古玩趣味ヨリ見タル、ぷらすちっく製品ノ是非ニ就キテ2009年10月18日 09時18分06秒

(以下、昨日いただいたコメントに触発されて)

尚古趣味の徒として、私はなるべくプラスチック製品を身の回りから遠ざけて暮らしています。が、その一方で、ぼんやり空想することもあります。

ある種の未来予測のように、これから物質文明の水準がじりじりと―もし、そう言ってよければ―「後退」して、プラスチック素材が最早供給されないような世界になったら、人々がプラスチック製品を珍重すること甚だしく、私も血眼になってプラスチック製品を集め、その美しさを讃美するかもしれない、と。

既に、特定領域の「昭和プラ製品」には歴史的価値が生まれているみたいですね。でも、私には一寸生々しすぎて、まだとてもそんな気にはなれません。

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「うーむ…」と、さらにプラスチック問題をブツブツ考えてみます。

どんなものであれ、素材自体は価値中立的な筈で、私がプラスチック製品を嫌うのは、その質感よりも、そこに読み取れる<どうしようもない安易さ>のせいなのかも。丁寧に作られたプラスチック製品と、粗悪な木製品・真鍮製品を比較したら、なんぼ私でも、前者の方を好ましく思うはず。

でも、「チープさの美学」というのもあるわけだし、粗悪だからダメとも言い切れないような…。

ひょっとして、私が気にしているのは、単に供給量にともなう<希少価値>の問題とか?だとしたら、それこそ<どうしようもなく安易>な話だが…。

石油系の合成樹脂はダメでも、戦前のベークライトなら許すというのも、我ながらよく分からない基準だな…(ブツブツブツブツ)

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わかった!
プラスチック製品と、いわゆる天然素材の製品は等価であり、プラスチック製品にも確かに「良い品」はある。それは、プラスチックの特長を生かして、「これはプラスチックでなければならない」という必然性があって作られたもの。反対に、コスト引き下げのためだけに、他の素材の安易な代用としてプラスチックを使った製品は「ダメな品」なんだ!

「でもさ、戦時中の金属不足で、いろいろ陶器の代用品とか作られたじゃない。あれはあれで歴史性の刻印があるし、モノとしても面白いんじゃないの?」

うーん、そうか……もう1回わかった!!
結局、プラスチックが好きな人にとっては、プラスチック製品は良くて、嫌いな人にとってはダメなんだ!

「何それ…みたいな。」

真理にいつも説得力が伴うとは限らないよ。

『あのー、お話し中、脇からすみません。さっきから素材のことばっかりおっしゃってますけど、肝心なのはデザインじゃないんですか?』

あ…