泡箱のはなし(2)2009年08月05日 21時56分03秒

(前の記事のつづき)

泡箱写真の拡大。素粒子が描いたアート。

ところで、この絹糸のように細い泡の筋。細いとは言っても目に見えるのですから、元の粒子と比べれば、信じがたいほどの大きさを持っているはずで、おそらくは1千億倍以上のオーダーにはなるでしょう。

  ★☆

かつて銀の羽を持った1羽のカモメがおりました。
そのカモメは、あまりにも高く、あまりにも速く飛ぶために、その姿を実際に見た者は誰もいませんでした。
しかし、カモメが翔んだその跡には、不思議なことに大きな泡が―何と地球よりも大きな、いやそれどころか、地球の公転軌道ほども大きな泡が―無数に連なったために、遠い異世界の住人にも、はっきりとその存在が感じ取れたそうです。

  ☆★

おとぎ話めいて書けば、そんな感じでしょうか。

小さな泡とはいえ、液体水素が泡だつときにも、きっとかすかな音がするのでしょうね。
シュッ…シュワッ…シュワーッ…と。

ビールの栓を抜くと泡が立つのも、泡箱に泡の軌跡が生じるのも、煎じつめれば原理は同じだそうです。ビールを眺めながら、ぼんやり極微の世界に思いをはせるのも、この時期ならではの風流かもしれませんね。

コメント

_ かすてん ― 2009年08月06日 22時46分30秒

かつて学生時代宇宙線の実験室にいたことがあります。でも、霧箱や泡箱に現れる軌跡をこんなスケールで認識した事はありませんでした。

_ 玉青 ― 2009年08月07日 20時04分25秒

素粒子の立場に我が身を置いたら、想像を絶するような壮大な光景でしょうね。それにしても、装置を考えた人はすばらしい。人間というのは、なかなかエライものですね。

_ かすてん ― 2009年08月07日 21時12分30秒

>素粒子の立場に我が身を置いたら、想像を絶するような壮大な光景でしょうね。
 素粒子の立場に我が身を置いたら、地球から広大な宇宙を見上げているみたいな光景なのかなぁ。私達の時間感覚からすると一瞬にも満たない短い寿命の素粒子は、宇宙の年齢と比較するとやはり一瞬とも思える私達の寿命と相似形なのかも。

_ S.U ― 2009年08月08日 08時35分37秒

お話しのような気のきいた比喩は残念ながら私には思い浮かびませんが、「一瞬にも満たない短い寿命の素粒子」であっても、美しい軌跡や様々な反応や崩壊現象を見せてくれることを思うと、その一生はさぞ充実したものに違いないと思います。

_ 玉青 ― 2009年08月08日 10時28分15秒

○かすてんさま、S.Uさま

素粒子の世界…
時間と空間のおぼろなスープにただよう住人たち。
自と他の区別も、存在と非在の区別もとろけて、
永劫も一瞬も意味を失うような世界…なのでしょうか。

そんな彼らにも一生があり、我々マクロ界の住人の思索を誘うようなドラマを見せてくれるというのが、実に不思議ですね。

そして、そんなマクロも、ミクロもひっくるめて「宇宙」があるというのは、不思議な上にも不思議なことですね。

_ S.U ― 2009年10月08日 20時06分05秒

KEK泡箱のご紹介ありがとうございました。

この装置について、本日(2009/10/8)発行の"News@KEK"で取り上げられています。↓
http://www.kek.jp/newskek/2009/sepoct/awabako.html

(現在は、KEKトップページにも現れています)

玉青さんは「カモメ」のたとえでしたが、業界では「ダンス」と呼ばれていたそうです。「ダンス」というより、「フィギュアスケート」がよいように思います。

_ 玉青 ― 2009年10月09日 21時15分37秒

お知らせありがとうございました。
あのダンスホール、もといスケートリンク。今は上野にあるんですね。そのことも知らずにいました。今度科博に行ったときには、是非じっくり対面してこようと思います。
(お礼代わりに、アンケートの方にもポチッと答えておきました。)

_ S.U ― 2009年10月10日 07時46分21秒

古くなった実験装置は、博物館で理科好きの子どもたちの尊敬のまなざしを受けながら余生を送るのが、最高の幸せかもしれません。そのような装置は、現在もかなりの数があちこちの倉庫に眠っているのではないかと思いますが、大きなものが多いので、実際に博物館に常設展示されるチャンスは少ないようです。  アンケートご回答ありがとうございます!

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