カラフルな天文絵本(2)2009年09月14日 19時02分37秒


最初ページを開いたとき、渡辺和博さんか…

カラフルな天文絵本(3)2009年09月14日 19時03分12秒

…安西水丸さんの絵かと思いました。

この絵師、只者ではない!と感じますが、なぜかイラストレーターの名前がどこにもなくて、よーく見たら、最後のページに小さく「Castagiolaの挿絵は、著者の原画に基づいて描かれた」と注記されていました。せめてファーストネームぐらい書いてあげれば…。何となく報われない仕事という感じです。

(この項つづく)


【付記】
ときに渡辺和博さん。2年前に亡くなられていたんですね。今日初めてそのことを知り、吃驚しました。渡辺和博さんは、赤瀬川源平さんや、南伸坊さんらと共に、「ロイヤル天文同好会」というのを結成して、ゆるく天文活動をされていると聞いて、何となく親近感を持っていたのですが…。

カラフルな天文絵本(4)2009年09月15日 22時42分46秒


これが本全体の狂言回し、巨神アトラス。

彼は宇宙と人間について過剰な好奇心を抱いたために、ゼウスの怒りを買い、大地を背負う羽目になった…と、著者は説明しています。
これはそういう伝承もあるのか、著者の創作なのか分かりませんが、ともあれ、知恵の実を食べて楽園を追われた人間と相似形の巨人とともに、著者は宇宙の謎ときを続けます。

それにしても色づかいがキッパリとして鮮やかですね。

カラフルな天文絵本(5)2009年09月15日 22時44分18秒


うーむ、カラフルです。
そして一点の曇りもなく明るい。
(これに匹敵するのは……ミッフィー?)

雲の記憶(3)2009年09月16日 20時35分04秒


ひと月前に夏の雲を載せました。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2009/08/15/

季節は移り、空もずんずん高くなってきたので、リービッヒのクロモカードから、秋色の濃い絵柄を載せます。

  ★

絹層雲(Cirro-Stratus)。いわゆる薄雲。
通年出現する雲ですが、これはいかにも秋めいた風情。
海原の黄昏。茜色の雲。

遠くの島影が、彼方にある「どこか違う場所」への憧れを誘うようです。

雲の記憶(4)2009年09月16日 20時36分18秒


絹積雲(Cirro-Cumulus)。
通称「うろこ雲」、「いわし雲」。
言わずと知れた、秋の空を代表する雲です。
これが出現すると、夏の入道雲と並んで、しみじみ空を見上げるのが楽しみです。

驚異の部屋百態2009年09月18日 22時33分10秒

あまりにも眠いので、天文とも理科とも直接関係のない、つぶやきの記事です。

自分だけの驚異の部屋(ヴンダーカンマー)を志している人が、我が国に何人いるかは不明ですが、何となく100名から1000名の間ではないかと想像しています。
かく言う私も、ぜひ驚異の部屋の主に収まってみたいものだと念じ、日々精進していますが、そこに至るまでの道は、実に遠くかつ険しいものがあります。

とはいえ、<意図せずして驚異が醸し出されてしまう>という例もあるようです。
以下は、「これも、驚異の部屋のひとつの形」として挙げられた例(井澤企画の井澤氏による)。

■IZAWAKIKAKU Blog:出張先にて
 http://izawakikaku.jugem.jp/?eid=16

一応笑いをこらえようとしたんですが、こらえきれずに、ちょっと鼻がブブブと鳴りました。井澤氏のコメントに深く共感を覚えます。

(笑えない方は、再度じーっと写真を見つめてください。もちろん笑っているだけではダメであって、これは他山の石とすべき事例ですね。)

続・驚異の部屋百態2009年09月19日 21時57分21秒

今日は某天文台の記事を書こうとして、ついに書けず―。
かなり脳が煮詰まっているようです。

最近はモノを買うのでも、ちょっといい加減になっている感じがあって、その点に精神の弛緩を自覚します。

省みると、天文趣味、理科室趣味、ヴンダーカンマー趣味は、相互に重なりつつも、少しずつポイントがずれているので、3者を等しく追求することは(モノを買うのでも、知識を得るのでも)、かなり大変な作業だということが近頃分かってきました。最近の疲労の根本原因はそこかな…と思います。

兵力分散・逐次投入というのは、戦略的には愚の骨頂と言われる方法ですが、結果的にそんな感じになってしまっているので、少し戦線を立て直して、ポイントを絞ることが必要です。

  ★

さて、そんなわけで、今日は別に眠くはありませんが、またまた人の褌を履いて驚異の部屋の話を続けます。

驚異系ブログ Curious Expeditions(http://curiousexpeditions.org/)のブログ主、MさんとDさんの自宅が、ネットで公開されていると聞き、興味深く拝見しました。
以前記事を書いたとき、このカップルはブダペストに部屋を借り、そこを足場に驚異巡りをされていました。今はどうされているのか、よく分かりませんが、お二人の本宅はニューヨークのアパートメントらしく、その内部が以下で見られます。

