情のほとばしり、遠い世界への夢見がちな憧れ、そうしたものが彼の天文趣味にはついて回りました。もちろん直接には、前にも書いたように「明星」や「スバル」に代表される、日本的浪漫主義の洗礼を青年期に受けたことが、その趣味の涵養に大きく影響しているのでしょう。

言葉は悪いのですが、山本の天文趣味を彩るのは、一種の「星菫趣味」であり、これが大正期の青年にも大いにアピールして、その後の日本の天文趣味が育っていきました。現在においても、日本の天文趣味に、過度の抒情性や文学的色合いがあるとすれば、それは上のような出自が影響していると思います。

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ただし、そうした「星菫趣味」は山本の専売特許ではなく、明治の後期にはアカデミックな天文学の内にも根を張っていたことが、上の冊子からうかがえます。

■日本天文学会(編)『恒星解説 全』
 三省堂、明治43年(1910)

日本天文学会が結成されて2年後に出た冊子です。
先に出た「新撰恒星図」(http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/05/21/3533856)の付録として編まれたもの、と前書にはあります。(この冊子の内容は、機会があれば書いてみたいと思います。)

その後、アカデミックな天文学はこうした色彩を急速に振り捨て、硬派な面を強めていきました。出発点こそ山本と近かったものの、進む方向は正反対であったと言うべきでしょう。

(この項つづく)