活動せるデロール2009年07月26日 22時59分47秒

休日はまた懲りずに、博物系の画像を求めてウロウロ。
で、ふとYouTubeにデロールの動画がアップされているのを発見。
これはデロール好きの人にとっても、デロールの正体を今一つつかみかねている人にとっても朗報です。

■Insolite : Les secrets du taxidermiste ?
http://www.youtube.com/watch?v=CtkrcWOEMp4&feature=related

どうやら火事で焼ける前の姿のようですが、あのデロールの空間が、リアルに体感されます(それにしてもデロールの店員さん、昆虫標本の棚を開ける手つきが、何だかちょっと乱暴じゃないですかね)。

右側の関連動画にも、フラゴナールやら、興味をひく動画がいろいろあるので、併せてご覧ください。

  ★

ときに、書いていて自分でも矛盾しているというか、ワガママだと思うんですが、どうもYouTubeでデロールを見るという安易さが、デロールの陰影を少なからず損なっているような気が、一方ではします。
こうしてネットで紹介されているうちに、イメージとしてすっかり消費され、「デロール?ああ、あれね」という風になるのは、何だか寂しいような…。

たぶん私が探し求めているのは、デロールに仮託した「永遠に到達できないどこか」なのでしょう。ですから、動画を見るばかりでなく、たとえ現実のデロールを訪れたとしても、何か満たされないものが、きっと残るでしょう。

メーテルリンク風に、「その‘どこか’というのは、結局‘ここ’じゃないのかね」と言われれば、そんな気もしますが、でも、違うような気もします。

コメント

_ S.U ― 2009年07月30日 07時44分33秒

>「その‘どこか’というのは、結局‘ここ’じゃないのかね」

「原風景」という言葉がありますが、これはどういう意味なのでしょうか。「事実かどうかはわからないが、『子供の時にそこをよく訪れて景色が印象に残っている』ように大人になって感じるようなところ」ということでしょうか。「心のふるさと」というようなわかったようでわからない表現もあります。
 ‘どこか’というのは、「永遠に到達できない『原風景』」であるような気がします。

_ 玉青 ― 2009年07月31日 07時10分56秒

原風景というのは、誰にでもあるものなんでしょうが、それを強く意識する人とそうでない人がいるのかもしれませんね。

私自身は、このブログでも「郷愁の天文趣味」を標榜しているだけあって、思考がかなり後ろ向きで、原風景(や幼時の様々な経験)を意識することが多いです。夢の中にも、そうした光景がよく出てきます。ときどき、頭に浮かぶ光景が、現実に見た景色なのか、夢で見たそれなのか区別が付かないことがあって、こうなると一寸危ないかな…と危惧しています(笑…ってる場合ではないかも)。

**協会関連の件、重ねてよろしくお願いします…<(_ _)>

_ S.U ― 2009年08月01日 15時21分10秒

なるほど。本当にそういう「原風景」の意識の強い方もおられるのですね。
私も「後ろ向き」の部類ですが、深層心理や民俗学で取り上げられるような「原風景」というのはあまりありません。むしろ、子供の時に経験したことは、かなり明瞭な具体的事実として記憶しています。子供の時の人間関係を大人になっても恨みに思っていて復讐に走る犯罪者がいるそうですが、そういうのは何となくわかるように思います。(私にはそういう相手が生じなかったことが幸いでした) それとは別個に、明らかに実際には体験していない夢や想像の(あるいは本やテレビで見た)イメージが存在しています。

 本当の昨日のことの記憶は相当怪しく、大事なことでもすぐに忘れてしまう、こちらが現在大いに危惧していることです。(笑えず)

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