■House Tour: Michelle & Dylan's Curiosity Filled Apartment
 http://www.apartmenttherapy.com/ny/house-tours/-090422
 (お二人の本名は、Michelle と Dylanだったんですね。真ん中あたりの“Enter Michelle & Dylan's Gallery”をクリックすると、ピクチャーギャラリーに入ります。)

何となく東欧風の、もっとダークで古怪な部屋を想像していたのですが、白を基調とした、意外に明るい部屋でした。むしろ西海岸風。

で、この部屋は決して理科室趣味ではなくて、ヴンダー趣味としか言えないなあ…と、両者の違いを改めて思いました。同じ骨格標本や昆虫標本でも、両者は明らかにディスプレイの作法が違いますね。私の場合は、もう少し理科室濃度が高くないと満足できませんが(学問の佳趣が欲しい…)、これは事の善し悪しの問題ではなくて、単に趣味の違いでしょう。

  ★

明日から3日間、小旅行+αのため、記事はお休みします。
この間に少し英気を養います。

高楼天文台2009年09月23日 17時01分08秒

静かに曇った日は、心を騒がせるものがなく落ち着きます。

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画像は100年ちょっと前の古絵葉書。
時代のわりには、簡素で機能的なビルディング風の建物が写っています。
しかし、これが100年前どころか、実は18世紀中葉に建てられたと聞くと、えっと驚きます。

オーストリアのクレムスミュンスター天文台。
修道院付属のこの建物は、現在では天文台の役割を終え、内部は博物館になっています。
…と書くと、これまた事実とたがうのでややこしいのですが、ここは元々天文台であり、同時に博物館でもあった…いや、博物館というよりも、ヴンダーカンマーそのものでした。そんなわけで、ここは天文台としては唯一、小宮正安氏の『愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎』で取り上げられています(pp.64-71)。

「数学の塔」とも呼ばれたこの建物。下層から上層に向うにつれて、まず無生物である鉱物と化石、次いで植物と動物、そして人間の科学と芸術に関するコレクションというように、<存在の階梯>をたどる陳列がなされ、更にその上にコスモスの象徴としての天文台があり、頂上には神を称えるチャペルが設けられているという、いわばキリスト教的宇宙観を視覚化した大掛かりな装置だったのです。

そうしたバロック科学の礎の上に、20世紀後半にいたるまで営々とコレクションが付加され続けた結果、クレムスミュンスターはまさに「博物館の博物館 a museum of a museum」と化し、まことに見所の多い名所となっているらしいのですが、残念ながら内部の詳細は不明。(ただし、コレクションの一端は公式サイト↓で見ることができます。)

■(公式サイト)Sternwarte Kremsmünster
  http://www.specula.at/

   ★

クレムスミュンスターを見れば、ブンダーカンマー趣味と天文趣味との間には(現代の好事家の頭の中だけでなく)歴史的に強固な結びつきのあることが知れます。
<驚異>の感覚を媒介に、科学とロマンと法悦が一体化していた時代。
ちょっと羨ましいような気もします。

18世紀のクレムスミュンスター天文台を訪ねる2009年09月24日 22時11分14秒

さて、往時のクレムスミュンスター天文台は、どんな姿をしていたか?

円筒形のドラムに乗った半球ドームという、我々が普通に抱く天文台像は、おおむね19世紀に成立したイメージですから、18世紀の天文台には当てはまりません(そもそもドームを必要とするような、大型機材はまだなかった時代ですから)。

上の図はたびたび引用している、マリアン・C.ドネリーの『天文台略史 A Short History of Observatories』(1973)より、1756年当時のクレムスミュンスター天文台内部の様子。四分儀や天頂儀、それに長焦点の小型―といっても当時はそれなりに大型の―屈折望遠鏡などが見えます。

これは18世紀後半の天文台の典型的な姿だと、ドネリー女史は述べます。あるいは「天文台」というよりも、「観象台」という古風な呼び方のほうがしっくり来そうな風情ですね。

星雲よりも星団よりも、二重星よりも変光星よりも、星の色よりも光度よりも、何にもまして星の「位置」こそが重要だった時代。描かれた観測機材からは、そんな時代相が伝わってきます。(…ちょっと宣伝めいて書かせてもらえれば、この後にウィリアム・ハーシェルという天才が現われてからですね。星や宇宙それ自体の構造や性質を研究する学問が生れ、恒星世界にロマンの香りが漂うようになったのは。)


ところで、ドネリー女史の本を読んで、昨日の説明にはちょっと修正が必要だと分かりました。が、それはまた明日。